某先生お墨付きのスケッチです。いまでは違う作品に封入。1999年脱稿。

          

なかおちさと

 夕暮れに間違いはなくて、テレビの中では桜色の肌をした力士たちが戦いの場に向かう。あの道のことを「はなみち」と呼ぶ。さて「はなみち」とは花道と書くのだろうか。それではぼくの身近にある、あの花道のコト、これからなんて呼べばいいのだろう。大関が緊張した面持ちで土俵に続く「はなみち」を行く。力士の広い背中は、彼の健闘と勝利に捧げられた甲高い歓声を背負う。この時代にて戦う者、「士」である責務まで背負う彼の面持ちはまだまだ緊張している。面白い。次には結びの一番かと、ぼくは時計を見る。テレビを消して、そろそろ買い物に行こう。立ち上がって鍵と財布だけをジーンズのポケットに押し込んだ。

 近所の生協、コープは、ぼくが日々世間様から逃げ隠れしている部屋から、徒歩で五分くらいの道筋にある。その僅かな道のりこそ、ぼくの「はなみち」、花道だ。部屋に鍵を掛けて、重い一歩を踏み出す。花道では、道すがら、様々な回想が過る。

 今日一日のぼくの仕事は、朝の生ごみ回収に遅れまいと、同部屋の彼女よりも早起きしてごみ袋を出すこと。稀少な太陽の照るうちに洗濯。そして夕食の買い物。それだけ。彼女の帰りは毎日遅い。もしかしたら今夜だって、日付さえも越えて行くだろう。お疲れ様。時節はあくまで早春、浅春。なのに、滑稽に膨らんだ今朝のごみ袋は腐臭を立てていた。本当の春が来たのかな? 本当にもう春なのかな? アパートの生ごみ集積場所には先客、ぼくよりも早起きだった春がいた。半透明のビニール袋の中には、きっと春の蕾くらいはあるのだろう。我が家のごみと同じように腐臭が漂っている。

 昼間には、近所に住んでいる女の子が狭い通りを歩いていた。ぼくはベランダに続くガラス窓からその女の子を見る。ぼくと同部屋の彼女はそのとき運良くまだ眠りの中にいて、よかったなんて思う。ベランダのガラス越しにゆっくりと彼女を見止めることができた。その女の子が学生か社会人なのか、ぼくには分からない。さて道を、おもてを行くあの女の子はどんな暮らしをしているのだろう。長年の勘か? 単なる先入観だろうか? 彼女はまだ両親の引力から完全に身を剥がすことができないでいる、そんな女の子だって、ぼくは推測した。邪推と言うべきかな。しかし気の毒だなそんな生活、などと思いながら、洗いたてのブラジャーの形が崩れないように、慎重に洗濯バサミで吊るす。いままさにベランダの下を、風を切りながら女の子は歩く。女の子を洗った風が、ぼくの家庭の洗濯物を干す。ぐずついた天候が多過ぎだったな今年の三月は、なんて去年の三月と同じように呟く。疲れて眠りつづける彼女が、ぼくの呟きに応えるように、寝言を叫ぶ。「叫ぶ」とは決して大袈裟な表現ではない。それは飽くまで寝言であっても、叫びだった。目覚めた彼女が何と言い訳してみても、叫びであることに変わりはない。叫び。

 「痛いって言ってるでしょ!」

 きっと目覚めた彼女はこの寝言を、叫びを覚えてはいないだろうと思う。花咲く誰かの庭を少し見上げてから、先程の女の子は駅の方向へと急ぐ。ぼくに急ぐことは何もなくて、彼女のブラジャーの干し方に気を使っている。ブラジャーではなくて、眠っている彼女のことこそ、気を使わなくてはいけないと思う。思うのだが。

 自分の大きな寝言で目を覚ましたのだろうか? ともかくも目覚めると同時に、彼女はシャワー室へ直行した。彼女はそんなに急いでまで、いったい何を洗い流したいのだろう? 彼女を苦しめている悪夢の正体が知りたい。いや、問いただしたい。もう干すべき洗濯物もなくなってしまった。シャワー室から出た彼女の身支度を手伝おうすると、ヘイキってぼくの手を遠ざけた。わたしの膣の粘膜はすごく敏感だから、すぐに痛くなるの、ごめんね。遠い日の彼女の告白を思い返す。問いただしたい。雨が多かった三月だけど、今日だけは空の隅々まで晴れ渡っている。外の大気は清々しいのだろうな。しかし、先程までベランダ越しに見止めていた女の子を、ぼくはもう見失ってしまった。この花道を辿っていると、本当に様々な回想が過るのだなあ。いまは飽くまでも夕暮れで、ぼくは今日三番目の仕事、夕食の買い出しのためにコープまでの道のり、花道を歩いている。同部屋の彼女は買い出しのメモとお金をぼくに渡して、半時間前には仕事に出掛けて行った。

 普段は花の図鑑も、百科事典も開こうとしないのに、他人の家の庭に咲く花を見ると、その花の名前を無性に知りたくなってしまう。コープまでの五分ほどの道のりにも、沢山の「他人の花」が咲いている。時節柄か、今宵は花の匂いが濃い。豊かだ。まずは去年の暮れ。

 去年の暮れに不況のあおりを食らって閉店した小さなレストラン。閉鎖された店の軒先に花が咲いている。この土地に部屋を見つけてから、いつかは食べに行こうと思っていたのに、店の方が先に食べられてしまった。扉には閉店を告げる張り紙がかかっている。永らくお世話になりました。残念ながら本日をもって、この店をたたむことになり、いまでは寂しげな軒先に花を咲かせているだけ。それでもこの花道の大切な景観のひとつに変わりはない。あの黄色い花の名前は?、いま買い物袋を忘れてしまったことに気が付いた。

 環境保護に尽くすコープは買い物袋の持参を、組合員のルールとしている。その買い物袋をぼくは部屋に置いたまま出てきてしまった。取りに戻ろうかとしたら、豊かな花の匂いに足が止まった。数メートル先にしっかりと庭造りされた家が見える。あの家の奥さんの仕事だろうか、様々、色とりどりの花々が無数の鉢植えから枝葉を伸ばして咲き誇る。ひとつひとつの鉢植えは二〇センチくらいの直径。そんな小さな鉢植えに花が咲き、整然と庭先を飾っている。この家の丹念な仕事がなかったら、ぼくはこの道を花道などと呼びはしなかっただろう。部屋には戻らない。予定された買い物は少ないのだもの、買い物袋の必要はないだろう。花の匂いを吸い込むのだ。季節。季節。春?。季節は春なのか?

 しかし花道はあまりに短い。すでにコープは目の前だ。コープの自動ドアにはセキュリティ・システムの設置を告げる看板が掲げられている。一瞬、万引き対策かなと思ったが違うだろう。きっとギャングたちから地域のコープを守るためなのだ。そうであって欲しい。貧しいもの、病を持つもの、彼や彼女の、些細な万引きくらい目を瞑って欲しい。そのために組合員は出資金を払っているのだ。

 そもそも今日の買い物は簡単。買い出しメモの項目は牛乳、パン、納豆、ウェット・ティシュー、計四項目。しかしレジにて支払いを済ませて、小さなビニール袋を数枚渡されてから思う。さて、これらをどうやって家まで持って帰ろうか。渡されたビニールは土壌に還るというあの小さなもの。買ったものすべてをまとめて詰めるにはあまりに貧弱だ。仕方がない、裸で持って帰ろうか。両手に牛乳、パン、納豆、ウェット・ティシュー。しかし、その姿は万引きと間違われはしないか?。万引き。そこではたと思い当たる。先程見たセキュリティ・システムの看板を思い出してしまった。組合職員に出口で捕り押さえられはしないだろうか。やはり後悔した。あのとき買い物袋を取りに部屋に戻ればよかった。力士たちは戦いが終わるまで「はなみち」を途中にて引き返す事は許されないのだが。

 意を決して、牛乳、パン、納豆、ウェット・ティシューを両手にぶら下げる。自動ドアに至るまでの僅かな道のりが無闇に長く感じられる。近所のおじさんの視線が痛い。ぼくはきちんと支払いを済ませていますとでも叫ぼうか。いよいよ自動ドアが開いた。春の宵の空気がそこにある。捕り押さえられなどしなかった。当たり前か。緊張した息を吐き出す。吐いた分だけ大気を吸い込む。花の薫りがする。花道、部屋までの道のりを辿って、月が綺麗。そうだ、部屋に帰ったら、テレビを点けて、昨日からの戦争の続きを見よう。自然と駆け足になる。足取り軽く、テレビの中の戦争を眺めようと急ぐ。何事もなかった今日一日、初めてぼくは急いでいる。花道では戦場の風に洗わることのない花々が薫る。