三日後の太陽に期するもの、編

気紛れ更新です。やはりネタの充実が難しいのでね。あのひとはよく頑張っているなあ、と名古屋方面をチラリ♪



12月14日
10日間近く更新ができませんでした、ごめんなさい。
疲労に風邪が襲いかかったのです。
12月9日
横浜のドルフィーで灰野敬二&巻上公一DUOがある。
巻上さんとの共演、競演はあるのだけれど、DUOは初めてとのこと。
その数日前に
「いやあ、いよいよスタッフがいなくなっちゃったよ」
とのことで、ぼくに依頼をされました。ううん、余程人手に困った末にぼくなのかなと思っていたのですが、他の方から聞いたところ、
「あ、そうだ。なかおくんがいる!  なかおくんに頼めばいいんだ!」
ええ、一週間くらい前に簡単に決められたらしく・・・・・・。
ま、いいか。
普段は会場でのスタッフ仕事のみですが、この日は器材運搬のところから始めなければならなかったのね。
その点で、いつもとは違うんです。
さて、手土産を持って某所へ。
手土産の内訳は、
1、デンデン太鼓
2、とある詩集
3、前回のLaLaの公演CD-R
このうちでまず、1、デンデン太鼓が大好評!
中華街で買いました。3年くらい前に入手したもの。でも、いまでも普通に売られているはずなので足を運んでください。
横浜市民なら皆知っている「チャイハネ」というお店(本店)で売っています。
すっごいいい音がするんです。
上と下に口径が違うふたつの太鼓。そこにそれぞれ長さの違う紐につけられたマメ。
振ると時間差で太鼓がなる仕組み。音程も違う。
いつまでも楽しそうにデンデンする灰野さん。
絵柄も綺麗。
灰野さんに似合っている。ぼくはステージでは使えなかったなあ(宅録用には使いました)。
「どこの太鼓だろう?」
と訊かれて思ったこと・・・・・・あそこ民族モノと見せかけて、店独自に工場(こうば)を持っていたりするからなあ、日本産? うううん、口にしたくない・・・・・・。
「あ、MADE IN PERUって書いてあるよ」
え、あ、そうなの。それは知らなかった。ペルーものかあ。チャイハネの企画モノだとばかり思い込んでいたよ。
いつまでも楽しそうにデンデンする灰野さん。
ええ、次は2、とある詩集。
実はね、灰野さんと前にお話したとき好きな小説家の名前を訊かれて、彼の名前を出したら知らないとのコト。
なので、彼が小説家に転じる前の詩集を持っていった訳ですよ(灰野さんには小説よりも詩集かなって)。
たらばね、
「アレ、これと同じじゃない?」
あったんだよなあ、同じ詩集が。
実は現代詩なもので、お読みになってないのかなって思ったんです。
「僕はね、シュールより前! ダダくらいまで。それから前が好きだね」
とのことだから。
でも持っていったものは現代詩、それも1970年代という比較的あたらしいもの。
以前、ぼくが好きな詩人としてパウル・ツェランの話をしたことがあって、それに対して灰野さんが、
「最初は何だこんな軽いの! って思ったけれど、読んでいくうちに好きになってね。結局、3巻全部揃えたよ」
なんてな話をしたことがあって、ツェランはそう、最初に目を落とした一行は軽く感じるものなあと思ったので「とある詩集」。
この「とある詩集」は、軽さ、重さよりも、言葉の硬質さ(難しいという意味ではないですよ)に目(やがて耳)を惹かれる。無駄な言葉を可能なまでに殺ぎ落として行くその姿勢は現代詩の最高峰のひとつだと思う。
出発前にカバンにその本を詰め込んだときは「灰野さんはきっと持っていないだろう」のつもりだったのですが、すでに持っている、それも綺麗にディプレイしている様を見ると、今度は正反対。「灰野さんが、この言葉遣いに惹かれないわけはないだろう」と思います。
その書名はまたいつかきちんと紹介します。それも比較的に近いうちに。
その3、LaLaのライブ音源CD-R。
一曲目のタイトルを見てちょっと驚く灰野さん。
「キリスト?」
ええ、そうなんです。歌詞中にキリストが頻繁に登場するので「キリスト」と呼ばれるようになりました。ただね、
「<キリストを殺したのはわたし>って歌っているんですよ」
アフガン空爆が続く中で、キリスト礼賛の歌を謡っていると思われたら困るのですかさず訂正。
「キリストを殺したのはわたし」
この歌詞にはいたく気に入っていただきました。
「その言葉に責任持てよな」とも言われました。
「その本」といってディスプレイされている古本を指差す灰野さん。指の先には「新約聖書外伝」。

わあ、本物初めて見たよ!
「その中にはねえ、キリストが魔術を使って敵を呪い殺したって話が書いてあるんだ」
おお、読みてえ・・・・・・。
なんて話をした後に扉をノックする音。
エホバの証人の勧誘でした・・・・・・。
「いま、急いでるんで」と軽くいなす灰野さん。その後にポツリと一言・・・・・・。
「おかしいなあ、アイツ、懲りているはずなんだけどなあ・・・・・・」
↑その日、わたしのみぞおちに落ちた一言。
その2に続く(体力ないの、いっぺんには書けないの。ごめんね)・・・・・・。

この日の灰野さんとの会話から生まれた詩篇、二作。

From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2001 12/07 09:06

饒舌

歩幅を気にするように歩幅を気にする
呼吸を気にするように呼吸を気にする
声音を気にするように声音を気にする

震えてはいませんか

心配を気にするように心配を気にする
不安を気にするように不安を気にする
恐怖を気にするように恐怖を気にする

震えてはいませんか

饒舌を気にするように饒舌を気にする

震えてはいませんか
わたしはそう訊ねました
わたしの足取りをあなたの瞳に預けて
わたしはそう訊ねました

震えているからです
震えているからです
震えているからです

饒舌
意識は饒舌

歩幅を気にするように歩幅を気にする

震えてはいませんか
わたしはそう訊ねました
わたしの足取りをあなたの瞳に預けて
わたしはそう訊ねました

執行の日が近づいているのです
執行の日が近づいているのです
執行の日が近づいているのです

饒舌
意識は饒舌

しっかりとまとわりついてくるつみとばつしっかりとまとわりついてくるつみとばつしっかりとまとわりついてくるつみとばつしっかりとまとわりついてくるつみとばつしっかりとまとわりついてくるつみとばつしっかりとまとわりついてくるつみとばつしっかりとまとわりついてくるつみとばつしっかりとまとわりついてくるつみとばつ

執行の日が近づいているのです
執行の日が近づいているのです
執行の日が近づいているのです

饒舌
畏れは饒舌






しっかりと纏わりついてくる罪と罰







逃れきれない

キリストを殺したのはわたし

From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2001 12/07 09:31





キリストを殺して
わたしは生き抜く











12月5日
ふうううっ・・・・・・。
まるで頭がベレー帽のようだ・・・・・・。
もとい、まるでベレー帽のような頭だ。
ベレー帽なんて被っていないのに故・手塚治虫先生の気分だ。
元はと言えば、簡単な話で、前髪が目に入ってしまうようになって、日々、鬱陶しかった訳だ。
そこに最近、DV(デジタル・ビデオ)の編集を遊びで始めたのだけれど、使っているソフトは遊びようではなくて、Adobe Premiere5.1(6欲しいよう〜!)。
こいつは便利かつ、直感で何でもできるのだけれどさ、僅か1分半の映像作品(遊びよ、ア、ソ、ビ!)を、最終作業段階でムービーとして出力するのに2時間くらい掛かるのだよ。
その2時間の暇がいけなかったんだよなあ・・・・・・。
前髪、ウザイなと、さて暇だなと思った訳ですよ。
我が家の洗面所の鏡は比較的に大きめでね。やおらPCの前から立ち上がって、鏡の前でハサミを握り締めて仁王立ちさ!
ここだけの話だけれど、うん、そうそう他のトコロで話さないでね、あのね、ぼく、頭がおかしくなると自分で髪を発作的に切り刻むという習癖があるのね、うん、内緒だよ。
「いまのままではいけない。今日までのぼくよ、さようなら」
なんて気分のときにまず髪型から変えてしまうんだな。なんでも形から入る人間なんだネ!
さて昨夜は前髪をどうにかしようと思った訳ですよ。このままではいかんなって。
そこにはやはり狂気の影がちょびっと、家庭用サイズくらいネ・・・・・・。
前髪が視界を塞ぐ、実は唐突ですが灰野さんの横浜ドルフィー公演で、いつものようにスタッフ仕事が控えているために、視界が髪の毛で邪魔になるのはなあという思いもある。
まず慎重に問題の個所、右の前髪だけ持って、シャギー気味にハサミを走らせる。
ふうううっ・・・・・・。
右と左のバラスがひどいよ・・・・・・。
仕方なく左の髪の毛を持って、同じようにシャギー決めてハサミを走らせる訳だ。
ふうううっ・・・・・・。
まだバランスが気に食わない訳さ。
これはひょっとして他の部分との釣り合いがいけないのかもしれない。うん、きっとそうだ!
仕方なくシャギー調でハサミを・・・・・・以下、エンドレス。
なんて作業を続けていたらさ、ベレー帽ができあがったの!
わあ、ぼくったら小山田圭吾みたい! なんてうっとりすることもなく。落胆してPCの前に座る。
Adobe Premiere、いつの間にか2時間掛かるムービー出力が終わっていた。
再生してみる。
髪が長く麗しい、しかしもはや帰らない日のわたしがディスプレイの中で、ああ、天使のよう。
傍らにある手鏡を覗く。「天然ベレー帽」を被り、なにやら憔悴した若き作家の苦悶が覗ける。
狂気に任せて髪を切ってしまったときにはいつもこう感じる。
「いつもの美容師さんになんて説明しようか?」
狂気の上に、気の重い出来事をまたひとつ抱えてしまう。
灰野敬二、巻上公一DUO。DUOは初めて。灰野さんは例のごとくたくさんの楽器を持ち込む気でいるよう(内訳は内緒! お楽しみに)。
そういえば今回のスタッフ仕事の件で留守電にこんなメッセージが・・・・・・。
「this is Haino,please call me(←多分)」
・・・・・・。
たまたまアメリカに5年間もいらしたバイリン・ギャル(←死語の世界へようこそ、イッヒッヒ)がいたのですが、「なんて言っているの?」。
ときに手塚治虫先生はベレー帽を脱ぐと頭髪がなかったそうな、ツルツル。天国で安らかにお休みなさいませ、先生。



12月1日
日々雑感
キツツキ 木つつき中 きつく木に頭突きし 傷つき 気絶し 木つつき続けられず
↑これが問題の早口言葉だ。
誰か知らんが新作らしい。ぼくの元にメールで送られてきた。
さあ、皆さんもご唱和ください! 
キツツキキツツキチュウニキツクキニヅツキシキズツキキゼツシキツツキツヅケラレズ
言えた? ねえ、言えた? 続けて3回だよ、3回!
言えるか、馬鹿者!
久しぶりに病院へ行った。イヴェントまでは病院なしで、さらに治療薬なしで生活していたのだけれど、祭りは終わった。
さて、自分ケアに務めようかと病院へ。
カルテをチラッと覗くと、前の診断の日は9月3日の刻印。はあ、その間に暮らしがそこここと破綻していたのも無理はない。
いわゆるメンタル・クリニックなんだけれど、以前はアルコール中毒の患者が多かった。横浜の関内、近くに寿町というドヤ街があるせいだ。
ただ、久しぶりに診察に行ったら、待合室にはサラリーマンが多くなっていた。
スーツ姿のサラリーマンが診察を終えると、院内にアナウンスが響く。
「○○さんの上司の方、診察室にいらしてください」
職場で問題になっていたのだろう。上司付き添いという例はよくあるのだけれど、その絶対数が多くなったように思うのは気のせいか?
ぼくはのどの辺りになにか「詰まるもの」があって、これは典型的な神経症の兆候だ。なのだけれど、原因が分からない。普通、神経症の場合「そのことしか考えられない」みたいな状態になるのだけれど、ううん、いや、そんなコトはまったく。しいて言えば来年の2月には30歳の王台に乗ること。
「ううん、いつまでこの若々しいぷるるん肌でいられるのだろう?」
そんなことは考えますな。あ、またのどの辺りに「詰まるもの」が・・・・・・なんてなことでは神経症にはならんよ。気にはなるけれどな、ぷるるん肌の寿命。
「詰まるもの」の話は先生には伏せておいた。ぼくの中では神経症は病気のうちには入らない気でいるため。
もう少し深刻な病が問題になって、「次の診察までに治療法を考えておきます」とのこと。
帰り道、伊勢佐木町通りを歩く。町並みが変わっている。
小さな映画館、関内アカデミーの看板が出ていた。
「IMAGINE」
イマジン? あまりに著名なジョン・レノンの記録映画。関内アカデミー2、11月30日まで上映とある。
いまごろ何故? と思ったが、答えは簡単だった。正に「いまこそ」必要な上映だった。
「アフガン空爆か」
アフガン空爆への抗議として「IMAGINE」を上映していたのか・・・・・・。
興行的なことは脇へおいての決断だろう。
この小さな映画館の良心は本当に貴重だ。
看板のそばの有隣堂で買い物。
「戦争は悪ではない」との謳い文句で「戦争論2 小林よしのり 小学館」が平積みで高く積まれている。
「戦争は悪ではない」、「場合によってはな!」。具体的に今次の戦争の善悪を小林は問わない。もしくは「悪ではない」と言うだろうな。つくる会の購買運動でベスト・セラーになるのかと思うと悲しくなった。
理想主義といわれようとも関内アカデミーの営為は偉いよ。どうしてって肝心の理想の中身がまともだもの。小林の「裏返された理想主義」とは雲泥の差だよ。
いい本を見つけた。白水Uブックスが今月から須賀敦子のエッセイを続々と発行し始めたんだ。「須賀敦子コレクション」と銘打たれている。新書版。著名な作品ばかりだけれどね。それでも知らない作品がありGET!
「ユルスナールの靴 須賀敦子コレクション 白水Uブックス(白水社)」
須賀敦子の文章は本当にいい。まったくもって無駄がないのに程よい情緒を伝えきる。静謐なその筆致。エッセイとはいうものの、私小説としてさえ読める。これは絶対にお薦め。早くに亡くなられてしまったのがホントに残念で仕方がない。←という訳で「須賀敦子の最後の作品」集を二冊(最後の作品がなぜ2冊あるのだろう?)、こちらはともにハード・カヴァー。
「地図のない町 須賀敦子 新潮社」
「時のかけらたち 須賀敦子 青土社」
有隣堂を後にして、夜の街を行く。在日外国人たちが目立つ伊勢佐木町。イコクノコトバ、異国の言葉。
診察のときにしかこの街を歩かなくなってしまったためか、最後の日付は9月3日、街は様変わりしていた。
大きなUNICLOのショップができている。
足を止めたのは「かつや」という名前の、カツ専門のチェーン店。
可笑しいのは真向かいに天ぷらのチェーン店「てんや」があること。
「てんや≠かつや」
ううん、同じ奴が考えたとしか思えないネーミング・センスだ・・・・・・。
「かつや」、わ、ホントにカツばっかりのメニュー、「カツ丼」「ロースカツ定食」「ヒレカツ定食」「カツカレー」。
カツというカツがズラリ。
もう、なんだかね、店内のお客さんも従業員もみんなゴリラに似ているんだよ。ウソじゃないぜ!
豚汁150円はうまい上に安いな。カツ丼は自分で作った方が美味しいや。傍から見たらぼくもゴリラ? ガツガツ食う。
ここから先は伊勢佐木町でも寂しい通り。暗闇に女が立ち止まる。ぼくをしげしげと眺める。はっとしたような顔つき。
こちらの方が驚いた。
しばらくしてひとりの女の子の名前を思い出す。
宮田里美?
昔馴染みのともだちだけれど彼女は福岡に行ってしまったはず。
お互い足を止めた。
一瞬だけ。
彼女は里美ではなかった。
では、彼女は何故ぼくを見て足を止めたのだろう?
もはや永遠に解けない謎を残してふたりすれ違う。
すれ違ってしまう。
変わり行く街並みを行く。
キツツキ 木つつき中 きつく木に頭突きし 傷つき 気絶し 木つつき続けられず
ひとりごとを踏んだよ。
傷つき、気絶し、木つつき続けられず。
木つつき続けられず。
日々雑感


11月27日
11月23日「サボテンだらけの部屋」ドキュメント。
開演前に大きな花束をいただきました。久しぶりのコトに驚いたというのが率直なところ。
以前、最後に花束をいただいたのは1995年12月、石塚H.B.S隆則、長尾歩とのバンド「見送りの日」、SHOWBOAT高円寺でのこと。
思い返すと、あの日こそ初めてゲルハルトフックス氏のある休日の午後と対バンした夜だったと思い返す。
長身の女性ヴォーカリストの歌声に釘付けになったのがあの夜。その女性こそゲルハルトフックス氏のある休日の午後の割礼子さんでした。
もう6年も前のことかといまにいたって眩暈。
6年間もライブで花束をいただいたことがなかったというのも恥かしいことだけれど。
実は今回のイベント、最初に「割礼子ありき」で企画をしたというのが事実です。
そこには当然に割礼であり、割礼子さんと同じくらい盟友関係を意識している同世代のアーティスト川口雅巳さん(みみのこと)、そしてぼく自身もバンドで出演しようとLaLa。
結果は来ていただいた皆さんの感想の通り「いいイベントだった」、ホントに。
さて、当日のドキュメント。
LaLaはスタッフ2名を従えて横浜から三軒茶屋ヘブンスドアまでワゴンRで移動。
しかしLaLaのメンバーは3人、スタッフは受付係としてカールマイヤー、87poemsのコウノアヤコさんと、運転手さんとしてぼくの元カノジョさまの2名、計5名。
ここでワゴンR、軽自動車に5人乗れるかなという問題が浮上。
ぼくは根拠もなく「ダイジョウブ」と主張。
しかし異論噴出。
そこでドラムの角田信樹は電車でヘブンスドアへ。
待ち合わせに菊池明遅刻・・・・・・「シールド忘れちゃったんだあ」との電話。
「先に行ってていいよ、オレ、電車で行くから」とのことでしたが、ぼくはどうしても皆で行きたかったんだなあ車に乗って。つい、「少しくらい待てるから一緒に行こうよ」と独断。
またもや異論噴出。
「ちさプの連絡ミスは、あたしもう諦めているから」
運転手は元カノジョさま。あたしもう諦めているから、諦めているから、あきらめているから、アキラメテイルカラ・・・・・・頭の中でエコーする最後通牒。
出演前にアーティストをへこまさないでおくれ。
無事、菊池明と合流。さて、車は走る。
「オレ、自家用車に乗るの久しぶりだよ by菊池明」
「わたし、自家用車って言葉聞くの久しぶりだわ byコウノアヤコ」
待ち合わせの横浜駅から、いつの間にか多摩川をあっという間に通り越す。
ちさと「ああ、多摩川もこの辺りは水が綺麗なんだねえ。今度、バーベキューでもしようよ。ねえねえ?」
静まり返る車内。
出演前にアーティストをへこまさないでくれ。
ヘブンスドアに無事到着。時間もぴったし。車から降りると、丁度、割礼の宍戸さんが出てきた。
ここで腰砕けになったのが、ぼくに割礼を教えてくれた張本人、コウノアヤコさん。
「いいことってあるもんだねえ」
いぬ喜び。
彼女は1989年頃の割礼を観ているのだもの、その頃の宍戸さんは王子様よねえ。
コウノアヤコは割礼のリハを観たいがために、今回スタッフを志願したのだよ。
川口さんがギターを抱えて登場。
「上のコンビニでLaLaのドラムの人がお酒買ってましたよ」
はあ、信樹さん・・・・・・。酒は早いよ。
みみのことのリハーサル。
コウノアヤコ、菊池明が反応する。
「オフコースの曲じゃん!」
おふたり、特にコウノアヤコさんは大の小田和正ファン。オフコースの曲を集めたテープを渡されて、「LaLaでカヴァーして」と頼まれたコトがある。お返しにぼくからは
THE ALFEEのテープを渡してあげました。非常に嫌がられました。何故ですか?
さて、この指摘には川口さん自身が驚いたようで、よく分かりましたねえって。
なんだかオフコースの中でもマイナーな曲らしいです。
各バンドのリハはトントン拍子に進む。
ひょっとしたらLaLaが一番念入りだったかも。というのは「ギターの出音を最大に」という注文をしていたため。
割礼子さん「なかおさんの髪型いいですねえ」
キャ→!
「そうなんですよ、近所のカリスマ美容師にですねえ」と、いぬ喜びで自慢してしまいましたが、ああ、失敗。
割礼子さん自身、長かった髪をばっさり切られたばかり。
褒めるの忘れちゃった・・・・・・オレ・・・・・・。
あたらしい髪型もお似合いですよ〜、割礼子さん! 自然すぎて気付かなかったんだな。もてない男は気が利かないよの典型だね。恥かしい。
ほんば〜ん。
ええ、↓リカルドさんのレポートの通りです。
割礼子さん、「ミノムシを踏んだ」はデモ・テープをいただいたこともある思いで深い曲です。
LaLaに関してはステージ上でメンバー全員の息が上がってしまってね、あれ、全力投球とはちょっと違うんですが・・・・・・。まあ、皆さんの感想すべて、「かっこいい」という形容詞に落ち着くみたいですね。自分のステージは自分では観られないので客観的な評価はよく分からないの。あと、歓声だけは今回のイベントの中で一番でしたね。声の大きな「身内」の皆さま、ありがとうございます・・・・・・。
さて、いつも客観的な感想をいただける元カノジョさま。
ビールの呑みすぎで床にゲロ、おえおえおえおえ・・・・・・。
なのでLaLaを観ていない・・・・・・ひどいよな・・・・・・。
みみのことには降参。
素直に「大人の音楽がやれていいなあ」って思いました。クリーン・トーンを浮かばせるスタイルの川口さんのギター・センスは絶妙! 志村浩二さんのドラム、圧巻!
割礼は新譜用の曲をたくさん聴かせていただけました。アンコールの「風」など、馴染み深い曲も嬉しかったです。
以前、灰野さんとのヘブンスドアよりも良かったですねえ。松橋さんのMC「なかおくん、濃い企画をありがとう。また使ってやってください」。名指しです。はい、ちょっとというかかなり驚きました。
打ち上げ〜。
実は会場が二つに分かれてしまったんですよねえ。残念です。でも皆さんとは初めて一緒に飲みました。
楽しい内容はここでは秘密。
さて、いまも花束の芳しい薫がこの部屋に注がれています。
この花にはしおれて欲しくないな。
深呼吸ひとつ。
贈り主は夜行列車に乗って、長崎という遠い街からやって来てくださいました。
LaLaの演奏中に、ステージを凝視する彼女の真剣な瞳に射抜かれました。
僅か一瞬、ステージのぼくと、客席の彼女の視線が合ったんです。
そのとき、こころの底まで覗かれたような、そんな気がしました。

ナニガ見エマシタカ?
ナニガ見エマシタカ?

M4.「10月4日」
目も眩むほどの 輝きと 太陽 ぼくが きみと 手を繋いでいた 季節 いまも ずっと どこかで ぼくを 照らしてくれたらいいな もう一度だけ ぼくを もう一度だけ ぼくを

極端に甘い歌詞のこの曲は、しかし可能な限りヒステリックなアレンジで、悲痛に切り裂きました。

なにが見えましたか?
なにが見えましたか?

きらめきひかるぼくの弦は刃。

11月25日
↓ソニマージュ・レコーズ「サボテンだらけの部屋」は大成功のうちに幕。
本当にいいイヴェントでした。
割礼子さん、川口雅巳さんとは古くからの仲ですが、久しぶりの共演、プラス、ユニットや編成が変わってからの初共演。
初共演といえば割礼もそう。
ということは普段、観られない組み合わせ→お客さんが初めてクロスするということ。
なのに、どのバンド、ユニットの熱演にも皆さん素直な拍手をしていただいて、ああ、お客様の質が高いって。
これこそ「サボテンだらけの部屋」の優れた点かなって、本当に嬉しいし、誇り高いことです。
観客動員80名という数字。コレ、正直、予想以上でした。ただこの素晴らしい演奏ならば、もう少し上を目指さないと。
うううん、そうはいっても「数」ではないか・・・・・・。
ご来場いただいた、すべての方に感謝いたします。ありがとうございました。
さらに今回のイヴェント、ミュージシャン同士の結束が固くなったことも大きな成果です。
どのバンド、ユニットも熱演。
他のアーティストの熱演には素直に敬意を示す、そんな本当に誠意のあるミュージシャンばかりだったことが大きいですね、きっと。
次回の「サボテンだらけの部屋」。当日のうちに決定いたしました。またやりましょう。いいですか? いいよ! ってな感じで。
2002年5月1日 ヘブンスドア三軒茶屋
出演:割礼、みみのこと(川口雅巳、西村卓也、志村浩二)、LaLa(nakao chisato,kikuchi akira,tsunoda nobuki)
もう一組くらい参加の余地があるかもしれませんね。
また、この企画は非常に先の話になってしまいますので(お店のスケジュールがいっぱいなんです)、割礼とLaLaはヘブンスドアのウィーク・デイでの共演が間に挟まるかもしれません。うん、憧れの割礼に気に入ってもらえたんです、LaLaが。夢のようだ。
さて、BBSにもある通り、リカルドさんからライブ・レポートをいただきました。メールの件名の末尾に「web」の文字!
これは、このページへ投稿してくださる場合に書いていただくもの。
という訳で、当日、来れなかった皆さま、こんな感じでしたよ〜という貴重な報告です。
リカルドさま、ありがとうございます。

掲示板に投稿しようと思ったのですが、
長くなってしまったのでこちらに(笑)。

さて、ライブの感想を。
最初は割礼子さん。落ち着きのある声質が魅力的。60's後半〜70's前半の正統な女性歌謡ポップスの心地よい懐かしさを漂わせつつ、音的には古臭くない。ギター、声共に重なりあう様が美麗。
ビジュアル的にも、女性ツインギター、純白のワンピースミニの割さんと漆黒ロングの彼女(お名前を聞き取れず。失敬。)の組み合わせが光と影のようで、美しく、愛らしかったです。

LaLa。豪快、シンプル、ストレート。これぞ、男の子のバンド!!手抜きなしの全力直球勝負、と言う感じがしました。
個人的には何故か、鈴木清順の日活時代の映画(「東京流れ者」等)に出て来そうな不思議なセットの酒場(雰囲気的に酒場だと言う臨場感があるのに現実にはなさそうな独特な空間のアレです。)でこういう音を聴きたいと思いました(笑)。
…なかおさん、歌声は大人っぽいですね。後で少々お話させて頂いた時の少年ぽい印象の落差が好印象です。

みみのこと。前回、20000Vで聴いた時のドラムス抜きヴァージョンも西村さんのベース、川口くんのギター&ヴォーカルが前面に出てる感じで面白かったんですがやっぱり三人の方がバランスがいいですね。
轟音だけど、重厚で繊細。川口くんのヴォーカルも出過ぎないことで、かえって持ち味が生かされてる気がしました。
志村さんのドラムはやっぱり凄い!!
…熱演しすぎで途中、倒してましたが(笑)。手も切っちゃったようですが大丈夫でしょうか。
何せ、今夜は法政学館オールナイトで、ZU-KANKUで御出演ですから。
西村さんも打鈍でやはり御出演ですが、こちらは朝まで呑んでいらっしゃるんだろうなあ、と思いつつ、酔拳ならぬ酔ベースでかえって凄みが増したりして(笑)。…あ、日常茶飯事か(笑)


割礼。今回は音が少し、丸い感じがしました。宍戸くん特有の感受性の鋭さは損なわれずに内包されたままでしたがギターの狂暴性がもう少しチラッと垣間見えてくれた方が個人的には好み。
ただ、これはもう、あくまでも好みの問題で、今回、その丸みのせいか、ヴォーカルは今まで聴いた中では一番魅力的に感じました。
こちらも松橋さん、今夜、青い部屋の鳥井賀句さん企画でお馴染みの「BLUE VELVETNIGHT」に絶対無で御出演のようですね。
皆様、精力的に活動なさってますようで。

リカルド大内





いかがですか? あ、文中にて「今夜」というのは11月24日を指します、ご注意を。
ぼくのレポートはまた後日にいたしますね。まだ興奮が醒めないんですよ。
ま、今日の分はとりあえず一言、「みみのことが凄かった」。
また、当日はアンケートなどは配れなかったんですね。故障中なんだよ、我が家のプリンタ・・・・・・。なので、メールなどで感想をいただけたら本当に嬉しいです。甘えすぎか・・・・・・。
改めて、ご来場いただいたすべての方に感謝いたします。
そして全力を傾けていただいたすべての参加アーティストの皆さまにも。
ありがとうございます。

ソニマージュ・レコーズ、なかおちさと(LaLa)



11月23日
窓辺から富士山が見えるよ、富士山がさ!
爽快な朝だ。昨夜、タイマー予約した「スタアの恋 フジ・テレビジョン」の録画を観てから三軒茶屋に行こう。

11月23日(金・祝)
ヘブンスドア三軒茶屋 開場18:30 開演 19:00
ソニマージュ・レコーズ「サボテンだらけの部屋」
出演:割礼、みみのこと(川口雅巳、西村卓也、志村浩二)、割礼子(ゲルハルトフックス氏のある休日の午後)、LaLa(nakao chisato,kikuchi akira,tsunoda nobuki)
前売り ¥2200 当日 ¥2500
ヘブンスドア 03-3413-9331/03-3410-9581

窓辺から富士山が見えるよ、富士山がさ!

11月22日
この本にはたくさんの猫たちと、幾人かの女の子が住んでいる。
猫たちは我が家がある京浜急行線「弘明寺(ぐみょうじ)」に暮らすのらねこたち。
通称「弘明寺ねこ」。
「ねこを写せば心が映る 日沖宗弘 勁草書房」
女の子の方は匿名希望、たとえば昔々のカノジョさま。
著作は「ねこを写せば心が映る 日沖宗弘 勁草書房」。
日沖宗弘さんといえば「プロ並みに撮る写真術 日沖宗弘 勁草書房」シリーズで著名な方。
ロング・セラーを続けるシリーズの他に、こんな本も出している。
ある日、引越しを思い立った日沖さん。幼少の頃から京浜急行線が好きだった彼は、ぜひとも沿線にと下見がてらドライブをする。上大岡駅近辺を見てみたが、開発真っ盛りでどうも気が乗らない。
狭い道、急な坂道、ラリーのごとくクルマを飛ばす。
行き止まり。
行き止まりのその先に、「中里温泉」の看板が・・・・・・。
こんなところに温泉? 疑いながら竹やぶの中を歩いて行くと、本当に木造の建物。静かに佇む温泉宿がある。
さらに歩くと立派な門前町がある。山門をくぐり坂道を昇った先に境内と本堂がある。
寺宝はなんと平安時代の十一面観音!
引越し先は呆気なく決まった。
さて、この門前町、どうした訳かねこがやたらと目に付く・・・・・・そうだ、このねこたちを被写体に写真を撮ろう。
様々な生活を営む「弘明寺ねこ」の生態を追いつづけたこの著作は何度読んでも心が温まる。
ぼくは自分が育った町を気に入ってもらうために、何度もこの本を紹介してきたなあ。
「今日はあの本に書いてあったとんかつ屋さんに行ってみよう!」
美味しい。地元がこんなに豊かだなんて知らなかった。
カノジョは宝石の在り処。
ビデオ・ショップで働いていたときだ、CDの返却に来たお客さん。中々、帰らずにレジ前にいる・・・・・・「あれ、オレ、なにか失礼したかなあ」と不安になった矢先に、小さな封筒を差し出す。
「コレ、読んでください」
小さな封筒の中には、小さな手紙があって、小さな字で、ぼくにとって、とても大切な言葉を刻んでいた。
「今度、どこか遊びに行きませんか?」
ありふれた、あまりにありふれた、それでもまったく無駄のないその言葉。
文面を見つめる視線をカノジョに向けた。
意を決して行動に移したカノジョのアウラの眩しいこと!
あ、この娘か・・・・・・。
店に復帰して数ヶ月、この間、同僚の店員から色々な話を聞いていた。ぼくが欠勤の日に、同僚にぼくのことを色々訊いたりしていた女の子「彼女とかいらっしゃるんですか?」・・・・・・小学生の妹に頼んでぼくの名前を訊こうとした女の子「お姉ちゃんがあのひとのこと好きなんです。名前を教えてください」(←この言葉は「こころの名言集」にそっとメモした)・・・・・・ただ、ちょっと興信所の存在を疑ったのは事実です、ごめんよ。
当時はカノジョさまなんて縁遠い生活だったので「ふううん。じゃあ、最初に来た人にOKしよう」って決めていた。23歳の頃。大学5年生の卑屈な心情に温かな話題をくれるなんて本当に貴重なひとたちだもの。それだけで感謝だよって。
ところが封筒のカノジョさまに訊いてみると、それ、わたしじゃありませんよ・・・・・・うううん、まっいいか・・・・・・(やっぱり興信所だったんだよ、きっと! しかし何の調査かなあ。やっぱり政治的偏向かしら?)。
カノジョさまと付き合うちょうどその頃に、この本を手に入れた。カノジョの登場とこの本を読んだことで、住みなれたこの町に突然あたらしい光が注がれた。
ぼくとカノジョはのらねこを見かけるたびに「あの本に載っているねこかなあ」と話した。
あの本に載っているねこだった。ホントに。
弘明寺で生まれた恋だったから、弘明寺で育むんだ。
それまで、この町は町工場の壁。その壁に煤。決して明るい材料は見当たらない。そんな気でいた。
でもね、本に紹介されているとおり、のらねこたちにフォーカスを当てると、共存して暮らしている人々の姿が見えてきて、見えなかった町の活気が、見えるようになった。煤けていたのは町ではなくて、町を見るぼくの疲れたファインダーの方なんだって知らされた。
弘明寺、横浜市内で一番古い寺院をいただくこの町。
ぼくのカノジョさまが住む、そこは宝石の在り処だった。


11月16日
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」
石川啄木のことを「琢ちゃん」と呼んでいる。
ちょっとしたことで、ああいま「琢ちゃんモードだよ」などと思うのだ。人生の節々、ほんの些細なこと、そのひとつひとつに。
先週のLaLaのスタジオでメンバーのキク(菊池明)が驚くべき証言!
「この前、テレビで中さんが桑田佳祐のバックでギターを弾いていたよ。札幌のライブとかも着いてゆくのかなあ」

中さんとは日本随一のサーフミュージック・バンド「ザ・サーフコースターズ」の中シゲヲ。
実はLaLaとは非常に縁深い。
なんたってLaLaのキクはザ・サーフコースターズのオリジナル・メンバーだ。
「このバンドでノルマ払うのが馬鹿馬鹿しい」
という名言を残して脱退。しかしその後、ザ・サーフコースターズ、メジャーデビュー決定・・・・・・。
キクはいまのLaLaではベースを弾いていますが、本来はギタリスト。
ザ・サーフコースターズでもサイド・ギターを弾いていました。
あの「テケテケテケテケ」。そう、あのベンチャーズでお馴染みの「テケテケテケテケ」。
あれがねえ、弾けなかったんだよ、キク・・・・・・。スポット・ライトが彼を照らすんだ。会場のみんなが期待している訳だよ「テケテケテケテケ」をさ。ところがね、キクが弾くと・・・・・・
「テケテケテケテケ、ベチッ!」
最後の「ベチッ!」がどうにも余計なんだ。もう会場中、ドリフ・ギャグへのリアクションそのままにズルッと音を立ててこける。
終いにはそこが愛らしいお約束とどこか間違った評価を得るに至る。「さあ、キクの番だ! 今日は成功するかしらドキドキドキ」。
「テケテケテケテケ、ベチッ!」
キク以外にも、ザ・サーフコースターズのオリジナル・メンバー、ドラムの花岡昭和は、バンドの方の「見送りの日」の2代目ドラマー。ザ・サーフコースターズとの掛け持ちで、メジャーデビュー決定後に脱退。
バンド「見送りの日」は、その痛手から立ち直るのに随分と時間を要しました。
1980年代後半から1990年代初頭、横浜、横須賀シーンを統合していたYSRというレーベル。
そこにみんな集まっていたんだな。中さんもザ・サーフコースターズ結成以前から。
そこに若き日のカールマイヤーが合流。
ぼくが二〇歳の頃かあ。その頃からの付き合いになる。長いものだ。
で、ザ・サーフコースターズには本当に随分とお世話になりました。
たとえば現在のソニマージュ・レコーズの活動拠点のひとつ、ヘヴンスドア三軒茶屋は、元々、ザ・サーフコースターズが主催するイヴェント「サーフデリック・パーティ」に、中さんがLaLaを出演させてくれた→店社長の目にLaLaが止まった、というのがそもそものきっかけ。
要するにオンブされっ放しなんだな。
一番想い出深いのが、横須賀のドブ板通りにある「かぼちゃ屋」というお店での「ザ・サーフコースターズvs.LaLa」。
狭い会場に百人以上のお客さんが詰め掛けて、皆さんLaLaでモッシュ!
ああ、これが横須賀のノリなんだって実感。
その夜、ザ・サーフコースターズの演奏中に、店の奥で点けっぱなしにされていたテレビジョンが「酒鬼薔薇少年逮捕」の報を告げていた。うん、あの夜のこと。
その中さんが桑田佳祐のバックでギターを弾くという。メジャーのステイタスとしては当代トップ・アーティストのサポート。
ううん、不遇の時代が長すぎたもの、遅すぎた春っていうのかな? でも、これでしばらくは安泰だね、良かったホントに、と思うんだ。思うんだけれどさ。
先日ね、別れた彼女がぼくのCDコレクションから「孤独の太陽 桑田佳祐 ビクター」を没収していったんだな。
なにせ、彼女との暮らしでは恥ずかしながら経済的にひどく依存していたんだもの(そういうの「ヒモ」っていうらしいね、世間一般では・・・・・・持病のせいではあるんだけれどね・・・・・・ごめんね女の子)。なので仕方なし。なんだけれどさあ。
「あ、そのアルバムは勘弁して! だってこれから桑田と仕事するかもしれないじゃないかあ」と可愛いジョークでその場を切り抜けようとしたらね。
「オーホッホ! あなたがホントに桑田と仕事するんだったら、没収したCD、全部、返してあげるわよ!」
↑裏には「到底、無理なこと言わないで頂戴。ちゃんちゃら可笑しいわ。オーホッホ!」との意図がありますな、明らかに。ふうう。
ああ、中さんは本当に桑田と一緒に仕事かあ・・・・・・。
うん、めでたい。不遇の時代が長すぎたもの。めでたい。
でもね、その反面、ホントのところ、ホントのこころ。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」。
花なんて買わないけれど(枯れたらかわいそうだもの)、したしむ妻もいないんだけどさ(男、29歳、独身。ただし容姿端麗・・・・・・)、なんかね、「琢ちゃんモード」なんだなあ。正直なところ。正直なこころ。
さて、そんな中さんですが、仕事が忙しくなかったら11月23日ヘブンスドア、ソニマージュ・レコーズ「サボテンだらけの部屋」にお客さんとしてご来場いただけるかも(料金しっかりいただきます)。
さらに上述の元彼女さまは当日のスタッフ。
ああ、縁とはかくも深きものかな。
「こころよく 人を讃めてみたくなりにけり 利己の心に倦めるさびしさ」
行けるところまで、昇れるところまで、いまは無心に応援すべき。
中さん!
 

11月12日
灰野さんは今ごろ札幌で福岡林嗣さんとご一緒ですね。
福岡林嗣さんとは第二期LaLaの頃に、SHOWBOAT高円寺でご一緒しました。
その夜の公演はOVERHANG PARTYではなくて、福岡さんのヴァイオリン・ソロ。
これが正に「本物」の凄み!
素晴らし過ぎて鳥肌が立ったのをよく覚えています。
福岡さんもぼくらのことを気に入ってくれたようで、LaLaの終演後、開口一番に「えっらいダーティやなあ! MC5みたいだね」って賛辞を、おそろしく元気な声で楽屋に響かせてくださったのを覚えています。
いつか一緒にイヴェントやりましょうってお約束。
その後、福岡さんは札幌へ行かれてしまったけれど、この約束はいまなお有効。前々回の灰野さんのパーカッション・ソロに打ち合わせ方々いらっしゃったんですね。久しぶりの再会でその約束を確認し合いました。
相変わらず気持ちのいいひとです。大尊敬です。
さて、話題になっている「え、灰野さんが焼き鳥屋さん!?」は、たまたま福岡さんの友人で灰野さんのファンの方がお店を貸してくれるという経緯とのことです。
さて、カールマイヤーのKさんには↓の「理由 宮部みゆき 朝日新聞社」の代わりに、「黒い家 貴志祐介 角川ホラー文庫」をお貸しした。
ちょっとした気紛れ・・・・・・ではなくてさ、「理由 宮部みゆき 朝日新聞社」はハード・カヴァー。本を貸すのは↓のようにLaLaの練習のとき。
今回はスタジオに持ち込む器材がやたらと重いのだよ。そのうえにハード・カヴァーを持っていくのはねえ・・・・・・重いよ・・・・・・と思ったわけです。
で、軽い文庫本でエンターテイメントのモノって、なにがあったろう? と思いあぐねて出した結論が「黒い家 貴志祐介 角川ホラー文庫」(↓のように一緒に貸すのが「プラトニック・セックス 飯島愛 小学館」、バランスを最優先に考慮しました)。
貴志祐介という作家に出会ったのは「天使の囀り 貴志祐介 角川書店」が最初。
当時、ネットを「装置」にした小説を書いていたのだな、ぼくは。
で、「天使の囀り 貴志祐介 角川書店」はeメールから物語が始まるのだよ、これが。なにかの参考になるかもしれないとレジへ持っていった訳です。
しかし、その本「放置プレイ」・・・・・・。
実は純文学のコーナーで売られていたんです。なのに中身はエンターテイメント。ちょっと「騙された」と思いました、ハイ。
別にエンターテイメントを差別する訳ではないけれどさあ、区別はするよ。
で、その本は「放置プレイ」。
その後、しばらくして「黒い家」の映画化。原作の方も黒背表紙の角川ホラー文庫が近所のコンビニにいっぱい並びました。
当時、つきあっていた彼女とのドーセイ生活では、たまの「コンビニ豪遊」というのをついついしてしまうのが習慣になっていました。
要らないものまでカイモノカゴにポイ! ね。
で、ある日、ある夜の「コンビニ豪遊」で、「黒い家 貴志祐介 角川ホラー文庫」が、ぼくらふたりのカイモノカゴに入れられたのです。たまたま。
ところが家に帰ってしばらくしてからやっと気付いたんだなあ。
「貴志祐介? あれ、この作家の名前、初めてじゃないな」って。
自分が「放置プレイ」していたことも忘れてやんの! 思い出したよ、「天使の囀り 貴志祐介 角川書店」。
そのことを彼女に話したら、書籍とCDに関してとりわけ麻痺するぼくの金銭感覚について、じっとり説教をくらいました。当たり前ですね、なんてたってドーセイ生活です。
そんなこんなの経緯で、最初に買った本は「天使の囀り 貴志祐介 角川書店」。
しかし最初に読んだのは「黒い家 貴志祐介 角川ホラー文庫」。
この順番は結果として良かったと思います。
何故って、単純に「黒い家 貴志祐介 角川ホラー文庫」の方が、「天使の囀り 貴志祐介 角川書店」より面白いから。
「天使の囀り 貴志祐介 角川書店」の方を先に読んでしまっていたら、貴志祐介の作品は、それ以降、読まなかったと思います、ぼく。
「黒い家 貴志祐介 角川ホラー文庫」のカギは「偏執的な人格を従えた人間」を描いている点なんです。
で、自ずと筆は人間を描くんです。
設定(装置)がそもそも人間「そのもの」に置かれているので面白いんです。
「舞台設定」の面白み重視のものとは一味違うなと(というか「黒い家」の場合、「舞台」にあたるものが「人格」であると)。
コレにはまっちゃったのが実は、ぼくでなくて一緒に暮らしていた彼女の方。
もう「貴志祐介フィーヴァー」のようにとりつかれてしまった彼女。
ぼくがぐっすりと眠っている間に、「貴志祐介徹夜」を繰り返すんです。
あっという間に「天使の囀り 貴志祐介 角川書店」「ISOLA 貴志祐介 角川ホラー文庫」「クリムゾンの迷宮 貴志祐介 角川ホラー文庫」と読みまくっていました。
可笑しなもんですよ〜。朝、目覚めたら居間で貴志祐介の小説を血眼になって読んでいる、もう一方の同居人と「おはよう」するのは・・・・・・。
で、貴志祐介エキスパートの彼女が辿り着いた結論は、それにしても「黒い家 貴志祐介 角川ホラー文庫」を越える作品はないわね・・・・・・。
ぼくは彼女の言葉を信じて(だって、信頼できる大変な読書家なんだ)、「黒い家 貴志祐介 角川ホラー文庫」の他には「天使の囀り 貴志祐介 角川書店」を読んでみただけ。昨夜までは。
昨夜までは?
実は彼女は「天使の囀り 貴志祐介 角川書店」よりは「クリムゾンの迷宮 貴志祐介 角川ホラー文庫」の方がまだ面白い。「ISOLA 貴志祐介 角川ホラー文庫」はデビュー作だけあって無理が多い。
なんて的確なランク付けをして、去年ぼくの許を去ったのでした・・・・・・ああ、幕が閉じるよ、二度とは帰らぬあの暮らし・・・・・・なのを、昨夜、思い出した。この前、カールマイヤーのKさんに「黒い家 貴志祐介 角川ホラー文庫」を貸したのがきっかけで。
「クリムゾンの迷宮 貴志祐介 角川ホラー文庫」を読んだ。
読みました。
ええ、さてエエ、ここまで長々と引っ張ってまいりましたが・・・・・・貴志祐介ねえ・・・・・・読んでいる最中は面白い・・・・・・ですよ、確かに・・・・・・時間を無駄にしたとは思わない、確かに・・・・・・うん、実際に最後まで読んだわけだしねえ、それも猛スピードでねえ・・・・・・・。
しかし、こうしていま日記を終わらせようとしているいま、ふと我に返るんですよ。
あれえ、日記にして公開するほどの作品だったかなあ? って。
ひょっとして、致命的に「否」! じゃないかなと。いや、これは「ひょっとして」なんてものではないよ! でもさあ、ここまで日記書いちゃったしさあ。今更、これ全部「Delete」してしまうのもさあ・・・・・・。
あれえ、なんだか後味悪いし、歯切れも悪いしで、さて、どう終わらせようかしら、今日の日記?

ええ、上述で<「舞台設定」の面白み重視のものとは一味違うなと(というか「黒い家」の場合、「舞台」にあたるものが「人格」であると)>なんて書きましたが、「クリムゾンの迷宮 貴志祐介 角川ホラー文庫」の場合は正に「舞台設定」の面白みのみで押し切った作品なんです、これが。あっはっは、まいったね。うううん・・・・・・。
RPGを小説世界にした作品。つまりは舞台設定重視ですよね。
「舞台設定最優先」。こうしたエンターテイメントは賞味期限が短いですね、やたらと。なんたって日記書いている間に興奮が醒めちゃうんだもの、うふふ。
「おかしいなあ、読んでいたときはもっと面白かったハズなのに」
人生、そんな日もある。
否、そんな日ばかりではないだろうか?

11月10日
大変だ、プラトニック・セックスがない・・・・・・。
いや、別にぼくの個人的な性生活の話をしている訳ではない。
「プラトニック・セックス 飯島愛 小学館」が本棚から忽然と消えてしまったのだ。
いま午前6時、必死の捜索を続けているのに見つからない。
いや、なんでそんなに熱心かって?
今夜、カールマイヤーのKさんがLaLaのスタジオに遊びにくるのだ。
その事前報告のメールに「飯島愛のプラトニック・セックスと、さだまさしの精霊流し(本の方)を貸してください」と書いて寄越してきたのだよ。
いや「精霊流し さだまさし」は元々ないんだ。うん。っていうか「あるわけねえだろ!」なんだけれどさ。
ただね、「プラトニック・セックス 飯島愛」は去年、小説教室の生徒さんが貸してくれたんだよ。
この方、おじさんなんだけれど、
「ああ、あんな本(プラトニック・セックス)返してもらうような本じゃないですよ、はっはっは」
という言葉を残して、小説教室からその姿を消してしまったのだ。困ったね。
以来、ずっと返す宛てもなく我が家の本棚に仕舞われていた・・・・・・はずなのに・・・・・・。
相変わらず探しているけれどないの。
ここだけの話、Kさんはいまでこそ落ち着いていらっしゃいますが、実は元ヤン、いやそれはウソ。
まあ、こちらも若くて短気だったのでカールマイヤー時代はケンカ三昧。
これで「プラトニック・セックス」をなくしてしまったことを知ったら・・・・・・キャ→!
さて、この「プラトニック・セックス 飯島愛」はいつまでたっても「ゴースト・ライター説」が立ち消えませんね。
根拠として「きちんと漢字で書いてあるからゴースト・ライターでしょ!」「漢字で書いてあるところがゴースト・ライターの証拠」。
なんてなのがあり・・・・・・アムネスティはこうした侮蔑的な発言はどう考えるの? 飯島愛には人権なし? それは問題だろ。
「プラトニック・セックス 飯島愛」はあきらめて・・・・・・「リング 鈴木光司 角川ホラー文庫」? 次元としては近いよな。「らせん」「ループ」とまとめてさ・・・・・・。怒られそうなので、
「理由 宮部みゆき 朝日新聞社」をカバンに詰め込む。
ぼくとKさんの名誉のために!
普段は純文学、英米文学が好きです。蛇足ながら。
たまの息抜き・・・・・・にしても、もう少しさあ、なんかないのか? 「精霊流し さだまさし」って、ホントのところ、どうなの? 感動モノ? やっぱり精霊が流れるわけ? ねえねえ? で、精霊が流れると泣けるわけ? ねえねえ?

午後一時
あったよ「プラトニック・セックス 飯島愛 小学館」・・・・・・「ハリスの疾風 ちばてつや 講談社」全5巻が踏んづけていたよ・・・・・・。

11月8日
今日の日記は愚痴。
なので小さなフォントでお届けします。
googleで「なかおちさと」と検索したら(ヒマね)、夏の小金井ARTLAND公演の感想が書いてある日記サイトに出くわした。
読む。
「一発目はなかおちさとakaソニマージュ・レコード」
ソニマージュ・レコー「ド」かあ、表記騒動を思い返すなあ。
「哀秘謡と同じ器材を使い」
「一曲目もシャボン玉」
「かなり哀秘謡を意識していると思われ」
・・・・・・おい!
「哀秘謡と同じ器材」って、AKAIのサンプラー一台だけだろ! その他、ペダル・エフェクターは灰野さんとかぶらないように日頃から意識しているんだよ! 台数自体少なく。さらにBOSSのエフェクターは買わない。とりわけピッチ・シフター、リバーブは買わない、使わないなど。
ちなみに当日はアコースティック・ギター使用(この時点でもう灰野さんとはっきり違うじゃないか!)なので、音圧をサンプリングで補ったんだい!
サンプラーの使い方もまったく違うよ、よく聴け!
「一曲目もシャボン玉」
ええ、ぼくがステージで童謡を導入するのは哀秘謡結成以前からです! 「シャボン玉」は2回目のソロ・パフォーマンスのときの主題。当然、哀秘謡結成以前。頼むよ。まあね、オレなんかのステージ、追いかけて観ている人なんて身内だけの、ほんの僅かだけどさ。知ってるよ、そんなコト・・・・・・。笑いたければ笑うがいいさ、あっはっは!
「かなり哀秘謡を意識していると思われ」
三上寛さんの当日のご感想、「一点くらい灰野の部分があったけれど、それでもあなただけの世界ができているから立派だよなあ」。
あ、一点はあるのか、やっぱり・・・・・・。そうか、ごめんな。でも三上さんの感想の後半の部分をよく読んどくれ。あ、でも見てないか、このサイト・・・・・・。
ただね、当日の出演者は5人だったんだけれど、取り上げられてたのはぼくと三上さんだけだったの。他の3人は名前も触れられていないの、キャッキャッキャ! 「下を向いて歩こう」の精神なら胸を張れるね・・・・・・張れねえよ!
はあ、以上、愚痴でした。なんか書いてて寂しくなっちゃった。人間としてのスケールのちっこさを自覚するね。
今日米びすに名前もないような小さい虫が不意打ちでちょろっと張り込んじゃって、気持ち悪いので米、全部捨てる羽目になりました。
ああ、これも愚痴ですな。
さて、灰野さんのお茶会、皆さん、本気にしていないのでしょうか? 応募がまだまだです(商いは正直申告)。ただ元々の定員が僅かなのでね(15名)、そのことを考慮するとこれから派手に告知も打てないのでとってもジレンマ。なので小さなフォントなの、今日は。ちなみに定員到達次第応募は締め切らせていただきます。ご了承ください。
まあ、さらに愚痴を重ねちゃったわ。

11月7日
本日の記事は投稿によるものです。
嬉しいよ〜。
投稿者は洸本ユリナさま。
そして朽ち逝けゆりの花
というサイトを運営。友部正人さんのサイトの掲示板で出会った方です。
ユリナさんのサイトの掲示板「留守電」は、一度、書き込んだ後も「編集」作業ができるので、眠れない夜にアクセス。朝まで詩作をさせていただいています。
今回、投稿いただいた作品はぼくもよく憶えていた作品でした。
このページ「見送りの日」は随時、投稿記事を募集しています。
sonimage@v005.vaio.ne.jp
↑のメール・アドレスまで。
皆さんもお気軽に投稿してくださいね(メールの末尾にwebと明記してください)。

差出人:
YURI
送信日時: 2001年11月5日月曜日 10:18
宛先:
nakao chisato et sonimage groupement
件名: A disCo in the DArK.web

私は踊りたい

at 2001 09/25 11:12

踊りたい、あの舞台で、演技したい、魂の人間を、
幸せになりたい、じっと耐えてきた私は抱かれるの
そうよ、私は女なの、抱きしめられたっていいじゃない
私は普通じゃないの、誰も私を抱かないのよ
公園のゴミ箱を覗いたら、捨てたはずの私の乳房がまだありました
女達は今年も走るのをやめましたので、私は走ります
私は女じゃありません、ふたりにはなれません
踊りたい、全身から溢れ出す私の思いを、
この指先に放ちたい、身体で、あの舞台で踊りたいの


こんにちは。洸本ユリナです。早速見送りの日に投稿を一つ
「私は踊りたい」は今年の9月末に書かれたものです。
所々自らの中で矛盾と葛藤してます。3行目と4行目なんてそのままですね。
5行目が個人的に一番気に入っているんです。
この詩でも最終的に残るのは希望だと思います。
否定する自分、既に捨てたはずの乳房、それでも「舞台で踊りたい」と。
舞台に上がるとき、SPを浴びてものっぺらぼうにならないようにメイクをしますね
踊るのは曝け出す自らではないはず。
舞台に上がることで、否定すべき自らではない自分自身で踊る。
思いっきり言ってます。「幸せになりたい」と。
生への執着、矛盾、舞台の上で演技して「幸せになりたい」と
如実に私自身を浮き彫りにしてしまった作品ですね。
私はいつも基本的に、この詩のようなものを書くときは
奥底からふつふつ沸いてくるものをそのまま表現します
思案も訂正もほとんどないですね。バス停でバス待ちながら書くこともあります
こうして自分の言葉を分析したのは久しぶりです。
無意識への憧れ・生への執着・枯れた花は捨てるほかないねって
歌い続ける私自身に、見送りの日。
 
洸本ユリナ

 
舞台表現と詩の交錯、
舞台への恋慕、回想、詩表現への昇華、
詩のサイドが舞台表現のサイドに約束すること、
動きこそが初め、躍動を言葉に置き換えさせ、しかし言葉そのものの躍動を約束しなくてはいけない、
舞台で言葉を発するために口を開くその一瞬前、踊る挙動、腕を上げるその一瞬前に、

祈りやめない魂がそこにあり、
近づくこと、魂までぼく、わたしの方から、
ぼく、わたしの魂の方に近づくこと、

その後の跳躍、
跳躍の姿態、その可能性は無限に開かれていて、それ故の過酷を引き受けるということ、
回想の果てに恋慕される舞台、
詩のサイドが背負う責務、
洸本ユリナという実験台、
ここに、

なかおちさと 


11月6日
初台DOORS灰野敬二公演でのスタッフ仕事は粗忽な所が噴出してしまい・・・・・・はあ、自分に疲れてしまいました(っていうことは周りの人をも疲れさせたということなの。心苦しいッス。肩身が狭いッス。ごめんね、生きてて。やたら卑屈になりましたな)。
ただ当たり前ですが、公演内容は素敵でしたよ〜。なにせ四日間全部違う内容なんだもの(ホントは「3日間しか見てないけれど・・・・・・」)。
最終日には見慣れない巨大な縦笛! 天井に届くようなね(←ウソはやめようよ。いや、でも本当にでかい)。
以前にぼく自身、ライブに行けなかった日のことを後から灰野さんに尋ねたとき、「来ない人だけが損をする」との言葉をいただいたのを思い出します。この言葉は名言ですな。
だってすっごいでかい縦笛ですよ! 縦笛! 両手で抱えるんですよ。そしてそれがきちんと灰野音楽を紡ぐの!。ただチケット料金は本当に高いですよね、今回は。それはごもっとも。

さて、初台DOORSの思わぬ副産物が「激痩せ」。
というか、「このラインを下回ることは無理かなあ」ラインをちろっと↓へ。
ええ、ぼくは「男アリス症候群」さ。
ダイエット成功の秘訣は「寝ない」。
「寝ない」じゃないなあ、「眠れない」です。
スタッフ仕事を終えて遠い家路を辿る。ベッドに横になる。
しかし疲れている(はずな)のに眠れない。
興奮しているんだな、身体が、脳が。
それに「明日もだ」と、さて何時に目覚まし掛けよう? とセットしたその針。
その針を「いや30分遅らせよう」「いやきちんと元に戻そう」「やっぱりヒヨッた!」なんて繰り返していると、これがもう夜明けなんだよなあ。
で、横浜の片田舎から新宿まで行く訳さ。
実はご飯はライブ前の一食だけ。家にいるときは「眠りたい、眠りたい」と呪文のように唱えつづけているので、「眠る前にご飯食べることはないよな」で一口も口にしない。
みるみる減る体脂肪。
つられて下がる体重。
鏡に映る自分のこけた頬を見てうっとりするオレはそうよ馬鹿よ。
ただこういうときに「ホラ、こんなにスタイルが良くなって!」って、→「歴代の累々の<オレをふった女>たちよ、もうオレはあの頃の小デブのオレとは違うんだぜ」と思うわけなりよ。公式としてね。うん、それはもう。

でもね、ちさとさん。
「男は見た目じゃないの、経済力よ」
キャ→!

最終日になってもお香を焚く手が震えているスタッフ、わたし(極度の緊張症なんだよ。ま、ぶっちゃけて言うと、普段から手が震えている「人間としてやばい状態」なんだけどさ)。
世界の灰野敬二をこんな男に任せてはおられないというあなた!
スタッフ募集中です。
詳しくは・・・・・・
灰野敬二オフィシャルホームページ, Welcome to Black
至急ね。


11月4日

From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2001 11/03 04:09 編集 返信

伝導師という人生。

「こんなに散らばってしまった正義 こんなに散らばってしまった正義 それをひとつにしようなんて この形のままで」

灰野敬二、ハーディガ−ディを動かす手をしばし止めて、楽器は肉声のみ、言葉こそが届くように歌い上げる、東京新宿の外れ、今夜の客席はまばら、

「正義を宇宙に解き放つ詩を歌っているのに、客席は20人だよ、自分のコト、伝道師だとでも思わないとやってゆけないな」

素晴らしい言葉が開かれるとき、受け手の認識は豊かに羽ばたき、あらたな生を生きる、それは歴史の一瞬だ、しかしその実態は伝説の中で語り騙られるものではなくて、さあ、いまチケットを手に会場に向かえばしっかりと手に入れられる、そんな生活の上の歴史で、

「こんなに散らばってしまった正義 こんなに散らばってしまった正義 それをひとつにしようなんて この形のままで」

アフガン空爆による死者1500人。

終演後、
なかおくんお香立てもうひとつどこにあるか知らないかな?
あ、いまぼくの手の中にあります。

灰野敬二オフィシャルホームページ, Welcome to Black

いつもスペースをありがとう。無断転載ごめんなさい。
そして朽ち逝けゆりの花


11月3日
あほうのように押入れから発掘したマンガを読み尽くしている。どうも普通の読書をする集中力がないのも一因。
「漂流教室 梅図かずお 小学館」
はあ、疲れた。身体に悪いね、どんなジャンルにせよ、いい作品ほど。滅茶苦茶な進行で、一種「トンデモ本」みたいな気もしますが、立派な「トンデモ本」には力作が多いものね。普通、小学生がダイナマイト作れるかあ? てな突っ込みは下種なんだろうな。結末の違和感は初読のときと変わらなかったな。
「バタアシ金魚 望月峯太郎 講談社」
後のこのひとの作家としての移行が信じられないなあ。岡崎京子がこの作品のこと好きだったんですよね。「PINK 岡崎京子 角川書店」のあとがきで触れられていたのを覚えています(←ウソかもしれません、ご注意)。
ここだけのお話、ぼくカナヅチ。
映画化されましたね。ビデオ・ショップでのアルバイト時代に「よく観ました(店内のディスプレイに流すんです)」。主演は高岡早紀。
マンガの原作の方が好きな人は受け付けないだろうな。なんか「湿度」があまりに違うような気がしました。
「お茶の間 望月峯太郎 講談社」
「バタアシ金魚」のその後。
初読当時、カールマイヤーのKさんと結末に関しての評価が分かれたことを懐かしく思い返します。
Kさん、しつこいようですがLaLaの新曲は「血塗れのジャングル」ではありません。空耳アワー。
LaLaは調子よくなっていますよ〜。
ソニマージュ・レコーズ「サボテンだらけの部屋」
11月23日(祝・金)ヘブンスドア三軒茶屋18:30
出演:割礼、みみのこと(川口雅巳、西村卓也、志村浩二)、割礼子(ゲルハルトフックス氏のある休日の午後)ソロ、LaLa(nakao chisato,kikuchi akira,tsunoda nobuki)
前売り¥2200 当日¥2500
一応、そろそろこの日記ページでも触れておかないと。文化の日に相応しいイベントだと思います、よろしくお願いいたします。
午前中にお出かけのお誘い。
なんだけどさあ、マンガの読みすぎで寝てなかったのさあ。ああ、大損をしました。
こうやって人生を損するっていうのは本当にもう少し考えた方がいいよ。真剣にね。
あ、こけし先生のサイト、非常に充実しています(信じている。いつかポスト・ペットのアドレスにあたらしい原稿が届く日を)。笑いにいってください。
ファック・ファック・リズム・バンド
あたらしいバンド名募集中ということで投票を行っています。ここに3件も候補を応募してしまいました。本当にオレってヒマなんだなって、ちょっと自殺とか考えてしまいました。
しかし今日の日記はつまらないなあ。筆が荒むってこういうことね。


11月2日
2ちゃんねる始末記・付記
緊張しながら灰野さんとお話いたしました。内容は「お茶会」の件についてです。2ちゃんねるへの書き込みはフライングかなと、これは懺悔告白の対象かとの認識(親しき仲<こそ>礼儀あり。あ、媒体が2ちゃんねるであることは伏せてですよ〜)。たらばね、「ソレいつの話? 昨日? そんな昔にした話今ごろ初めて告知したの?」。ええ、フライングではなくて「出遅れ」の方を指摘されてしまいました。ここで改めて報告させていただきます。

628. 灰野さんとのお茶会について 管理人 [URL]  2001/11/01 (木) 00:46

ページ「見送りの日 2ちゃんねる始末記」の付記です。
先ほど、記事中のお茶会の件に関して、このサイトでの告知の了承を、ご本人より事後承諾と言う形で戴きました。
灰野さんの音楽を本当に好きな人と真面目かつ和やかな時間を過ごしたい。どこかの喫茶店を借り切って、ケーキでも買ってきてという雰囲気になりそうです。
記事中にも書きましたが、ライブ会場でぼくに声を掛けてくださるのが、こちらとしてはベストです。ソニマージュ企画では必ず、また普段のライブ会場にもおります(ギターを使うライブではローディとして最前列にいます。その他、お香を焚いたりなどしています。このサイトの随所に写真がありますので、参考にしてください)。
ただぼくの姿を見て分かる人なんて実際、僅かですよね。その場合はメールをください。
主催はあくまでもソニマージュ・レコーズ、代表なかおちさとであり、灰野さんではないのでご注意。
よろしくお願いします

とある喫茶店がレンタル・スペースになっているようです。以前にも使用されたとか。ぼく自身で実際に調べてからご報告します。
「その部屋はね、ある秘密結社も会合に使っていたよ」
よろしくお願いいたします。
尚、この件に関して2ちゃんねるの方で一件、お問い合わせがありましたが、何分「本物の関係者は書き込まない方がいい」とのご指摘ごもっともで、すいません。あちらの媒体ではお答えできません。ただお話を振っておいてお答えできないというのも無責任極まりなく感じます。ライブ会場などでお答えできたらと思いますのでお許しください。このサイトでも逐一、報告をいたします。
ええ、あとご心配されている方がいらっしゃるといけないので少し説明を。
灰野さんはこのページ「見送りの日」はご覧になりません。レビューを書いている、ページ「sonimage records」は事実関係の誤認があるといけないので校閲してもらっております。ここ数日2ちゃんねるの記事が続きましたが、これらの記述から灰野さん自身に2ちゃんねるに関しての情報が流れることはありませんので、ご安心ください。
さて、いよいよ初台DOORSですね。


11月1日
2ちゃんねる始末記(
最終発信 10月31日 10:45
ううん、やっぱり「ソニマージュ・レコーズ」表記にしてしまったのは、身体に悪いですね。何度もアクセスして進展を見ていました。
失敗したと思うのはこれから「ソニマージュ・レコーズ」名を騙るひとが現れるかな? ってことでした。自意識過剰ですけれどね。
不失者・灰野敬二スレッドは2ちゃんねるにしては大人しいし、行儀もいいしで安心してしまったんですね。あと書き込もうと思ったのが咄嗟の思い付きだったこと。このために必要な防御策を忘れていました。「トリップ」という方法を使えば、オリジンであることが分かるのに。
ただ昨日の緊急報告にも書いたとおりですが、基本的にはロム専門です。次回、書き込むことがあるとしたら「トリップ」の使用と、このページでの報告を併用しますので、そうじゃない場合は偽者だと思ってください(←「偽者」って言い回しはよくないですね、かといって他に言葉もなく、ごめんなさい)。
と言う訳でもう一件だけ、今度は「トリップ」を使用して書き込みします(なんだ、そりゃ!)。それ以降はロム専門ということで、どうかひとつ、ご理解いただけたらと思います。

375 :ソニマージュ・レコーズ◆ARXVoiL6 :01/10/31 02:33
>>350さま
>>369さま
灰野敬二公式掲示板実現に関しての本人の要望をもう少しだけ付け加えさせていただくと、
「真面目なことを穏やかに話したい」というのもありました。
勿論、これは公式掲示板への注文でこのスレッドへの注文ではないですね。
「掲示板なんか作るより、平日、僕を囲んで皆でお茶でもしようよ」との要望を受けています。
このお話は隠していてごめんなさい。そうですね、このお話はもっと早く公表すべきでした。

で、上記のお茶会希望の方はメールか、会場でお気軽に声を掛けてください。
ちなみに灰野さん自身にこのスレッドをお見せする気もありません(ただ灰野さんのスタッフは皆、PCに関しては達人の域だからなあ。もうご存知かな、ううん、どうなんでしょう?)。
というかね関西ツアーから帰ってからお話してないんですよね。初台DOORSで久しぶりにお話できるかな。
なにはともあれ、色々とご心配をお掛けした皆さま、ごめんなさい&ありがとうございます。このサイトからの情報発信という基本の基本にきちんと戻らないと。本物の関係者は書き込むべきではない」とのご指摘もいただきました。正にその通りだと実感いたします。はあ、気持ちを整理して、出直し(あ、2ちゃんねるではないですよ)、このサイトで頑張ります。
2ちゃんねる始末記でした。
ソニマージュ・レコーズ なかお ちさと

10月31日
緊急報告(10月30日、午前7時 追加稿11月1日 18:30
2ちゃんねるの不失者、灰野敬二のスレッドを見るようになって久しいです。
これまでは、まったく「見る」ロム専門だったのですが、先ほど初めて書き込んでしまいました。
内容は灰野敬二公演の料金設定について。
ひとつ上の書き込みが「最近灰野さんのライブの料金高いね・・・」(←無断転載ごめんなさい)というもの。
この書き込みについて思い起こしたことがあって、この前、灰野さんの公式サイトを見ていたら、「PHOTO」のコーナーに1997年のソニマージュ・レコーズ企画「灰野敬二ソロ&三上寛ソロ」のチラシが掲載されていたんですね。
懐かしいと同時に、目を引いたのが当時の料金設定が前売りで¥2000という点。
これは当時、¥4000円(ドリンク別)程度だった灰野敬二のライブ料金。それをできるだけ安く提供できたらとの願いで設定したものでした。この点に凄くこだわっての設定。企画書段階でも「学生や若い方に来ていただきやすくするためにも」という記述を加えたのを覚えています。この記述に「頷けるところがある」とのご本人の言葉も思い返します。
ところが近年のソニマージュ・レコーズ企画はこの初心を半ば放棄せざるを得ない事情がありました。共演者への売上の充当に配慮しなければならなくなったことが大きいのです。
ちなみに先のヘブンスドア公演は前売り2700円(ドリンク別)という設定(
灰野さんのお客さんは当日券派の方が多いです。当日券は3000円、プラス、ドリンク代が500円、総計3500円。これでは1997年頃の相場とさほど変わらなくなりますね)。
灰野敬二という当代一流のアーティストのライブ料金。「高い」というのは仕方がないことというよりも「当然」なのかもしれない、そんな思いも一方であります。毎回、全力を尽くしてのステージをしてくださる灰野さんと間近で接している訳ですから。
ただ、それでも初心の「学生や若い方にも来ていただきやすくするためにも」という自分の考えに背を向けるのは辛いですね。
つい「善処します」というレスを書き込んでしまいました。
名義、ハンドル・ネームも通例の「名無しの歌が聞こえてくるよ♪」ではいけないような気がして、つい「ソニマージュ・レコーズ」と明記(いま多分に不安です)。
来年、すでに2公演、ソニマージュ・レコーズ企画での灰野敬二ライブが計画されています。ヘブンスドアでの灰野敬二+RUINS=「KNEAD」(
付記:4月ごろを予定しています)と、会場未定の友部正人&灰野敬二再共演(付記:今回は「友部さんとまたやろうよ」という灰野さん自らのリクエストで計画がスタートし、友部さんも一発返事でOKをいただきました。今年の春の公演よりも共演部分を増やしたいとのリクエストを友部さんからいただいています。6月を予定しております)。その他にも案件がひとつあります。
「善処します」というお約束をこれらの企画で果たせるかとなると、また共演者へのギャランティの充当の問題が浮上します。
それでもそうした問題がある中でのギリギリのラインを模索する形での料金設定ならばお約束できると考えております。
ご意見などございましたらお気軽にメールください。
sonimage@v005.vaio.ne.jp
以上の事柄は簡潔な叙述を基本とする2ちゃんねるでは書ききれないことでしたので、この場を借りて報告とさせていただきます。また、2ちゃんねるのスレッドに関しては今後も基本的に読む(ロム)専門を心掛けるつもりです。
(ただ匿名掲示板に「ソニマージュ・レコーズ」は本当にまずかったなあ。でも「名無しの歌が聞こえてくるよ♪」じゃ、これまたまずいでしょ? 「マジれすするなよ」みたいな書き込みも容易に予想できるよなあ。ちなみに灰野敬二公式掲示板実現についてのご本人の要望はハンドル・ネームの使用不可、本名による投稿のみという条件です)。


日々雑感
蛇口を捻ったように鼻水が出てたまらない。
風邪? いいえ、これは「秋花粉」のせい。
花粉は春だけのものだとお思いのあなた! 代表的なスギ花粉は春のものですが、その他の植物の花粉が季節ごとに飛び交っていて、アレルギーの持ち主は休む間もなくくしゃみ、鼻水、時には咽喉の痛み。
もう目ん玉を取り出してジャブジャブと洗いたいくらい目のかゆみがひどい。
そう言えば大学時代に「ぼくは花粉症で」と言ったら、留年中の先輩に「現代っ子だね」と言われたことがある。そんなもんかあ? 余談だが、そんな知恵の浅い先輩はいま立派に狛江市で市議をやっている。ああ、ボナパルティズム。
さて、いまも鼻水、目のかゆみが納まらないのですが、これは花粉ではなくてハウス・ダストのせい。さっきまで押入れの中を血眼で漁っていたのだもの。実はサイト用に昔のアルバムを探していた所だったのさ。
なのに、見つからないとはどういうことだろう? その代わりに発見したのが、小学生の頃集めていた「すすめパイレーツ 江口寿史 集英社」。
わあ、懐かしい! と今日一日掛けて全巻読破!
しかしつまらねえ。
少年ジャンプ文化の礎を築いたこの作品も時代には勝てなかったようで、非常に無駄な時間を過ごしてしまった。
ああ、他にもなにか眠っているかもしれない・・・・・・夜中に押入れをごそごそ荒らす。
出てきたよ「漂流教室 梅図かずお 小学館」全巻!
いま多大な期待を抱いて枕もとに積んである。
「漂流教室」はその後の大林宣彦の映画も好きだったな、と回想したら、寺山修司のツアーに参加した方が今月初めにおずおずと申し訳なさそうに告白した言葉を思い出した。
「あのう、皆さん寺山修司のファンなので言いづらいんですけれど、僕、大林宣彦が好きで・・・・・・」
でも、これってなにも申し訳がらなくてもいい告白ですよね?
大林作品はビデオ・ショップでアルバイトしていたときは何作も観ました。意外と海外での評判も高いひと。
原田知世とか、アイドルを起用したり、角川映画として配給されたりすることが多いので一般的に過小評価されているのかなあ?
それとどこかワンシーン、必ず観ている方が赤面してしまう稚拙な撮り方のシーンがありますね。アレはもう癖なんだろうなあ。
一番好きなのは月並みですが尾道モノ。「転校生」「さびしんぼう」とか「ふたり」とか、「青春デンデケデケデケ」とか。あと尾道モノではないけれど「異人たちとの夏」も。
↑の記述は「大林宣彦」でサイト検索して間違いないように書いたもの。サイト検索したらgoogleで9460件もヒットしやんの。びっくり。
特に「異人たちのとの夏」は海外の映画祭でも注目、評価されたことを覚えている。けれどこの作品もどこかワンシーン(ラストだったっけ?)がへたくそで、「あのシーンさえなければ」と海外の審査員が嘆いたんだな。
そんな点も含めて不思議な映像作家ですね。
平成7年「あした」を最後に撮っていないのかあ。観たいなあ「
ビデオで」。
日々雑感(いくら「雑感」といえど、これからはもう少しまともなマトメをつけるよう心掛けましょう。あと花粉症、昔のアルバム、マンガ「漂流教室」の話が尻切れトンボです)。


10月26日
10000HIT!!の前で立ち止まる、アクセス・カウンタ。ああ、お前が憎い。

10月24日(10月31日、改訂版最終稿
どうしたというのだろう、この天気は? 関東地方は夏日。フェーン現象だという。急激な天候の変化に治りかけた風邪がぶり返した。
俄かに暑い大気に、あの夏の日を思い返した。
8月5日
寺山修司記念館の野外ステージ。
浅川マキが登場した途端、鳥肌が立つ。
黒装束にサングラス。目に鮮やかな真っ赤なバラを一本、大事そうに手にしている。そのバラを静かにステージに置かれた椅子に置く。黒装束と赤いバラのコントラストがあまりに神秘的。
バック・ミュージシャンなどひとりもいない。どうするのかと思った瞬間、彼女はアカペラで歌い始める。まったくの無伴奏。彼女の歌声のみ。
その声が凄い。
地声そのものが微かなビブラートに揺れている。マイクは胸元辺りに置かれ、口許から遠いというのに、何故これほどまでに聴くものの胸をダイレクトに掻き毟るのだろうか?
全身凍り付いてステージから目が離せない。ただですら夏の盛りにしては涼しい三沢市の空気だったが、いまは寒気すら感じる。
恐ろしい吸引力だ。
握り締められたマイクは上下左右とゆっくり動かされ、その度にPAから溢れる歌声が微妙に変化する。マイクはときに腰近くにまで置かれる。それでいて「声が遠くなる」ということがない。凄まじき声量のなせる業だ。
「夜が明けたら一番早い汽車に乗るから 切符を買って頂戴 一枚でいいからね」
真昼の三沢市が朝を待つ夜になる。言葉はひとたび彼女の肉声によって吐き出されると歌世界のドラマを濃厚に描く。
声が持つ力を感じさせられるのは歌っているときだけではない。曲間のMCでの話し声からして説得力がある。
想像と違い、MCの内容は笑いを誘う和やかなものだった。
話、語りは寺山修司との出会いに移る。寺山修司が浅川マキを初めてプロデュースした舞台のときのエピソード。
寺山修司が要求した長セリフ。それが当時の浅川マキにとって重荷に感じたらしい。彼女は寺山修司に「できません」と通告する。
寺山修司は彼女に言った。
「ここの場面ができなければ、この舞台をやる意味がなくなるんです」
その言葉に打たれ、若き日の浅川マキは仕方なく長いそのセリフを覚えたという。
その場面を今年の夏、このステージで再現して聴かせてくれた。確かに長い。ちょっとした寸劇のようだ。しかし彼女は長い歳月を挟みながらも、一言も澱むところなく再現して見せた。まるでその舞台が昨日のことだったように。
「線路は続くよ どこまでも 野を越え 山越え あの町へ」
この童謡を効果的に使った寺山修司らしい演出。
先にこの紀行記で、ぼくは寺山修司の映画のファンと書いた。
ただ実のところ、今日まで記憶に生きつづけるのは浅川マキのデビュー・アルバムのプロデューサーとしての彼かもしれないと切実に思う。
寺山修司が深く関わった「浅川マキの世界」
歌と演劇性を両立せしめた「浅川マキの世界 浅川マキ 東芝EMI」。
あのアルバムはその後の浅川マキの素質がすべて詰まっている反面、その後の浅川マキのどのアルバムとも異質な性格を持っている。
さながらアンディ・ウォーホールによるプロデュースのヴェルベット・アンダーグラウンドのファースト・アルバムが持つ、後のVUの歩みと比較しての特異さに似ている。
ヴェルベット・アンダーグラウンドは、バンドそのものの持つ本質を、むしろアンディ・ウォーホールの元を去った後のセカンド・アルバムで開花させる。
それでもアンディ・ウォーホールがトータライズして提示したファースト・アルバムの決定的な印象は一種の呪縛のようにその後のバンドの行方にしっかりと寄り添いつづけた。
浅川マキも寺山修司の元を離れたセカンド・アルバム「浅川マキU 浅川マキ 東芝EMI」の方が、より黒く彼女の世界を伝える。進化というよりも深化として。
名盤「浅川マキU」。現在では残念ながら入手困難。
それでも寺山修司の協力の元で製作したデビュー・アルバムで培ったものがいまなお彼女の資質に関わる根幹のところに付着している。
アンディ・ウォーホールはスタジオではバンド任せ、そこにいただけ。
一方、寺山修司は作詞、編曲、選曲に深く関わった、その大きな違いがあるのだが、どちらも作品の最終的なパッケージングにはアーティストよりも、プロデューサーとしての自身の個性を強く打ち出したという点で共通している。それはいいことか悪いことか? しかしどちらも不朽の名盤を生み出してしまった。あまりに決定的に。
ステージは続く。さながら灯かりは蝋燭の炎だけ、そんな濃厚な夜が訪れたかのような空気に会場全体が呑み込まれている。
ステージは続く。浅川マキは相変わらず、アカペラで次々と曲を繰り出している。

「愛せないの、愛さないの」

10月22日
日々雑感
まだ10月だというのに今季2回目の風邪で、早めのパブロン。
パブロンはケチって安いのを買うとまったく効かない。そこでSGというのを所望。本当はエスタック・イブの方がいいのだが、アレは単価で更にお高い。どうせ風邪で仕事ができないのだ。倹約を心がける。
さて、いまの眩暈は風邪のせいか、風邪「薬」のせいか? うううん。
サイトを持っていると風邪でも「更新」を気にかけてしまうので身体によろしくない。
前回、風邪をひいたとき、灰野さんは「オレはここ20年間、風邪をひいてないからね」とのこと。ついでに日頃の不摂生を怒られました。関西ツアーから戻ってきます。また怒られるのでしょうか?
昨日、「学術書の棚から」「座敷女 望月峯太郎 講談社」を発見。
「学術書の棚から」という所に、読んだ当時の評価の高さを伺わせるなあと思わず病床で再読。
しまった。怖い。
風邪で体調の悪いときに読む漫画じゃないね。後悔したときには遅く。なんだかひとりでいるのが心細くて仕方がないの。誰か遊びに来てくれない? ぼくは風邪なので寝ているだけだけど・・・・・・。好きなCD掛けてくれて構わないからさ。
さらに冷蔵庫の中から「元キムチ」を発見。うん、「元キムチ」。
これは元はキムチだったんだろうなあという真っ赤な色合いの中に水芭蕉の葉のようにいい感じに「カビが生えている」。おええええええええええええ。
ひとり暮らしの男の冷蔵庫はかようにスリル満点!
「男おいどん 松本零士 講談社」だと、風邪ひいたときは下宿の管理人のおばあさんがタマゴ酒を造ってくれるのになあ・・・・・・我が一人暮らしは、おいどん以下の生活なのだろうか、フラフラになりながら明星チャルメラを煮る。奮発して椎茸と卵ふたつを入れて煮込んだ。胃にもたれる・・・・・・。@niftyの今日の占いは「絶不調」。

10月19日
久しぶりに友部正人さんのライブを満喫。当日はバンバン・バザールの福島康之さんとのDUO。
お互い持ち曲を歌ったりしてね。随分、くつろぎました。
くつろいだと言えば、会場の横浜駅西口のThumbs Upというお店。ここは本当にいい。
クイック・シルヴァー、ポール・バターフィールドの茶けた当時のチラシなどが貼られている。
かなり北アメリカを意識した造り。
このお店はSTOVE'Sというお店の系列。
まだ横浜駅周辺に居酒屋くらいしかなかった頃に、北アメリカを意識した店作りで新しい感じのお店として随分、重宝したものです。本当に若かった頃は週末は毎週飲んだくれていたかな?
STOVE'Sは並ばないと入れない。ので、姉妹店のGRASS ROOTSというお店に入り浸っていました。
落ち着いた照明も素敵なんだけれど、なお目を惹くのが木製のテーブル。聞いたところによると従業員の手作りだとか。うううん、丁寧にお店を作っているんだなあ。

さて! 昨夜、友部さん、ユミさんとお話して、来年、また友部正人&灰野敬二ジョイント・ライブを行うことにOKサインをいただきました! これは灰野さんも熱望していた企画です。前回の公演、演奏が楽しかったそうです。
来年の3月末か6月頃、スターパインズ・カフェを予定しています。
詳細決まり次第お伝えいたしますのでよろしくお願いします。
それにしても友部チームは落ち着きますね。
あ、そうそう。友部さん横浜トリエンナーレ2001をご覧になっていて、かなり面白かったそうです。
「週末は混んでいるから、平日がすいてていいよ」とのこと。
行きますか。

10月17日
久しぶりに横浜美術館へ。「超」話題のトリエンナーレ2001ではなくて、話題の奈良美智展の方。
今年の8月に開幕して、新聞などのメディアで好評を以って取り上げられていた。
実際の作品もなんというか最高だったな。
まず展示のタイトルが気に入った。
「I DON'T MIND.IF YOU FORGET ME.」
嘘っぽいっていったら、ウソっぽい言葉なんだけれど素敵。
「ぼくのことなんか忘れてくれても構わないんだよ」
中々、言えないよね。うん、そう考えると確かに嘘っぽい。
でもそこがこのひとの作品を貫いている魅力なのかもしれない。
やがて忘れてしまう幼少期の一瞬の表情というのを切り取り続けている作家さんだもの。
会場には美大生が沢山詰め掛けていて、パンフレットに熱心になにやら書いている。
「12.アクリル」
とか。偉いね。
ええ、平日、金曜日だというのに混んでいました。閉幕間近だったせいかも。
10月14日(日)を以って終了。
久しぶりの桜木町ということで世界一の大きさを誇る観覧車に乗った。
想えば色々なひととこの観覧車で空中散歩してきたなあ。
これこれあんまりはしゃがないで。観覧車が揺れて怖いではないか。
今度、桜木町に来るときは横浜駅から船に乗って上陸しよう。
あの舟は気持ちがいいんだよ。
http://www.jpf.go.jp/yt2001/
美術館の半券を大事にしまっておくことにした。

10月11日
ポケットのPHSが震えた。父親からだった。
「残念だったな」
そう残念、その言葉でも言い尽くせないほど悲しみに暮れていた。
ある文芸誌の新人賞に応募していたのだが、中間発表に自分の名前がない。
応募した作品は編集の世界では知らない人はいないという著名な方にお墨付きをもらっていたもので、まさか、その作品が「かすりもしない」とは想像できなかった。
ただ事情は察知得た。
応募作品は斬新な作風のもの。一方、応募した文芸誌は保守的な傾向があった。
最初の編集者のところで拒絶されたのだろう。
文芸誌の新人賞にはその雑誌の批評史が絡んでいる。その批評史と異質なものが風穴を開けるのはやはり至難なのだと痛感した。
「もう少し、手を入れて、あっちの雑誌の方に送ってみろよ。どっちかというとあっちの雑誌の方が相応しいと思うぞ」
父親のアドバイスは的を得ている。このひとも応募作品の良き理解者のひとりだった。
思春期に金子光春を手に届く距離に置いていてくれたこの父親から受けた影響は大きい。あまり認めたくない事実だけれど。
実は今作について「急いでいた」理由のひとつに、この作品が駄目だったら、横浜のこの家を売りに出して両親の住まう大阪に引っ越すという条件があった。これをぼくは心配し、事実、今日になって駄目だと分かった。
大阪という土地では例えば灰野さんのサポートもできなくなるだろう。人間関係を一から築き上げるには、東京で培ってきた土台が大きすぎるように感じる。そのことを気に病んでいた。
「頑張れよ」
父親は最後にそう言った。言葉は少ないがいま少しの猶予が与えられたらしい。
作品の手直し。去年一年かけて作り上げたあの作品世界に帰るのも悪い気はしなくなった。むしろワクワクする。
継続する力。
けいぞくするちから。


10月7日 イベント後記。
イベントが終わった。企画者としては今後に多分に宿題を残して終わりましたが、肝心の音楽が企画者(主催はヘブンスドア)の失敗を救っていただけました。
特に初体験のPere-Furu(勝井祐二、鬼怒無月)が新鮮でした。鬼怒さんギター上手い、わあ、勝井さんのヴァイオリンは時においおいと鳴く(なのに滅茶苦茶ソリッド)。灰野さんは久々に聴いた哀秘謡。「浜千鳥」で本当に泣いちゃった。
ただし灰野さんは「サティスファクション」に賭けていた模様。
「あれは今日しか聴けない。人類の、って歌ったんだぜ。まさしくいまの問題を歌ったんだ」
すげえ、このひとは!
という訳で失敗を補うべく次の企画が早くも進行。3月位に話題のRUINS&灰野敬二=KNEADをお贈りできると思います。よろしくお願いします。
ご来場いただいた皆さんに感謝申し上げます。
ソニマージュ・レコーズ、なかおちさと。

↓ニューミュージックとは?
「ふきのとう」でした。失礼。

10月5日
BBSで楽しみにしているひとの声など聞けて嬉しいなあの今日は、
ソニマージュ・レコーズ企画の日。 
10月5日(金)ヘブンスドア三軒茶屋19:00
出演:灰野敬二 PERE-FURU(勝井祐二、鬼怒無月) The SABOTEN(Hoppy Kamiyama,SAGUARO.Dj-Force)
前売り ¥2700 当日 ¥3000
お気付きの方も多いでしょうが、灰野敬二さんと勝井祐二さん、鬼怒無月さんの元BLACK STAGE組が揃う。これは企画者としては期せずして実現したもの。もともと勝井祐二さんにお声を掛けていたのですが、引っ張ってきていただいたユニットが鬼怒無月さんとのもので、これを機会にまたBLACK STAGE復活ならないかな? とは欲張りすぎでしょうか?
以前、ショーボート高円寺で観たBLACK STAGEは本当にぴりぴりとした緊張感に包まれていたものです。
ホッピーさんもDj−Forceさんなど大物を引き連れていただきました。出演者が出揃ったときは「これは大変なことになった」と正直、怖気づきました。今日これから進行をやるのですが・・・・・・はあ、寝てない、食べてないで危険な状態・・・・・・大丈夫か?
そんな中、ぼーっと考えてしまったのは「幸せって後から気付くものなのね」って陳腐なコト。私生活が悪い方悪い方へと向かっているいま、夏の幸せ、春の幸せ、冬の幸せ、去年の秋の幸せ・・・・・・と思考が後退傾向。「あの頃は良かった」なんて時代は一瞬たりともないのになあって。最近、ベッド・サイドでニュー・ミュージックと呼ばれる音楽を聴きすぎているせいかもしれない。気をつけよう。メランコリーとはドイツ語で「鬱」。

9月30日
脳玉が痛い。
まずは掲示板でもお詫び申し上げましたがソニマージュ・レコーズのメール・マガジンを受信した皆さん。
背景画像のファイルが異常に重たく、受信にかなりのストレスが生じたことと思われます。この場を借りて再度、お詫び申し上げます。大変失礼いたしました。以後、気をつけます。
メルマガ配信希望の方はsonimage@v005.vaio.ne.jpまで、メールの内容は簡単で結構です。
26日分の日記と引き続き、寝ていません。くわえて26日分の日記が気に入りません。読み直すのが恥かしいです。
そんな中、新作小説に先生のGOサインが出された。書きまくるだけだ。
8月5日(加筆最終稿)
寺山修司記念館はよくできた建物だ。川崎市の岡本太郎美術館(←名前合ってます?)とよく似たコンセプトだと感じた。つまり寺山修司の生前の志までもいかに再現するかを考え尽くしたものだということ。
薄暗い館内には木製の机がいくつも整列している。
机の引出しをよいしょとオヤジ口調で開けると、映画、舞台、文学にまつわる様々な、そして細々とした資料がぎっしりと詰まっている。館内は暗くできているので、ひとつひとつの資料を観るためには備え付けの懐中電灯を照らしてみなければならない、見学者は面倒な手段を強いられる。
それが寺山修司へのアプローチのあり方なのだから仕方ない。
皆さん机に屈み込んで覗いている。
ちょっと傍目には異常な風景かもしれないなと思うと黒い笑いが腹の底の方から・・・・・・失礼しました。
ぼくは寺山修司の映画のファン。
映画関係の資料を中心に覗き込む。当時の新聞記事などが興味深かった。
その時だ。
ぼくが引き出しの中の資料を覗き込んでいるその時、館内に黒いアウラを放つ初老の女性が静かに歩み寄ってきた。
黒いサングラスをして、煙草を咥えて、
浅川マキだ。
浅川マキがこちらに静かに歩み寄って来るんだ。
馬鹿馬鹿しく響くかもしれないが、ぼくはこの時、思わず「本物だ」と小声で呟いてしまった。
本物の浅川マキを目の前にして、ぼくの心臓は大きく脈打った。
「ぼくはあなたの歌が本当に好きです」
その一言を告げるためにいま彼女に歩み寄りたい。
ただ彼女の周囲は関係者が固く守っている。近寄れない。
彼女、浅川マキの歩みは、一歩一歩、その足場を確かめるよう。
自分の足元を盛んに確かめてブーツのヒール、底打つ音を館内に鳴らす。
館内でなにやら写真撮影を済ませる彼女。
写真撮影を軽く終わらせると来たときと同じ、足場を確かめるようなゆっくりとした足取りで館内を後にした。
一歩一歩の動きがとても重い。
感激とも衝撃ともつかない出来事だった。
彼女は、浅川マキはただ歩いていただけなんだ。
なのに人生を表現していたんだ。いま尚、鮮明に目に焼き付いて止まない。
この出来事を境に妙にひとりきりになりたくなった。
浅川マキとゆっくり対話したい。
それ程、、ぼくの自分史の中で彼女の存在は大きい。
不眠のためあちこち身体が痛いのに改めて気付いた。
まずは弁当でも戴こうかとひとり野外ステージの隅で、ごはんをつつく。
旅先のお弁当って、都会生活での弁当との関わりと較べて嫌じゃないのが不思議だ。
三沢市の野外の空気は涼しくて本当に気持ちがいい。
関東地方の秋晴れの日に相当する。
高く澄んだ青空に筋雲ひとつという具合。8月5日だよ、これで。日本って広いなとも思った。
寺山修司記念館は周囲が緑濃いのもいい。
弁当を片付けると、寺山修司の文学碑目指してひとり木立の中を散策する。
散策の小道には寺山修司の短歌と出会うことができる。
小高い丘に到着すると湖が見えた。
丘から展望できる湖。気持ちのいい風。
水面が風に波立ち、照りつける夏の陽射しを乱反射させている。風が過ぎる。気持ちがいい。
散策を終えると寺山修司記念館創設4周年記念イベントが始まる。
まずは「小中学生のための第一回寺山修司五月会・俳句大会」。
三沢市の小中学生を対象に俳句を募ったらしい。
「母」「五月」「花火」をテーマに(季語じゃないね)。
以下は月刊テラヤマ新聞さまの8月号から転載(ごめんなさい)。
小学生低学年の部。
「花火はね いのちをおとすと きえるんだ」
「えんそくに ごがつをつめた おべんとう」
「かたぐるま 五月の空に 手がとどく」
「母の日に に顔絵書いて あつくなる」
「はなびがドン いぬのももちゃん にげだした」
ステージ壇上には緊張した面持ち、楽しくて仕方がないという顔つきの小中学生がずらりと並んで表彰を待つ。
選考委員の先生たちの方が表彰式慣れしていない場合があり面白い。
会場には親御さんが娘、息子の晴れ舞台を温かく見守っている。
俳句が発表されるごとにほのぼのとした笑いが場内に溢れる。
俳句大会が終了すると今度は寺山修司の奥さんが進行するシンポジウム。
「寺山修司と賞」というテーマだったろうか?
ただ、ステージが進行してゆくうちにぼくの気持ちは徐々に緊張してゆくんだな。
壇上の「先生」たちの話も上の空の感じがする。
メロディと、そこに付着する肉声が頭の中をリフレーンして止まない。
♪かもめ、かもめ、かもめ、かもめ♪
先ほど鉄扉の向こう側から聴こえたあの声が忘れられない。
先ほど館内で出会った初老の女性の足取りが気になって仕方がない。
シンポジウムが終わるとステージ上では「次の準備」が進められる。
椅子が一脚、ぽつんと置かれたステージ。
ステージ装置は非常にシンプルなものだった。
野外ステージの裾に位置する扉から黒いアウラを発して、
彼女、浅川マキだ。
三沢市の寺山修司記念館野外ステージ。
その真夏にしては格別に澄み渡った空気が、一瞬にして深夜の新宿の空気に変わった。
いま、ここは新宿だとぼくは思った。

9月26日
乾いた日々が続いている。
それは眠れない夜と同義で、そう眠れない毎日が続いている。
眠れない夜は様々な想いが過ぎる。
たとえば防衛庁が新法成立を待たずにイージス艦の出航を決めた。
権力は恐ろしい暴力を振るうものだ。
もうひとつの暴力、法をいともあっさりと食い千切る。
言論ってなに? と莫大な空しさを感じた。
それでも「永遠平和のために カント 岩波文庫」を再読してみる。
やがて国際連盟、国際連合という現実の機関に結晶する「言論」の凄まじき力を確認する。
連想は千切れる。
寂しく夜明ける頃にはやっぱり寂しさを思う。
乾いた日々が続いているなと。
「恋愛ジャンキー」だった日々が信じられないなあと思った。
それはついこの前までのぼくのスタイルだったはずなのにと。
いつからだろう? なんて考えていたら「恋愛ジャンキー」だった頃に出会ったひとりの女性を思い返した。
大学で同じ学部だった彼女の名前は「チョウ・クンス」といった。
袖君琴。
こんな綺麗な名前のひとをぼくは他に知らない。
在日韓国人。
無知では乗り越えられない。
恋愛感情だけでは乗り越えられない、そうしたものが現実にあることを知った恋だった。ほんの僅かな期間の片思いだけれどね。
彼女がいまどうしているか?
そうしたことをぼくはあまり思い描いたりはしない。そうした空想には不慣れだ。
「あなたは女の子をあまり追わないでしょ?」
ある女性から指摘されたことがある。
そう、ぼくは別れが決まったら、女の子は追わない。
そうした在り方はすべて当の女の子たちから学んだ。
いともあっさりぼくを振ってくれる。その際の潔さは眩しいくらいに格好いいと思う。
さよならと言うときの女の子たちの眩しさ、男には真似できないだろう。
ここのところ眠れない。
ふと袖君琴のことを思い返した。そして、
そして彼女を軸に据えた一編のファイルが未完成のままPCに残されているのを思い出した。
ファイルのタイトルは「見送りの日」。
このページのタイトルだね。
でも、元々はカールマイヤーの空中分解の後に結成したバンドの名前だ。
「見送りの日」というバンド名、当時その名前の由来を尋ねられることが度々あって面食らった。
思いつきに決まっているじゃんって、当の本人は思うわけだ。
それでもその思いつきにいつのまにかぼく自身が呑まれてしまった。
非常に不出来な作品が生まれた。叙情の部分が不細工で重く感じた。気に入らなかった。作品の完成を放棄した。
ただ、ここのところ眠れない。
「恋愛ジャンキー」、出逢いがあればみんな好きになっていた頃、それがそんなに昔のことではないのにって、乾いた日々が続いているいまを不思議に思う。
ふと袖君琴のことを思い返した。彼女の輝く知性を思い返した。人類の知性が乱雑に踏み潰されている夜にひとりの女の子を懐かしく思った。PCに不細工なファイルが残っているのを思い出した。
不細工なこの草稿をそれでも気にいってくれているひとたちを信じてみたくなった。
皆、女性だった。
未完成なのにアップロードしたくなった。
miokurinohi1990.htm
ここのところうまく眠れない。
それはここ最近のすべての夜明けを知っているということだ。

9月25日
苦闘、それ故の生の横溢
戦友、立島夕子

細かい描線
波を
放射を
描き
ひしめく
細かい描線
幾重もの

立島夕子の絵はなぜ執拗までに描線を巡らせて「在る」のだろうか?
その描線は生ゆえの苦渋を、苦闘を物語ってやまない。

物語る
物語られた
絵を読む
絵が読める

立島夕子の絵には物語を読むことができる。
一般的な絵画の「テーマ」の範疇を超えて、その絵は物語を訴える。

細かい描線
波を
放射を
描き
ひしめく
細かい描線
幾重もの

苦渋、苦闘は孤独に反芻された後、作品に結晶するとその口を開く。
わたしたちはその語りに吸い込まれる。
わたしたちがその絵を隈なく吸い込もうと貪欲になるのは・・・・・・

細かい描線

細かい描線までが物語っているからだ。
物語が「在る」。
絵に塗りこめる物語が「在る」、数々の。しかし唯ひとつの。
そこに立島夕子の作家としての業がある。
そして業は滅びることを知らない。

細かい描線

苦渋、苦闘ゆえに、生は横溢する。
生が横溢する。
描線が波立つ。
生は横溢する。

わたしたちは、しかと呑まれる。

9月23日
やったぜ、稲垣吾郎不起訴処分! 起訴猶予がついているけれどまあ仕方ないし(起訴猶予というのはつくものなんです、大概)、当人がこれ以上の問題を起こすはずがなくまず大丈夫でしょう。
このページでキャンペーン(?)張った甲斐があった。皆様
おめでとう稲垣吾郎の声をBBSに!
さて、そもそもなんでここまで稲垣吾郎に肩入れするのかというと、まあ、今回の事件を法的に見て問題なしと見なし(ぼくは大学時代、法学部です)、それなのに必要以上に叩かれまくっている姿が道義的にいただけなかったというのもあるのですが、それ以上に日頃からの私情。
稲垣吾郎は「僕は模造人間 島田雅彦 新潮文庫」のファンなのだそうだ。
つまりぼくと同じく島田雅彦ファン。
ええ、日頃から肩入れしている理由はその一点のみであります!
今回、果敢にキャンペーン張ったのも、そうした事情からです!
島田雅彦のファンというエレガントでインテリジェンスな芸能人、他にいるかあ? テレビジョンという媒体で観られるのはあとは爆笑問題くらいだろう。
一刻も早くブラウン管で観たいね。
この事件を機に本人に「箔」ってやつが付いたな。
さて、現在進行中の「テロにも軍事的報復にも反対キャンペーン」では朝日新聞の近藤康太郎特派員を断固支持します。近藤康太郎氏は日本にいたときはAERA編集部で日本のアンダーグラウンドのバンド、音楽を紹介していました。
とにかくマメにライブに通っていたようです。ぼくら東京アンダーグラウンドの人間にとって、AERAというメジャーな媒体でアンダーグラウンド・シーンを紹介してくれるというのは非常に貴重な方です。著作は「リアル・ロック 近藤康太郎 三一書房」、帯には「灰野敬二、ハイライズから ボアダムズ、少年ナイフまで」とある。
この近藤康太郎氏が朝日新聞のアメリカ特派員になって久しい。正直、「飛ばされたの?」って心境だった。
それでもいま現在、反軍事的報復の立場でNYから記事を送りつづけている。
「近藤康太郎ここにあり!」って感じ。
先日は「報復に(?)マーク」という記事で軍事的な報復に反対するNYのアーティストの動きをいち早く紹介していました。
「アメリカが一枚岩だと思われては困る」というひとりのアーティストの言葉とともに。
わたくし、この近藤康太郎氏とはちと縁がある。
学生時代、集英社の「Bart」編集部でアルバイトしていたとき、この編集部には近藤某さんという方と、某康太郎さんという方がいらっしゃいました。近藤某、某康太郎、二人合わせて「近藤康太郎」という訳で、このふたりが近藤康太郎さんに接近。アホですな。まあ、それ位、当時の集英社は緩やかで突飛な発想を許す活気に満ちていました。
結果、見事Bart誌に朝日新聞社の一記者、近藤康太郎さんが、集英社の雑誌ででっかい写真、見開きで特集インタビューが組まれるにいたった。
当時の記事は覚えていないけれど、思い出すのが、近藤康太郎さんから編集部への電話。
電話の取次ぎはぼくの役目。
「あの、近藤ですけれど、近藤さんか、某(康太郎)さん、いらっしゃいます?」
この「近藤ですけれど、近藤さん・・・・・・いらっしゃいます?」のニュアンスが可笑しい。
まあ、そんな訳で非常に親近感ある方。
その方が反軍事的報復の記事を書きまくっている。
断固、応援します。皆さんもネット検索などしてみてください。
朝日新聞の近藤康太郎
です。
そういえば坂本龍一も「テロも軍事的報復も反対」の立場から小泉首相、ブッシュ大統領を批判。その政策を支持している日本国民にも注文をつけていました。やっぱり教授は教授だね。
見送りの日

9月
21日
LaLa、11月23日(祝)ヘブンス・ドア三軒茶屋のために猛練習。好調なのかな? いや、今ひとつ手探り状態です。
これには風邪をひいているせいもあるのだよ。咽喉に痛み。あとは微熱ばかりの嫌な症状で、とにかく眩暈が激しい。ここ最近の灰野敬二さんのライブもパスしてしまっている。
灰野さんに「ごめんなさいコール」を入れる。の、ついでに、お気に入りのブルース・マンを教えていただいた!
「元気出せよ!」ってさ。体調治り次第、CDを買いに行こうと思う。
駅売りの夕刊紙はアメリカの核戦略の見出しでいっぱい。憶測で購買者を煽るのはいただけない。
9月5日
シャワーを浴び、昨夜のバーベキュー臭を削り殺ぐ。
朝市を見ようと港に出る。
漁村だけあって海産物が色々売られている。野菜なども多かった。特にごはんに合いそうな塩辛風の食べ物に購買意欲が引かれたが、そこは貧乏旅行。キャッシュ・カードを家に忘れてんだよ、おいら。我慢。
市にはきちんと活気が満ちている。この小さな村で、こうして市が立つというのがなんだか不思議だったなあ。
ぼくが一番乗りだったようですが、徐々にツアーご一行がお見えになる。
お店の方に気付かれないようにノー・ファインダーで撮りました。つまらないアングルはそのせいです。
朝食は基幹センターそばの喫茶店風の・・・・・・喫茶店なのかしら。まあそんなところでいただく。件のいびきの話になる。年配の方が「あれは生涯でも5本の指に入るな」と仰る。うん、ぼくは生涯NO.1です、アレ。
もう寝ていないし激論の後だったので手足が震える。食べるのも身体が痛い。
関さんがお店に見える。
「あら、早い。あなたもタフねえ」
いいえ、関さん。ぼくは「早く目覚めた」訳ではないのですよ。ずうううううううううううううううううううううううううっと、起きていたんだってば。というか寝させてもらえなかったんだって、すごいイビキ。ああ、書いていると思い出すの。もう忘れたい。
月刊テラヤマ新聞のカネコさんが目の前に座る。おはようございます。自分の震える手をやたら気にして緊張しました。
別席にコーヒーが用意してある。朝食を食べ終わった人はソファでくつろぎコーヒーをいただく。
のだけれどね。
驚いたこと、その1 その喫茶店、レンタル・ビデオ屋さんを兼ねているということ。あれで200本位なのかなあ、ビデオが並んでいて2泊3日700円(この辺、記憶曖昧です)などとある。ジャンルは滅茶苦茶。それは仕方ないと思うな。でも小泊村の生活を支えているんでしょうね。
驚いたこと、その2 「東奥新聞」なる地方紙がある。青森県の地元新聞らしい。神奈川県で言う「神奈川新聞」にあたるのか。それにしても「東奥」の言葉の響き。旅の響きだねえ。
驚いたこと、その3 この日、NYメッツの新庄が初の4番スタメン入り。三上さん「お、イチローがどうした」。ちさと「新庄が振り逃げしたらしいですよ」三上さん「あ、新庄か。老眼だから眼鏡ないと新聞読めないんだ」
この夏、三上さんと同じ歳の友部正人さんもNYで老眼鏡を買ったそうで一部で話題になった。
お二方とも若い頃のURCリイシューで接していると思いもかけないことなんだなあ、これが。ご当人には大変失礼。
そういえば三上さんも寝不足を顔に表していました。ぼくらとは別室で寝ていたのでイビキのせいじゃないんですけれどね。
朝食を済ますとお世話になった基幹センターに別れを告げて、またバスに乗り込む。
三沢市にある寺山修司記念館に向かうため。
お決まりの後部座席には見知らぬ少女が。あれ、関さんの娘さん? なんだか独り言をぶつくさ呟いている。事情が分からないのでそっとしておくことにした。シャイなんだよ、おいら、ごめんよ。
バスが走り出す。小泊ともさよならだ。
三上さんがバス最前列にあるマイクを掴み寺山修司の物真似で青森を語る。
「太宰治とか青森の人間はみんな自分が罪人であるという自覚を持っていて」
などといかにも寺山修司が言いそうな、もしくはホントに言ったのかな? そんなセリフを語るのさ。上手い。
「よおし、百点満点だろ今日のオレは」
三上さん自身も満足だったみたい。
バスの中、割れんばかりの拍手。
そうか、他の皆さんは打ち上げ後の二次会で三上さんが延々と繰り広げられたあの寺山節は聞いていないんだ。
ふたたび海を一望できる場所にバスが差し掛かる。些細だけれど忘れられない風景。身に染みたね。
ただ段々と都会の風景に変わりつつある窓の外眺めているのは悲しかったな。
見るべき自然がなくなると退屈を感じる。
完全に都会に踏み込むと眠る。
といってもバスの中、座りながら窓ガラスにもたれての眠り。浅いよ〜、これじゃあ。
車外の陽射しは眩しい。8月5日、夏盛り相当な暑さかなと心配する。
ところがさあ、はい、寺山修司記念館ですと言われバスの外に降り立つと涼しいんだ。
いまこの記事を書いている横浜の夜の数倍は涼しいね。
とにかく寺山修司記念館到着。
粟津潔氏のデザインによる建物。天井桟敷のメンバーなどがアドバイスして建てられたらしい。
館長直々の案内で説明を受ける一行。寺山修司の出生年月日は実際より一ヶ月遅れ期日が生前の公表だったとか。
この説明の終わる辺りだ。
重そうな鉄扉の向こう側から、
「♪かもめ、かもめ、かもめ、かもめ♪」

あのひとだ。ああ、ついにあのひとだ。あのひとがリハーサルしている。
浅川マキだ。
もう魂を抜かれた。

次回は壮大な浅川マキ論!

9月17日
T.REXの「ELECTRIC WARRIOR」の発売30周年記念盤が輸入盤で入ってきた。デジタル・リマスタリングのうえボーナス・トラックにスタジオでの進行状況が入っている。1690円、お買い得だと思う。今日は没社会的で失礼。あの事件以来、精神の変調が厳しいんだホント。
9月4〜5日
小泊の夜は更ける。
小泊の夕景。空気が澄んでいるのがよく分かる。
三上寛さんを囲んでの打ち上げ魚貝類パーティが、記念写真パチリで終わっても、多少、お酒や料理が余っている。
皆さんは素直にお眠りになるのですが、悪がき数名と関さん、三上さんのファンクラブ会長、それとテラヤマ新聞の方々は残ったお酒でもうひと盛り上がり。
もちろんぼくもいる。
関さんに「大鳥の来る日」のテーマ・ソングを教えてもらおうとするのだが、関さん、酔っ払って凄い饒舌になっている。
「ほら、このチラシでオッパイ出しているのがわたし!」
その開けっぴろげな告白にむしろたじろぐ男性陣。
話は「大鳥の来る日」の「大鳥」とはナニ? って話になる。
「寺山さんは大鳥が何かは教えてくれなかったけれど、この世界に終わりを告げるなんだか分からない怪物なのよね。ほら、このチラシでオッパイ出しているのがわたし! 今思うと内蔵移植の問題なんか、わたし凄い恐ろしい。天命を全うしてそれでいいじゃないの? もし自分の娘がドナー登録してもわたしは親としてそれを拒否すると思うの。ほら、見て。このチラシでオッパイ出しているのがわたし。当時はでかかったのよ」
分かりました。さあ、歌を教えてください。
「わたしは自分の娘の内臓が他人のものになって生きるというのはイヤ。それがわたしにとっての大鳥なの。ほら、このチラシで」
ええ、ひとというものの年輪を感じさせるタメになる話は聞けたのですが、歌は最後まで教えてくれませんでした。
日も改まって午前2時くらい? 
お兄さんの家に寄っていた三上寛さんが帰ってきた。
三上さんは「ほらひとつのテーブルに集まれ」
なんだか口調が急に乱暴になっています。
「ちさと、お前は俺から<止める>ということを学んだだろう」
これは音楽の重要な話。
<止める>ということは、まあそのまんまなんですけれど、自分で演奏を規定する、コントロールの範疇に収める。聴き手がそれまでに出していた音に<慣れてしまう>前に<止める>ということ。
それと音楽は鳴り終わった時が<音楽>。だから自分の作為で<止める>。
これが本当に<できる>ようになるにはよく客席の聴き手との対話を積まないとできない。
ぼくは三上さんから確かにそのことを学んでいる。
「よし俺のギター、3分間だけ弾いていいぞ!」
三上さんのギブソンはよく鳴る。驚いた。
型番は分からないなあ。ただブルースに適している。
ただぼくが弾き出して歌うと。
「馬鹿野郎。1コーラスだけだ!」
3分て言ったじゃない、さっき。まあ、いつもの滅茶苦茶な奏法で弾いたせいですが(本当は華麗なスリー・フィンガーだってできるんだい!)。
宴は三上さんの物真似大会になる。
まずは寺山修司の物真似。似ている。
次は○×(覚えていない)先生の物真似。この方、三上さんの恩師の方らしいのですが、物真似している三上さん本人以外は誰も知らないひと。誰も知らないひとなんだけれど、「ああ、こういうひとがいるんだア」てな気にさせられる。
芸人だなあ、三上さん。
東京に帰って○野さんと、あ、いえHさんとお話。
ぼく「三上さん、酒癖悪いですねえ」
Hさん「あのひとはねえ、酒の席になると、場を見て自分の人格を作るんだよ。殴られた奴とかいなかった?」
誰も殴られはしませんでしたが、
「おいO! お前、昨日、芦ノ湖公園で電車が11時44分に来る。そのとき俺が<いちいちよんよん>って言ったときなんで反応しなかったんだ! あういうところで音楽を感じなきゃ駄目だ」
と三上さん。突然の叱責に呆然と立ち尽くすO君。
これ、O君に向かって当たっていますが、本当はぼくに向けた発言だと思います。違う人を怒る。それも年輪の成せる業かな。昔かたぎの映画監督がそうだと言いますよね。
あと、別の機会になぎら健壱さんに横浜に三上さんを呼んでくださいと頼んだとき。
なぎらさん「呼べば来るんだけどな、酒癖が悪いんだ」だって。
さて、夜が更けてというか朝になる頃、就寝する方が会場を後にする。
実は、このときぼくはこの旅でいちばんの想い出と言っていいほどの出来事に自ら参加、熱中。
若者たちが語る熱き「(大東亜)戦争論」大会が始まってしまいました。
クラス討論と称して毎時間様々なクラスを回ってアジしていた学生時代を思い返しましたね。
知識的にもう衰えがきているけれど、レフト・サイドから果敢に発言。
このお話に参加していたのは女性一人、男性三人。
夜明けになるまで各々の持論を競い合った。
このときちょっと興奮しているぼくを心配して、三上さんが起きだす。
みんなに、
「あ、こいつ躁鬱病だから」
三上さん、ぼくに「躁」はないよ。
あと、三上さんのファンクラブ会長と関さんが意味不明な脈絡でキスを始めた。
まあ、若者たちよ、熱くならないで楽しくやりましょうと言うジェスチャーなんだろうな。
「50歳になれば、こんなことなんでもないわ」
と意味不明なことを熱き若者たちに語ってきかせる。
しかしそんな芸当見せられても熱い議論は一向に止むことを知らない。
ぼくが何か言うと「でもでも」と果敢に食い下がってくるのさ。
まあ、ホントに清々しいよ。いつもはアーティスト連中など「レフト」ばかりに囲まれているもの。それも不健康だよね。
また機会があったら呑みましょう、皆さん!
終わりなき議論を続けていると本格的に夜が明けた。
もう寝なきゃというので会場の片づけを済まして、部屋に帰ると・・・・・・。
工作機のドリルのような大音響が部屋を震わせている。
いびきだ。
名誉のために犯人を書くことはできない。
でもまったく寝られない。
恨んでます、いまでも。
眠れないなら横になっていても仕方がないとシャワーを浴びる。
昨夜のバーベキューの薫が身体から落ちて行く。
少し身軽になった。
シャワーを浴び終えて、歯磨きなんぞしていると、もう「きちんと寝て、目覚めたひと」が朝シャンにやってきた。
ぼくと同じくいびきで眼を覚ました男性陣も起きだす。
小泊村では朝市が始まっているという。



最終稿発信(加筆訂正による改訂版)
「報復」は問題をさらに泥沼化させるだけだと信じる。報復の名のもとにアメリカも同様に多数の民間人を殺害するだろう。
ひらめいたのはジェノサイド条約の適用だ。1948年、ナチスの民族掃討政策に対する反省として、無差別虐殺を行った指導者を国際司法裁判所に訴追できるという条約が国際社会で認められた。
この国際法廷はたとえば旧ユーゴスラヴィア、ルワンダの紛争で実際に設置された。
この機会にその国際司法裁判所を確固たるものとし、テロの指導者、グループを裁くシステムを確立すべきだと思う。
つまり必要な2次テロには充分な警戒態勢を引きつつ。しかし国連レベルでの決議をアメリカは取り付けるべきだ。報復を一国の意志で実行した場合、その際に多くの民間人が犠牲になったら、むしろアメリカは国際的な孤立を余儀なくされ、それこそ今回のテロの首謀者の思う壺にはまる可能性だって否定できない。というよりもアメリカ自体がジェノサイド条約の適用の対象になりかねない規模の攻撃を目論んでいるように見受けられる。
「報復」は人類の歩みを野蛮の側にまた一歩後退させる。
この惨事を乗り越えるあたらしい知恵が文明の役割だと思う。
見送りの日

9月13日
BBSにもある通り、言葉がない。
錯綜した気持ちがある。
テロのニュースの陰に隠れた、もうひとつのニュース。
英米機イラク爆撃 イラクの民間人8名死傷。
世界貿易センターへの攻撃の報と同じ日の新聞に載っている。
今回の事件では総力戦の終焉という現代の紛争のあり方をもはっきりと思い起こさせた。
問題は宗教一般より「テロ」という施策だと思う。
宗教的なテロの排除の後には政治的なテロ、民族的なテロが控えている。
テロを行使しない政治のあり方、民族主義のあり方、宗教のあり方が可能というか常態なのだが。
一方でテロの行使には相当な資産力が必要になる。
事前にその動きを察知するのは容易にも思える。
国際社会の協調があれば「テロ」の根絶は可能と見るのは楽観的に過ぎるか?
テロを支援するには現実的に相当な資産的な背景がなければ実行できない。
例えば英米機イラク爆撃 イラクの民間人8名死傷の事件の背景に相当な資産が投入されたように。
まだまだ勉強が必要だけれど、それ以前に事態が最悪の方向に進むような気がしてならない。
クリントンよりもさらに無能なブッシュ政権の掲げる「報復」とは?
見送りの日

9月11日
匿名希望さまにご同行。
英国の「ファイナンシャル・タイムス」紙が日本特集を組む、その中で「日本のフリーター現象」に紙面を割くとかで、日本のフリーターを代表してインタビューに答えました。
「ファイナンシャル・タイムス」なんだから、なんかこう日本経済におけるフリーター層の増加の位置について述べよ。なんてな話しかと思いきや・・・・・・滅茶苦茶ブロークン。
「日本にも出てきたカイシャに縛られない若者像」が欲しかったみたい。
小ぶりな質問ばかりです。
そもそもフリーターと言う造語に値する英語はないそう。だから「furita」と表記する。
なんでそうなのか? 聞いてびっくり。
他の先進国では学校を卒業してから2、3年好きなことをして暮らすのは当たり前のこと。だから特別な言葉は要らない・・・・・・「furita」の登場で、やっと日本も他の国と同じになった・・・・・・んだってよ!
以前、須賀敦子のエッセイを読んでいてイタリアの若者像に確かにそんな感じの描写があったのを思い出したな。
新自由主義的改革を1980年代のうちに完了していた国々ならではなのだろうか?
「日本にも出てきたカイシャに縛られない若者像」かあ。貧乏極まりないですけれどね。
今思うとインタビュー中に日本経済の行く末を熱弁してしまった自分がちょっと恥かしい。
匿名希望さまはいつもながらのジゴロ役、冷静でしたが、ぼくチョットはしゃいじゃいました。
「ファイナンシャル・タイムス」が<マス・メディア・デビュー>だなんて、キャ→!
ただこのフリーター現象は楽観的には観れないな。自分を棚に上げて大きく出るとさ。
という側面からアプローチしてきたのがなんと日本共産党の機関紙「赤旗」。
別の知り合いから紹介されて取材に・・・・・・のはずが・・・・・・ぼくのような「夢追い型のフリーター」は企画意図にそぐわないそう。
「夢追い型のフリーターってなに?」
企画意図としては将来が不安で不安でたまらない20代後半のひとを探しているそうな。
「お知りあいでどなたかそういう方いませんか?」
だって。
いたとしても紹介できないだろう・・・・・・きみ惨めだから「赤旗」に紹介するよって訳にはねえ。
ただ共産党はこの間、フリーターにたいする援助、保護の充実化政策を発表しているらしい。
日本はいまこぞって「改革」のオンパレード。
この「改革」が曲者で日本の階層社会化はこれまで以上に熾烈になることは避けられない。
そのための対抗措置としてのセイフティ・ネットの整備は欠かせないというのは当然提出すべき意見。
ただこの「セイフティ・ネット」を用意するから「改革」を断行するという論調も見られて、もはやなんだか何を言っていいものか分からない。
とにもかくにも一寸先は闇か?
見送りの日

9月7日
毎度お馴染み「web引きこもり」。今回はSOHO仕事で落選(←というのかな? エントリーしたのに仕事が来なかった。ぼくはOFFICE製品でもマイナーなACCESSとかPOWERPOINT使用じゃないと仕事にあぶれるようです)。
自棄食い。無闇に太っていました。
ダイエットと今月の生計のために土方仕事でも探しましょう。そうしましょう。
8月4日
小泊村の漁師さんの陸揚げを見ているとやたら海鮮物が食べたくなってきたな。
ところがお夕食は「バーベキュー」という。
「お肉かあ」
などと思いながら基幹センターへ帰る御一行。
基幹センターではバーベキューの準備が着々と進んでいました。
さて準備完了。
具材は?
魚貝類!
魚貝類ですよ、魚貝類、バーベキューなのに!
要するに「魚貝類バーベキュー」なのでした。
生まれて初めてだなあ、こんなバーベキュー。
へへ、美味そう。
地元の方の協力で採れたてのサザエ、イカなど、他にも食べたことのない貝が焼かれている。
ビールで乾杯!
ええ、わたくし「ダイエットの旅」という目論見は遠慮なく捨てました。
ちなみに灰野敬二さんは魚貝類も駄目。
旅直前に一緒に入ったうどん屋さんで「海鮮うどん」に入っているイクラが食べられない。
自分が食べないイクラは遠慮なくぼくのどんぶりに注ぐ。
「イクラ、大丈夫?」とか言いながら。
てなコトを思い出しながらガシガシと食べるのですが、相手は貝。
この貝、焼け具合が微妙でね。
もちろん刺身にも出来そうな鮮度なので、焼き具合は気にしなくてもよさそうなのですが、思い返す度に失敗したなあと思うのは、「箸でつつくと変な液体がどろりと出てくる貝」。
O君曰く「それ、まだ生きているんですよ」。
しかし一度皿に盛ってしまったものをバーベキューの網に返すわけにも行かず・・・・・・根性で食いました。
なあんだ生きているほうが美味しいじゃん・・・・・・いや、ホント。
皆さんも貝の焼き加減の見極めには苦労していたようです。
「もう大丈夫ですか、コレ?」
「あ、まだまだ駄目です。ねばねばしたのが出ているでしょう? まだ生きていますよソレ」
偉そう。
実は今回の旅の目的のひとつは三上さんと打ち上げすること。
普段のライブだと三上さんは東京から千葉の自宅に帰らなくてはいけない。
ので、打ち上げができない訳です。
それが寂しくて今回のツアーに参加したといっても過言ではないのです。
「よう、ちさと。今日の俺のステージどうだった?」
なんてな会話ができて嬉しかったなあ。
実際のところ、三上さんの演奏にエレキ・ギターでどう絡むか? 
というようなことを考えながら観ていました。
テラヤマ新聞のカネコさんが三上さんとのツーショットをパチリしてくれました。
三上さん、いい具合に酒焼けしています。ちさとさんは髪切りたて。
写真のように半袖Tシャツ。ここ小泊の夜は寒い。
絶えず火の傍にいました。
ただ異常に澄んだ空気だったので、都会でのバーベキューのように「身体中がバーベキュー臭くなる」現象がない。
発見ですな。
ちなみに三上さんに話し掛けたくて仕方がない皆さんに、偉そうに仲介役を買って出たのはわたしです。
「あ、三上さん、この方が話したいって」
大きなお世話だったといまは反省してます。
イカ焼きそばが争奪戦でしたね。
作っている最中からひとが群がっている。
アルコールと炭水化物に群がるぼくにO君が「ダイエットはどうしたんですか?」。
いいんです、もう。
ここで三上寛ファンクラブ会長の意外な真実が!
なんとジミ・ヘンドリックスのアルバム、シングルを6千枚も持っている!
「もう通し番号、レコード番号の違いが重要だからね。まあ、おれが世界一のコレクターだな」
確かにそうかもしれない。
ただ・・・・・・。
それだけのお金を投資するならジミ・ヘンドリックスが使っていたギターとかを買ったほうがいいように思えるのはミュージシャンのはしくれのぼくの意見。
宴の席には元天井桟敷の関さんという女性が同じテーブルに。
初めのうちは異常におしゃべりな方と、遠巻きに眺めていたのですが、宴の最後に、この方が歌った「大鳥の来る日」という天井桟敷の演目の主題歌が非常に気に入りまして、ぼく、後日、ARTLAND小金井で歌いました(後述)。
小泊の夜にその歌声が綺麗にこだまするんですよ。
宴の最中の席取りは、この時点ではまだ「演劇派」と「音楽派」に綺麗に分かれていたと思います。
来年はもっと予習して交友関係をスムーズに広げたいなあ。
宴の終わりには記念写真をパシャリ。
こちらはテラヤマ新聞さまからいただいた写真です。

9月4日
新宿雑居ビル火災の話題で持ちきり。当たり前ですよね、大惨事ですもの。
思い出すのは数年前、同じく防災の日、9月1日。「いまいるこの部屋、ボヤ発生」という事件。
寝ていたんですよ。グーグー。ところが夜中4時位になって咽喉が痛くなって目が醒めたら・・・・・部屋中真っ白。煙です。焦って飛び起きたら自分の掛け布団が燃えている!
ぼくは寝床での読書癖があって、その晩も白熱灯を点けているのですが、消すのを忘れたよう。
その白熱灯に掛け布団が覆い被さって・・・・・・一面煙だ・・・・・・。
燃えている布団を掛けて寝入っていた訳です、ぼく・・・・・・。
視界が利かない中、浮かんだのは「あらら、火事起こしちゃったよ、オレ」という言葉。
慌てて焦げ付いた布団をバシバシ素手で叩いて消す(不思議なことにヤケドはしませんでした)、窓を全開にして煙を追い出す。
ええ、このとき違う部屋で寝ていた両親(当時は同居)。母親は飛び起きて手伝ってくれましたが・・・・・・父ちゃん、最後まで寝ていました・・・・・・。まったく薄情な親を持ったものだと思います。
幸いボヤで済んだものの、その後、1ヶ月位、部屋から煙の匂いが取れない・・・・・・始終換気しているのに・・・・・・掛け布団を買いなおす・・・・・・当時、学生だったぼくには痛い出費。
まあ、一酸化炭素中毒で死んでいたかもしれませんので、早めに目が醒めて良かったです。
この出来事でどんな物が火元になるか分からないということを学びました。皆さまも火の用心。

9月3日
毎度お馴染みの「web引きこもり」。体調最悪。
病床で「Dr.スランプ 鳥山明 集英社 」と「ドラゴン・ボール 鳥山明 集英社」を全巻読破・・・・・・。
ポストモダンの漫画だね。哲学がない。
ただ発見したのは「Dr.スランプ」って、こんなにアメリカン・コミックのタッチを忠実に再現していたんだ! ということ。
昔、読んだのは小学生の頃。アメリカン・コミックの影響なんて、ちいとも分からなかったな。
「ドラゴン・ボール」は初読。
徐々に書き込みが浅く、絵が汚くなって行くので、その点、気分が悪かった。
そうそう「月刊テラヤマ新聞」が届きました。封書の宛名が「なかおちさと」であり、本名の「中尾千里」ではないのがなんだか不思議でした。
今回の「月刊テラヤマ新聞」は本当にあの旅に帰りたくなる内容。冬の青森にも行ってみたくなったなあ。というか無性に旅に出たくなりました。
8月4日
自由時間が終わる。ちょっと宿舎で1分程ごろんとなると、畳に身体が吸い付くほど眠くなっていた。
さて「三上寛Live!」at 小泊村公民館。
ライブ前に旅を共にしている女の子などに訊いてみると「生の三上寛さんを観るのは初めてなんです」とか、もしくは三上さんをあまりご存知ない方が多くてびっくり。
後に旅から帰ったあと、武蔵小金井のしなびた小料理屋さんで三上さんと打ち上げしたとき、
「音楽派と演劇派に分かれていて、最初は互いにけん制しあっていたんだけれど、徐々に近づいて行く感じがしたな」と仰っていました。正にその通りでぼくのような「音楽派(単純に三上寛、浅川マキライブが目当てという意味で)」は少なかったような気がします。
小泊村に三上寛ライブの一報がこだまする。「本日午後6時より公民館で・・・・・・」って。いやあ、なんだかメガホンを常設したような装置で宣伝するんですねえ。些細なことですがぼくの住む横浜では考えられないこと。見知らぬ土地に旅しているんだなあって実感。
さてライブ会場。結構立派な施設。横浜で言うと「区」が持っている施設に相当するのでしょう。
三上さんのライブを純粋な観客として見ることが出来るのは七年ぶりくらい。
ソニマージュ・レコーズ「サボテンだらけの部屋」でのお付き合いでは主催者&共演者として。
毎回、自分のパフォーマンスが終わると休む間もなく、「次、三上さんです、よろしくお願いします」などと言っていたので。
その分、今回は気楽なのが新鮮。
新鮮といえば、この晩、三上さんはGIBSONのアコースティック・ギターを使用。
いつもはテレキャスターやグレッチなどのエレキ・ギターなのですごい新鮮。
三上さんの足元にはきちんとモニター・スピーカー。
このモニター・スピーカー。横浜の「区」の施設ではあんまり置いていない。去年、踊りのバックでマンドリンを弾いた時にモニター・スピーカーがないことにびっくりした経験があります。
アコースティック・ギターだと普段のエレキに較べて音が柔らかい。
その柔らかい音に合わせるかのように普段、聴かれない曲を演奏してくれました。
感動の60分。いまでもあの雄姿が思い浮かぶなあ。
照明の方もとても上手でした。いつも東京で聴いている、観ている三上さんとは一味も二味も違って、ああこれが旅かと思い起こすものです。
感動のライブはしめて60分。会場には地元の方も多くいらっしゃいました。
帰り道O君やその他の皆さんと基幹センターに向かう途中、漁船が港に到着。陸揚げの風景が見られました。
採れたばかりの魚などが網に掛かっています。小泊はやはり漁村なのだと感動もひときわ。カメラ、愛機RICOH GR-1に収めました。
大判でお見せできないのが残念な傑作に仕上がりました
さあ、基幹センターではもう夕食のバーベキューの準備がちゃくちゃくと整っています。

8月30日
渋谷ギャラリーLE DECO 6Fで、ページ「sonimage groupement」の作家、
石塚H.B.S隆則の初めての個展「裸の大宇宙」が今月28日〜9月2日に渡って開催中です。
ぼくは会場への作品の搬入をお手伝い。驚いたのは画伯が作品の順列を考えていなかったこと。ぼくは画家ではないのでよく分からないのですが、「自分の作品は一枚一枚の中に凝縮、完結しているので、色々あるものを順番に並べてゆくのは考えない」とのこと。そんなものなのかあ、絵描きさんとは、不思議なものね。
なのでサイト構築の要領でレイアウトの案を出すことでお手伝い。実は搬入の当日は徹夜明けでフラフラ。体力がまったくない。役に立てるのはレイアウトの案を出すことだけ。なにせ他の女の子よりも体力がない。というか手足が無性に震えて、もう「人間としてヤバイ」。あれで頭も使わなかったら、なんのためにお手伝いして、あとでタダ酒ごちそうしてもらう算段なのか大いなる疑問符を投げかけられたでしょう。そこは自分の感性を信じて、大筋の流れについては随分でしゃばらせていただきました。いい形に仕上がったと思います。絵に物語を読んで順列する。楽しい仕事でもありました。
あ、で、そうそう、そんな甲斐あって、見事にオープン、展示されています。皆さま、ぜひ遊びにいらしてください。画伯の大作力作多数展示中です。サイトで観るより迫力がありますから。「愛らしい四次元生物たちの<邪気に満ちた>饗宴」。
お問い合わせ:TEL..03−5485−5188、e-mail:h-b-s@dk.pdx.ne.jp(テクスト形式のみ)

さて、オープニング・パーティでは画伯の友人が揃って駆けつけました。わたし、皆さんから盛んにデブ呼ばわりされました。「胸が大きい」「腹が出てる」などなど。
そう、いま体重MAX無限大。
ただ「胸が大きい」ことが、オープニング・パーティの後に雪崩れ込んだ知人宅で思わぬ大活躍。
女装パーティです。
いやあ、久しぶりだな女装。
顔は柔らかつるつる肌なので(自慢大会!)、軽いナチュラルメイク・・・・・・1980年代のニュー・ロマンティックのミュージシャンみたいです。JAPANとか・・・・・・。服は本格的にワンピース・・・・・・パンツが見えます。さらに普通にしていても男としては破格に大きい胸。大きい胸って、それは小学生からなのですが、近年の精神安定剤の副作用のためでもあると病院で指摘されました。
いずれにせよ、もう存在自体がモラル・ハラスメント。酔っ払った石丸伯爵(彼も女装)がキスしようとしてきましたが、そのときはさすがに本気でブロック。ただ、そのときの恥らい方が女らしかったそうです・・・・・・。
渋谷にあるマンションの一室での饗宴。ゴージャス、デカダンスなムードだけは満載でした。ヒコクミンたちの夜は更けます。
それにしてももう29歳。来年は30歳です。
帰宅後、無性に後悔しています。
ただ、同じ面子による3〜4年位前の女装&鍋パーティの方が本格的だったなあとも思います。あの頃はもっと勢いが違ったし、野心も違ったなあって。
若さゆえ?
ああ、もうなんだか書いている日記からしてくだらないです。
ただ昔から(痩せているときは特に←ぼくの体重の変動だとあと5kgは減らせるのになあ、時期が悪かった→)女装には自信があるのは本当です。
小学校卒業まで、何処へ行っても女の子に間違えられました。外見から判断されて。さらに名前の「ちさと」は女の子という外見の印象に確信を植え付けるに充分なものでした。
だから女装というのは、ぼくにとってトラウマをわざわざ呼び起こし、対峙するようなもので、根が深いんです。一種の儀式めいたもの。あるいは自ら行う治療行為かもしれません。なんてのはウソ。根が深いものがあるのは確かだけれど、「女の子に可愛いと言ってもらうためだけにやる」年に一度程度の余興ですな。
ねえ、それっていけないことかしら?
あ、そうそう皆さんやっぱり稲垣吾郎は大して悪くないと言ってました。そうだよね?
いけなくないよね?
われらヒコクミン。

カールマイヤーのメンバーが勢揃い(石塚画伯、Kさん、ぼく)したので、ページ「the sonimage ep collection」に、いまとなっては幻の金字塔の「karl mayer.ep」のアップロードの承諾を得ました。満を持してのアップロードです。どうかこれだけは聴いてみてください。比較的に軽いファイルです。ヴォリュームは大きめに設定してください。ページ最下段に加えましたので、よろしくお願いします。
ああ、それにしても次回はもう少しまっとうな日記が書きたいものです。
最後に重ねて石塚H.B.S隆則展「裸の大宇宙」をよろしくお願いいたします。
sonimage groupement!!

8月28日
planBで灰野敬二パーカッションLIVE。
空間として面白い所なのは確か。
ただ音楽史を書き換える出来事が、こんな小さな小屋で、こんなに少ない観衆にしか見守られていないことがたまらなく悲しい。
本当に凄かった。
さきのアイルランド公演で耳の不自由な方が「音楽が聴こえるようになった」という逸話も頷ける。
さらに今回のplanB公演は灰野さんにとっても初めての試みが沢山あったという。
このさきもパーカッションLIVEは計画されているので、皆さんもぜひ足を運んで欲しい、です。
8月4日
電車に揺られてバスが待つ金木町に帰る、三上さん、O君、ぼく。
帰ると「バス・ツアー」の再開。
次に向かう土地こそ「三上寛の故郷」、青森県小泊村だ。
バスは走るよ。
道中、忘れられない風景がたくさんある。
まずは海!
思えば、ぼく、久しぶりの海。
たとえば地元横浜桜木町の海も見ていないもの。
それに桜木町の海とは「青さ」が違う! ←当たり前。
次に山!
ピラミッドの形をした山を見ちまったよ〜。
まるで人によって造られたような綺麗な陵線。実際に「ピラミッド説」もあるとのこと。
山自体が「神社」になっているのも神秘的。山岳信仰の究極でしょう。
以上のような感動的な(伝えきれない)自然風景に恵まれた小泊村にようやくバス到着。
「小泊村基幹集落センター」という建物が宿泊所。
ここでまず「小泊を代表してのご挨拶」などがあったのですが、その席に三上さんのお兄さんも同席。
弟さんとは違って随分スリム・・・・・・。本当にホントにご兄弟なのでしょうか? 不思議です。
ここでお昼ご飯。
いただいたのは「磯むすび」なる、「おむすびの亜種」。
海苔の替わりに昆布が巻いてある。
いやあ、あの味、いまでも忘れられないなあ。絶妙な塩加減、「潮加減」でした。美味しい。
昼食の後はしばし自由時間。
O君と小泊村をふらつく。
イカの丸焼きを売っているお店がいっぱい。ちなみに300円と格安。
ぼくは今回はダイエットの旅&「灰野さんの影響でちょっと肉、魚貝類は控えようかなと思っていた時期」でパス。
O君は美味しそうに召し上がっていました。
海水浴場に出る。
うっすらと水平線上に北海道が見える!
港から堤防を挟んで少し離れた所は本当に水が澄んでいる。
左手奥にうっすら蒼く照らされているのが北海道です。
この土地に来れて良かったとしみじみ実感。
そう言えばイカを売っていったお母さんがぼくとO君に「東京のひとは<みんな>スタイルがいいわね」と言ってくれました。
O君が滅茶苦茶スリムなのは間違いないのですが・・・・・・「お母さん、ぼくの太鼓腹見ます?」、ああ、29歳。

それにしても稲垣吾郎は大して悪いことをしたとは思えない。
いや、我が家のVAIOのモニター、TVが観られるので、いま「めざましテレビ」がね。

8月26日
グレン・グールドのバッハ10枚組BOXセットが輸入盤で入ってきた。オリジナル・ジャケット仕様。音質も良好。
なにより一枚当たりの単価が980円というコスト・パフォーマンス。
もう病みつきで聴きまくる。
いいねえ。
いい。
8月4日
さて、三上寛さんとO君とぼく、三人の一行は歩く。
芦ノ湖公園に辿り着くまでに紫陽花が咲き誇るのを見た。
そう、青森は8月になって紫陽花が咲くのだという。
本当に綺麗だった。真夏ということを忘れそうな爽快な空気。咲き誇る紫陽花。
この芦ノ湖公園、驚いたことに熊がいる。いやあ、でかいよ熊。ちょっと怖かった。
散策には三上さんによる植物ガイドがもれなくついてくる。
「この木はね・・・・・・」
もう知らない植物はないのではという程の博識ぶり。
改めて偉大さを実感しました。
太宰治の文学碑は小高い土地にあった。
斜陽館から15〜20分で辿り着いたよ。
碑には文字が、言葉が、刻まれている。
「撰ばれてあることの
恍惚と不安と
二つわれにあり」
碑の前で記念写真撮影。
画面潰れて、見えないですね。ごめんなさい。
碑の言葉を反芻する一行。
「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり、か。千里さんのことかな」と三上さん。
滅相もございません。
「灰野さんが言いそうな言葉ですね(←冗談ですよ〜)」とぼく。
「やめてよ。灰野氏だったら、この碑、真っ黒にされちゃうよ」と笑う三上さん。
三上さんの植物ガイドは続く。
「ほら、葉の裏が白いでしょ。この植物はゴムの木といって、青森から北海道にかけて、昔はいっぱい生えていたんですよ。ところがこの茎がマッチ棒の素材としてちょうど良かったんだな。だからいっぱい伐採されてしまって、いまではあんまり見かけられなくなった。あ、山ぶどうだ、それ」
「それ」という言葉と同時にジャンプする三上さん。
木の上のほうに生っている山ぶどうの実をぼくとO君のために採ってくれた。
まだ渋かったけれど、懐かしい素朴な味。
芦ノ湖はまさに「芦の湖(あしのみずうみ)」。
青森の雄大な自然にしばし飲まれた。
そろそろ金木町に戻ろうと三人。帰りは電車。
三上さんが電車の時刻を調べる。
11時44分。
「<いちいちよんよん>か・・・・・・」
↑の言葉が後に重大なカギとなるのですが後述。
電車は一両だけのローカル線。
それを見た途端、ちょっと噴き出しそうになったのは嘲りではなくて愛らしさのせいさ。
いまでもこころに焼きつく風景だもの。

8月25日
些細なことですがftpソフトに不具合があり、このページをすべてアップ・ロードできない状態が続いていたようです。ごめんなさい。もう治ったようですね、多分(この記事をアップしないとはっきりしませんが)。
8月4日
バスは斜陽館で停まる。
斜陽館は太宰治の生家を再現した建物。
太宰治は「津軽」にてこの生家について克明に描写している。
見栄ばかりを気にする父親が、やたら大きな家を建てたと。
実際、当時の民家としては大きな家だったのだろう。
太宰治ゆかりの品々などが模造品を含め展示されている。
井伏鱒二からの書簡などを見ると当時の交遊関係の面白さを想像させられる。
余談。
友人の絵馬ちゃんは結婚して荻窪に引っ越す。
井伏鱒二のお宅が傍にあって感銘を受けたとのこと。
「まだ生きているの?」
さて斜陽館をO君と一緒に覗いているうちに、遅れて三上寛さんが館内に入ってきた。
「凄いな。家長が家中をすべて見渡せるようにできているんだな。こんな家で自分の世界に引きこもるなんて大変だったろうなあ」
もう視点の出来が違います。わたしとは。
そう言われて見直してみると、なるほど子供にしてもプライヴァシーを隠し切ることが出来ないような家の造り。
RICOH GR-1の実力! 斜陽館の一齣。
この大きな家のどこに少年太宰治は隠れ家を見出したのか、「津軽」を再読してみたくなった。
三上さんが「ちょっと歩きませんか?」とぼくとO君に言う。
駅ひとつ分違えた所に芦ノ湖公園というのがある。そこまで歩こう。そこには太宰治ゆかりの文学碑があるという。
さあ、そこまで歩こう。
三上さんの歩く速度は早いんだ。もう「ズンズン」という擬音がぴったりに歩く。道が分からなくなったら、すぐひとに訊く。近くの商店のドアを開け、「おはようございます、ええと芦ノ湖公園ってどう行ったらいいですかねえ」←をひと息で言い切る。
津軽の人たちはみんな優しい口調で応えてくれる。もちろん津軽独特のイントネーション。津軽弁で。
空気は、夏の太陽が照っているというのに長袖でちょうどいいくらいにさわやかで過ごしやすい。
いい感じだ。

8月22日
8月4日
バスは走るよ。中途、嵐に出逢いながら。
緑が濃くなる。とても大きな山を見た。
もう東北と呼ばれる土地を走っているのは明らかだった。
ああ、なんという山なのか、誰かに尋ねればよかった。いまになっては候補が多すぎて分からない。
夜が明ける。ぼくはこれまでビール1リットル缶のせいで悪酔い。
吐くのではないかと一晩中眠れなかった。
お蔭で夜明けを望めた。くもり空から日光が落ちてきた。
バスは太宰治の生家を再現した金木町の斜陽館に辿り着く。
予定よりも少し早く到着したために斜陽館横の食堂にはまだ入れない。
それでもバスを降りた。
「どうですか 空気が違うでしょ?」と三上さん。
そう東京の湿った生暖かい空気とはまるで違う。空気が美味い。
あ、そうそう、バスは嵐を振り切りました。青空!
ここでこれからの旅をともにするO君が声を掛けてくれた。
「お若いですよね?」
誰が若いのだろう? え、ぼく?
「もう29歳ですよ」
O君は20歳。ベルボトムを穿いた長身の大学生。
こちら29歳。ブーツカットを穿いた小デブのSOHO(って無職なんだよな。警察によると)。
話をするうちに灰野さんにも興味があるとか。色々と尋ねられました。
「灰野さんってギャグとか言うんですか?」
「興味本位の質問は出来るだけ差し控えてください」というのが東京での顔。
ただ今日は旅先なので丁寧に答えてしまいました。
ようやく食堂に入る。弁当を頂く。
ええ、今回の旅はダイエットを兼ねていたのですが・・・・・・。
行く先々のご飯をきれいにいただいてしまったために体重にはなんの変動もなかったです。
三上さんのファンクラブ会長はここでもお酒!
日本酒のでかい瓶をお買い上げ。皆さんに振舞う。
朝からコップ一杯の日本酒を美味しくいただきました。
さて斜陽館見学。O君と。
それ以前に「太宰治とぼく」を以下。
太宰治をきちんと読んだのは大学時代でした。随分、遅いんです。
太宰治の「読み頃」の中学時代や高校時代、ぼくはアメリカ文学とフランス文学ばかり読んでいました。
「あえて無頼を気取るのは恥かしい」と先入観から思っていた訳です(これは後年になって反省)。
「太宰治を読むなら、ヘンリー・ジェイムス読んでいた方が格好いい」とも思っていた訳です。
加えて大きかったのが「北杜夫の初期純文学を小学生のうちに読んでいるから、太宰治も三島由紀夫も要らない」と当時、思っていました。
そうした拘りやそれこそ格好つけで「太宰治を読む年頃」には太宰治を読まなかった。
それが大学時代、カールマイヤーのヴォーカルのKさんとの出会いで軌道修正。
おそらく短期間の内に主な作品はすべて読み尽くしました。
話術の巧みさに眼を開かされたのですね。
ただ遅れて来た身です。
「ただそれだけ」といえば「ただそれだけ」。
太宰治の生涯に纏わりつく何かしらのものにも、「自己投企(←大げさ、心中するんじゃないんだから。他にいい言葉は?)」はできない。
冷静な自分がいます。
それが幸運なのか不幸なのか?
たださらに後に国語教育学の太田正夫先生と近しい関係になって、新婚の頃、先生が奥様と玉川上水を散歩しているときに男女の履物を見つけた。「ああ、また誰か入水したんだね(当時、あの辺りは入水自殺が盛んだったそう)」と奥様と話す。直後に太宰治玉川上水で入水自殺の報に出くわす。「ああ、あのときの履物が」。当時は入水した場所の公式発表が出鱈目。これでは太宰治が浮かばれないと警察に駆け込む若かりし頃の先生。いまでは先生が目撃した場所が太宰治入水のところとして特定されるに至った。その後、三鷹市が玉川上水ほとりに「ロマンス街道」という名前を付けようと企てたときに先生またまた活躍。住民の間で署名活動を展開して、「桜桃通り」という名前をつけた。「桜桃」は太宰治の晩年の傑作短編。
↑と、当サイトでは二回目の登場になるお話があり、そこから太宰治と少しは距離を縮めることが出来ました。
ただね、「庶民が飲む水の中に飛び込むなんて文学者の風上にも置けない」と太田正夫先生は思っているのね。ぼくもまったくその通りだといまなお思います。だから実作は買うけれど、生涯は買えないという「距離の置き方」に変わりはないの。
なんてな複雑な心境を抱えての斜陽館訪問。
次回はいつだ?


8月20日
「web引きこもり」の癖が出てしまいました。
「日常生活に支障を来たす出来事があると、webどころではなくなってしまう」の法則。
どんな出来事があったかは書けないのですが、いやあストレス。
不眠で大変↓
「その分、食欲も減退=痩せる」の図式がここ数週間続いていたのですが、
ある出来事を境に無闇な食欲復活!
また太りゆくのが怖いです。
そんなこんなの最近の生活の友がAMラジオと爆笑問題。
AMラジオ、ぼくの家、近辺でクリアに受信できるのはニッポン放送だけ。
なので「オールナイト・ニッポン」を聴く。
最近は番組名がオールナイトニッポン「.コム」という風に小洒落て来たことを知る。
ネタの投稿も葉書の替わりにFAXとE-Mail。
FMだと随分前からそうなっていたのですが、AM、それも「オールナイト・ニッポン」までIT革命かいと隔世の感(←言葉遣いがよく分からない)。普段、好きではないナインティ・ナインなんかも聴いたりして、日常の不安から眼をそむける。
爆笑問題は「爆笑問題とパックンの英語言論 メディア・ワークス」を何度も読む。
ネタが英文に訳されているところを何度も読む。
結構、いい頭の体操になる。
ただ、そのせいか今朝見た夢は大学の語学の授業風景。
あんまり思い出したくない記憶だ。
ぼくは病気のために出席できなかった分を小説を提出して補った過去がある。
先生、その節はありがとうございます。
↑てな日常をいつ軌道修正できるのか?
「web引きこもり」の癖は治るのかな?
あああ、夏休み。

8月15日
去年の夏のことだろうか、「今日は終戦記念日だから」と話したら、「朝鮮解放の日でもあるわよね」と答えられた。
そう、もう少し広い視野でさきの「世界大戦」を見なくてはいけない。
小泉首相の靖国神社参拝について世論が割れている。国内外で。
靖国神社は大日本帝政下、日本の侵略戦争を国家と一体となって促進する装置だった。
イデオロギー装置以上の、イリュージョンを越えた現実の装置だった。
「靖国神社問題は基本的には国内問題だ」
とNEWS23で自民党の高市早苗が馬鹿丸出しで喋っていた。
国内問題はやがて国際問題へと収斂される、そんな簡単なことにも鈍感らしい。
バブル崩壊、景気低迷を第二の敗戦とする論調が盛んだ。
小泉首相は国民の敗戦意識を鈍磨させるために登場したナショナリスト。
新精神主義の亡霊に多くの日本人が憑かれている。
しかしこうした動きに警戒、、さらには反対する勢力が消え去った訳ではない。
諦めないでこの国を生きる。
見送りの日

8月14日
8月3日〜4日
青森までバスは行くのです。三上さん、新宿の空を見上げ「ああ、いい月だ。どこまで追いかけてくるかな」。
「どこまで追いかけてくるかな」とは素晴らしい詩が開かれたよう。
バスに搭乗。ぼくは三上さんと一番奥の広いスペースに偉そうに、いえ知らない人ばかりでちょっと緊張気味。
三上さんを軸にくっついて交友関係を徐々に広げて行こうと臆病者の仕草。
そんな緊張を早くも解いてくれたのが、三上さんのファン・クラブの会長さん。
この方、後に問題を起こすのですが、それは後述。
なんとビールの1リットル缶とつまみを沢山抱えてやってきた。その姿を見て「さすが資産家」と言ったのは三上さん。
会長さん、ぼくに「呑める?」。
ずうずうしいのは百も承知。いただきました1リットル缶(最近、年配の方に素直に甘える癖がついていていけないです)。酔っ払った方が早いだろう。
バスの後部座席は男ばかり。濃いです。さて出発、乾杯。

「寺山修司さんに憧れて、東京に出てきました。今回は寺山さんを訪ねに青森へ帰るという初めての試みです」
三上さんから参加者全員へのアナウンス。
横に座ったのは滋賀県で「小屋」を経営していると言う方。
「なかおちさと。なか おちさと? なかおち さと?」
ぼく無言。
「突っ込みはイマイチだな」
関西人はこれだからよう、ブツブツ・・・・・・。
やっぱり早めに酔うことにしました。
出発から30分くらい経ってから、三上さんが「ちさとさん、食事は?」。
頂いたのはおむすびと鳥のから揚げ。奥さんが作ってくれたのかなあ。塩加減が絶妙なおむすび。
ビールにから揚げ。至福。
バスは走るよ。話題は灰野さんとぼくとの関係に。
会長さんが話に加わる。
ちさと「この前、灰野さんに最近、落語聞いていますっていったら怒られましたよ」
会長「落語? いいじゃないの。音楽は音楽を越えた所にあるんだから」
ごめんね、灰野さん。この話題はこれ以上書けません。ごめんなさい、皆様。
バスは2時間ごとにトイレ休憩を取る。
この時間がなかったらどうなっていただろう。ビール1リットル。毎回、トイレに向かった。
どんどん涼しくなって行くのが分かる。
新宿駅西口は21時で28度。
それが北に行くうちに涼しくなる。そうそう道中、雷を伴った嵐の個所があったなあ。どの辺だったんだろう。
さて、こう書いているとにぎやかな車内を想像されるかもしれませんが・・・・・・飲んだくれは後部座席だけ。
前の方の人たちは消灯後は静かに眠っていたように思います。
ふたり分の席にひとりコロンと横になっている女性とかは無心に寝ていました。
そうそう、消灯前には「田園に死す」を上映。ビデオ屋さんでアルバイトしていたときに観ましたね。久しぶり、2回目です。そうそう、我が家には「さらば箱舟」のビデオがあります。ビデオ屋ではパッケージが盗まれたものなんか、中身、本品をバイトに分けて貰えるんです。いいでしょ。
長くなっちゃった。今日はここまで。
バスは太宰治の生家を再現した金木町の斜陽館を目指して走るよ。

8月12日
昨夜、今夏のイヴェントでいちばん集中力を注いだ小金井ARTLANDでのライブが終わりました。
今年も夏はもう終わりというムードです。
嬉しいことがいっぱいありました。
まず8月10日、灰野敬二&RUINSのSHOWBOAT公演でジョン・ゾーンと出逢いました。
彼がぼくの昔のユニット「カールマイヤー」を知っていて、固い握手を求められました。
ジョンは本当に日本語が達者。
灰野さんと悪口合戦ができる位に達者。
ぼくも普通の日本語で応対しました。
「カールマイヤーって知ってます?」
「知ってるよ」
「あれ、ぼくです」
この会話に昔、苦労を共にしたメンバーが加わってないことに、正直、悲しかったです。
「あの頃、ぼくらはやっぱり世界を相手にしていたんだよ」

昨夜の小金井ARTLANDは途中、アクシデントが多発。
チューニング滅茶苦茶。右手が動かない。弦が切れた。
それでも三上寛さんにはお褒めの言葉をいただきました。
「アンダーグラウンドの新しいスターだよ」
キャ→!
誉め言葉は半分だけ記憶に留めておく癖がついていますが(増長しちゃうので)、三上寛さんからはやはり別格ですね。
記憶から離れない。
それでもミュージシャンは日々の精進。まだまだ成長に向けて頑張らないと。
昨夜のイヴェントもやはり三上寛さんだけは別格の力業。
自分なんてまだまだ、まだまだ・・・・・・。
ただ打ち上げの席で三上寛さんの故郷、青森県小泊村での公演依頼受けちゃった。
故郷のひとたちに見せたいって。

今回のライブは月刊テラヤマ新聞主催の「三上寛と行く、小泊&三沢ツアー」の体験が身体に生々しく残っているときの演奏。
青森のあの海の感じ。ご一緒した方は分かりますよね。壮大な自然。
そこから夢を抱いて東京に出てきたひとびとの決意の壮絶さ。それと横浜での日々の生活。
錯綜する思いを形に出来たかな?
まだまだだね。
日々精進で行きます。
皆様、本当にありがとうございます。

8月11日
今日のライブはいちばん最初に出ます。いろいろと零れ話が多いのですが、寝なきゃ! よろしくお願いいたします。

8月8日
8月3日(金)、新宿に向かう途中でお金を銀行から下ろしておこうと思っていた。
これから向かう青森の小泊村に銀行があるか不安だったからだ。
さて、駅前のキャッシュ・ディスペンサー、財布からキャッシュ・カードを出そうとするが・・・・・・ないよ〜、カード!
どうやら自宅に忘れてきたらしい。もう戻る暇(いとま)もない。
貧乏旅行を決意した。月刊テラヤマ新聞主催「三上寛と行く、小泊&三沢ツアー」スタートは心配ばかりだ。
旅行は大学時代以来になる。それも東北方面にはこれまで一度も行ったことがない。
道中、知った顔は三上さんだけというのも心細かった。折から、持病の抑うつで多分に気が滅入っていたからだ。
新宿の待ち合わせ場所にはまず三上寛さんが現れた。
「やあ、来てくれたんですか?」
元気な三上節だ。早速、8月11日の共演話になった。
「わたしはあなたの世界が好きだな。ちさとさんの世界はね、小説でも絵でもなんでも通用するよ」
というお言葉が印象的だった。余りの賛辞に返す言葉をしばらく忘れてしまった程だ。
続々とひとが集まる。新宿駅西口のスバルビルの自動販売機前。
思いのほか若い女性が多かった。
旅はまだ始まらない、もしくは始まったばかり。
先ほど、三上さんから頂いた賛辞を呆然と反芻していた。
音楽でありながら音楽を越えたものを鳴らしたい。
それがぼくの音楽に対する設計図段階でのスタンスだったから。
いい旅になりそうだ。
新宿駅の上には月が煌々と照っていた。
カメラ、RICOH GR-1に収めた。
新宿 f2.8 RICOH GR-1なら夜間もストロボ要らず。

8月7日(初心者の方、日付のつけ方はいい加減です)
「月刊テラヤマ新聞」主催の三上寛と行く、小泊&三沢ツアーから帰ってきました。
素敵な出会いがたんまりとありました。
素敵な出来事がたんまりとありました。
詳細は・・・・・・まずはちょっと寝かせてくれ。2日間完全不眠だよ、いろいろと事情があってな。
あ、「ダイエットの旅」としての目論見は失敗しました。仕出しの弁当のせいだと思います。
あと出かけるときに家のカギを掛けるのを忘れていました。
メイン・バンクのキャッシュ・カードを家に忘れていたためにとんだ貧乏旅行になりました。
なので、お土産はないです。
替わりに頼まれもしないのに「土産話」は克明に書くからさ。
ただまずは睡眠。
す、い、み、ん。

失礼、まだ眠れないや。
灰野敬二のスタッフを公募しております。公式webページでは発表しにくい内容なのでソニマージュ・レコーズ(代表なかおちさと)が代行いたします。
主な業務、器材運搬、簡単なチラシ作成です。
シフト制で動かして行く予定なので、負担は軽減されます。
今回の募集は都内にお住まいの方に限らせていただきます。
ご興味、ご関心のある方はお気軽にソニマージュ・レコーズ
sonimage@v005.vaio.ne.jp
までよろしくお願いいたします。

8月3日〜6日。
青森に旅に出ます。
更新作業など出来ません。ごめんなさい。
楽しんできますね〜!

あ、うちのVAIOのディスプレイね、TVが観られるんだ。
画面の隅に小さく。
いまねある会社のCMが流れたんだ。
大学4年生のときは集英社で編集補助のアルバイトしていたんだけれど。
雑誌広告のポジを取りにその会社の本社にお使いに行ったんだ。
そしたらね、中学生のときのネイルフラン、マドンナ的な存在のひとりだった女の子が受付に座っていたんだ。
すっごい偶然の再会。しばらくお話していたあの瞬間はなんともいえないものがあったなあ。
ぼくは家でギターばかり弾いていて不登校児で有名。
彼女は学園のマドンナのひとり。
不思議な間柄なんだけれど、孤高同士の親密感みたいなのがあった。
うん、素敵な時間だったって、いま思い返した。

8月2日
漫画のことを考えている。参院選が危険な結果に終わったのに呑気ね。
灰野さんが読んだらなんて言うだろう。
ぼくの読むのは主にメイン・ストリームの漫画です。
もう漫画に凝る歳でもないのでね。あ、そんなこと書いたら友部★人さんに悪いか。
ただ今週読んだ2冊の漫画がやけに気になる。もしくは気に入った。
まずは
「ヒミズ 古谷実 講談社」
もうお笑い辞めと帯に書いてある。うん、炸裂した笑いは微塵もない。ただ心の蔭がにやりとした。
このひとは毎回、思いつきで連載始めるから主人公が徐々にフェイズして行く感じがある。
今回もそれ。
一生を凡人として暮らすことをモットーにした男子中学生。しかしやがて周りから崩壊して行く。
今回は結構な社会派ですね。
正直、読んでいてすっごい面白い訳でもないのに、こころに引っ掛かるのがいいね。
次!
「月と雲の間 岩館真理子 講談社」
ええ、切ないです。終盤が大団円なのはこのひとのいけないところだけれど、ハッピー・エンドに至る過程は切ないなあ。離婚した家族の物語。深夜のコンビニが映画「スモーク」でいうと新聞屋さんみたいな存在って、「スモーク」観ていないひとには分からない例えでスマン!
ところで20代最後の夏を岩館真理子の漫画を読んで過ごす男って、正直どう思います?
かといって漫画を読まないのがスマート?
それとも友部正★さんのようにガロ系に走ればOK?
読みながらそんなことが頭をチラチラ。でも新刊が出たら買うんだよなあ岩館真理子。
「アリスにお願い(←書名あってます?) 岩館真理子 角川書店(出版社あってます?)」に20歳かそこらのうちに出逢ってしまった男の悲しい性。
でも今作でも巧いんだよね、細かい描写とか。
久しぶりのマスト宣言!

8月1日
灰野さんと電話で密なお話をした。密すぎて内容は書けません、あしからず。
ただし今後の灰野チームになんらかの形で合流することになりそうです。
BBSで語られていた灰野掲示板は非常に厳しい条件をクリアしながら管理すればOKとのこと。
条件とは難しいものひとつだけ。それ以外は特にないのですが、誰が責任を取るかを明白にする所でぼくがしっかりしなければいけないようです。相当な準備期間が必要です。皆さんのご助力無くして実現しませんのでよろしくお願いいたします。
それにしてもぼくはなんで一ミュージシャンでありながら、灰野さんや三上さんを紹介しつづけるのか?
その根本を灰野さんをお相手に熱く話しちゃいました。電話なのに正座なんかしたりして。
この国、あるいは世界の音楽地図を「よりまっとうなもの」に塗り替えるには、ひとりの仕事では不可能といっていいと思います。
そこで問題になるのは新旧世代の「継承」というテーマ。
ぼくは本物と目した人から、まっとうな継承をし、さらに次の世代へと贈らなければならない。
それをあと30年単位で考えています。
60歳まではギター弾きであろう。
途中経過、8月11日(土)小金井ARTLAND弾き語りライブへ、皆さん足を運んでいただけたら嬉しいです

sonimage2.htm

7月29日
yahooでソニマージュ、もしくはsonimageと打って検索すると約90件のページが反応する。
トップにはこのサイトが浮かぶ。その他、ぼくの書き込みやリンク先の方々のページ。
そして「本来のsonimage」=J.L.G=ジャン・リュック・ゴダールに関連する記事だ。
ぼくは街角のレンタル・ビデオ・ショップで働いていた。
高校中退から大検合格を経て、大学受験までの間にその店にアルバイトとして入店。
当時は昭和天皇の死去(あの男に関して「だけ」は「崩御」なんて言葉、使いません、あしからず)でレンタル・ビデオ・ブームが巻き起こったその渦中に入店した。
その店にはゴダールは「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」「カルメンの女」しか置いていなかった。
大学3年生の先輩がぼくのことをいたく可愛がってくれて、そう、ジーザス・アンド・メリーチェインの美学を完璧に身につけさせてくれたおかげで、いまのぼくがいる。
ソニック・ユースなどのUSシーンはそれ以前にかぶれていたのだけれど、UKシーンの独特の美学はその先輩に教え込まれた。
いま思い返すと、ゴダール「気狂いピエロ」との幸運な出会いも先輩がセッティングしてくれたなあ。
「勝手にしやがれ」はテレビで以前に観ていたけれど、その先輩のチョイスによる「気狂いピエロ」は、意義のうえで凄い重いものがあった。
ぼくの映画に対するスタンスを決定付けさせたと思う。
sonimage/ソニマージュという言葉やその意義は後の大学時代に知った。sonimage=ソニマージュという点では「気狂いピエロ」なんかよりも「カルメンの女」の方が色濃いことも知った。もうそのとき、先輩は社会人。ぼくの前からいなくなっていた。独学で拾った「sonimage=ソニマージュ」という言葉。
この「sonimage groupement」では総合芸術(家)の緩やかな連帯という意味に普遍化している。総合文化でもいい。つまりJ・L・Gの「sonimage」とは「意義が完全にかけ離れている」、もしくは「まったく違うもの」でもいい。
だから90件のうち3分の2位を占める「sonimage=ソニマージュ」研究家の皆さんには本当に申し訳ない。
ただね、その芸術創作の場面に唯物論を「創作方法」として用いる、あらゆる芸術のあり方に最大の敬意を払って、この名前を付けたんです。
先輩は21歳で、ぼくは16歳だった。
ソニマージュ・レコーズとsonimage groupementの旗を果敢に掲げたとき、奇しくもぼくは21歳になって、知らぬうちに当時の先輩の歳に並んでいた。

7月27日
ごめんね女の子
大阪、兵庫を跨いで? 痛ましい事件がありましたね。女子中学生の、あれは拉致、殺害。
結構ショックを受けました、なんだか。
自動車から投げ捨てられたということは犯人は成人ですよね。
心配なのは家出をしたということで少女を詰る輩がいるかもしれないということ。そこから少年社会の問題点に論議を摩り替えたり。
でも、それを言えば、それこそ少年法改正論議など少年社会について語るときに抜け落ちてしまう論点は、大人(ぼくもその一員ですが)だって、大人こそ滅茶苦茶だよということを指摘したくなる。
こうした指摘は現在でも、しっかりした論者からはチラホラとは見かける論議なんだけれど、即席型メディアのテレビなどでは無視されてしまう。
でも本当に重視しておきたいのだけれど「それとこれとは話が別」じゃないんだな。
少年社会を支えているのは実は大人なんだ。
その辺が無自覚な大人が増えている、どころじゃないですよね。
ぼくは胸張ってモラルを語れない人間ですが、殺人は別。無論、少女は、少女だけは殺さない。
実はこの事件は書くのさえおぞましいんだ。嗚咽が出る。
多分、ぼくのナニカにやたら触れるんですよね。
ただレスポンスせずにはいられないナニカも同時にあるんだ。
薄暗い側面かもしれないな、女の人に対する。
そう、モラル欠けまくって生きてきたから。黒い塊が咽喉元にある。
段々、論考は自分の暗い部分に下りてゆく。
駄目だね。ここから先はwebでは書けない。
ひとり反省の時間をください。大人だって滅茶苦茶だよ、か。
ごめんね女の子、黙祷

7月26日
パニックが渦巻いている
重い薬をいま飲んだ
鈍い眠気が
やがて強固になれば
今日の
「渦」

眠りのうちに免れる

渦は不定期に
しかし確実に訪れる
死ぬ方法を考える
そんな渦もある
例えば
後でいちばんお金がかからない
死に方を
もう年老いた
両親のために

錯乱している
「翳りが出てきた」と
島尾敏雄は書いた
独特の言葉遣いだ

そう言葉遣いに
気をつけなくてはいけない
それが病なら
位相の言葉が必要とされる
それが病なら
治療に位相した言葉が
必要とされる

例えば
快復を急がないで
忘れられた頃に
快復
それは届けられるものだから

今日の渦をやりすごす
病を抱えたものは
独自に
それを身に付けている
他者のいたわりの言葉では
生き残れない局面に

ひとり
伏している




世界へ
ひとつの願い
「みんな一緒」
「ぼく、わたしと一緒」
そんな
等号で結ばないで欲しい
それが
どれほど凶暴な
暴力か
想像して欲しい




仲良しを
つくるために
病を抱え込んだ
わけではない

渦の形相は
病者
ひとりひとり
ちがいなの





私が病なら
病それ自体を
根絶しようと

自らを傷めるだろう




それが病なら

7月23日
BBSでイリヤさまに紹介いただいた田中ミン(うちのIME鍛えてないので出ない。さんずいに民です)さんと灰野敬二さんの公演をどうしても観に行かなくてはいけなかった・・・・・・けれど夏風邪。
吐き気、めまいで相変わらずの体調不良。
「脆弱なる絶対 スラヴォイ・ジジェク 青土社」が最高に面白い。
マルクス批評をポップ・カルチャー批評に置き換えてしまう難点がいまのところ見受けられるのですが、これからどうなることやら、随時ご報告。
実は数年間かけて書いているライフ・ワークの小説があるのですが、それの新たなる下敷きになりそうな思想家の登場にドキドキしています。
ぼくのベースの思想家は現代ではテリ−・イーグルトンとピエール・ブリュデュー、柄谷行人なのですが、そこに新興勢力登場ですね。ジジェクには他にも著作が何冊かあるので、ジャック・デリダ熱は一時冷めるかも。
ただ自分の影響受けた思想家を羅列する↑の記述はなんだかいけないなあ。「お里が知れる」って言葉がありますよね。それに似ている。浅薄ですね。
詩作から小説、散文書きにシフト・チェンジ。
息の長い文章を、息を永く保って書いています。

7月22日
結局、友川かずきさんには行かなかったです。
体調不良。
どことなく不良なのが気持ちが悪い。
病院の待合室で「パッション ジャック・デリダ 未来社」を読了。
読了してしまいました。内容をなにひとつ理解せずに。
読了して「しまった!」という語感がいいですね。アンビバレントで。
再読しようかとも思いましたが、ただいま「読みかけの本 by友部正人」が交通渋滞中。
次はスロヴェニアの現代思想家です。
「脆弱なる絶対 スラヴォイ・ジジェク 青土社」
冒頭から「レーニン擁護!」。ははは楽しい。
レーニンはねえ、言ってることは分かるんだけれど文章がつまらなくて、二〇世紀中葉からバカにされまくってますね。
そこに最新の思想家が「レーニン擁護!」で登場。
しばらく楽しめそうです。

7月19日
友川かずきat渋谷アピアへ行く。
友川さんといえば、アルバム「エリセの目 友川かずき」への灰野敬二ゲスト参加。
メイキングをここに書いてしまっていいのかな。ま、アクセス少ないのでいいでしょ(コレコレ)。
実は当初、友部正人オフィス側が友川かずきさんと一緒にライブをやりたいとのこと。
その企画をぶら下げて、あとお酒をぶら下げて、横浜の某所でのライブに行きました。
そこは出演者もいつも、誰でも(!)気軽に会場で寛いでいるんです。
友川さんも早速バケツのような器にバーボンなみなみ汲んで、そこからちびりちびりと呑んでいらっしゃいました。
早速、企画の件をお話したら、
「ああ、そういうことでしたらOに」
この際にぼく、灰野さんと近い存在ということで挨拶したんです。
友部正人オフィスのパシリなのに、いつもの癖が出てしまって。
友川さん開口一番。
「ああ、灰野さんのところの。まだくたばっていませんか?」
友川節炸裂(灰野さんの関係者、特にimportantの皆さん、上述のところ灰野さんに見せないでください)・・・・・・。
灰野さんに「まだくたばっていませんか?」、凄い発言に絶句。
まあ、その日は友部正人企画で参上したのでね、すぐに気を取り直して、お話。
ところが友川さん、音楽の話から外れて事務的な話になると、すぐにマネージャのOさんに一任する。
その晩はマネージャのOさんと、サシでお話。
ところがOさん、ぼくの出身大学の先輩にあたる方。
ぼくが大学当時、学生運動やっていた話になると俄然、興味を示していろいろな質問を矢継ぎ早に撃ってくる。
傍では別の輪でなぎら健壱さんと友川かずきさんが大笑いしながら楽しそうに飲んでいるのに、その輪に加われない。随分、Oさんを恨んだものですが、灰野敬二ゲスト参加は、いま思えばOさんの口から出たもの。
帰り際に「友川さん、次のアルバムに灰野さん、参加してもらえば・・・・・・」
友川さん「ああ、それいいね。灰野とね、一発滅茶苦茶な奴をね、やりたいね」
たまたま灰野さんに近しい人間としてぼくがいた。そこから今回の共演が生まれた。
問題はその後、この企画を持続させるために、年初から何度もOさんにしつこく電話しました。
プロデューサーの生悦住さんにもぼくが電話でお話。
とにかく企画の「立ち消え」だけは、みっともないし勿体無いので、その点では尽力を使い果たしましたね。
かくして歴史的な傑作「エリセの目 友川かずき」完成。
当初の目的、友部正人企画は忘れられたままですが。

7月18日
先日のLaLa公演のDAT録音をMDに落としてキクへ。
なにせ35分しか演奏しなかった(リハでは43分位あったのにね)ので、MDに余りが。
ここでボーナス・トラックを入れておくのがミュージシャン、とりわけバンド内では大切なこと。
浜田真理子
里国隆(ええ、そろそろいい加減に「続・ソニマージュ・レコーズ」で真面目に紹介します)。
SON HOUSE(ブルース・マンの方ね)
リー・コニッツ
友部正人
そして古今亭志ん生の「火焔太鼓」。
キクは志ん生を気に入ってくれた!
志ん生は爆笑問題の太田光から情報を得た。
永い間、実際を聞かずして「伝説の噺家」と捉えていた。
父親が落語好きだったもので、小さんや彦六の落語は幼少の頃から聞けたが、そのとき志ん生の姿はもうなかったのかなあ、記憶にはない。
それが去年、HMVで出会った。ずらり全41巻(41枚)。バラ売りされていて良かった(当たり前か)。ポニーキャニオン盤の第一巻を手にした。
十八番の「火焔太鼓」がトップに入っている。昭和30年代初期のニッポン放送での録音。
話術についてはぼくが述べることではないだろう。素晴らしい。小説家としていい古典にめぐり合えたと書いておくか。
ここではその音楽性の素晴らしさを強調したい。リズム、トーン、メロディすべて最高の「ブルース」だ!
特に同時収録されていた小唄が凄い! 音の感性はシド・バレットみたいだ。
浮かんで、現れ、消えて行く。
落語の夏目漱石とも言われるが、落語を超えて音楽家に訴えるものも大きい。
全41枚には眩暈がするが、ブルースの古典をこまめに買うように揃えて行きたいね。
よっ、志ん生!

7月15日
体調不良甚だしく、読書会延期の電話を至るところにかけまくりました。
どうも夏風邪とはいえど、病に蝕まれた「こころ」のケアの方が大切みたい。
焦燥感が激しくひとつのことが手につかない。
いくつか治療薬でケアをしようとも、ここまで壊れたときは(副作用などすべてふくめて)重い薬を使わないと治らない。しかし読書会延期のお知らせをしなくてはいけないので、重い薬は飲めない。
辛い状況が昨晩も、ぼくを一睡もさせませんでした。
「幽霊たち ポール・オスター 新潮文庫」再読。
え! こんな結末だっけってびっくり。これはいい驚き。
当時のオースターをカフカ的世界というひとがいますが、「カフカ的世界」という造語が綺麗に当てはまる作家ってすくなくて、オースターもカフカではない。
もっと洗練されたベケットや安部公房に似ています。
それも「シティ・オブ・グラス ポール・オースター 角川文庫」「幽霊たち ポール・オスター 新潮文庫」だけにあてはまる形容。
それ以後の作品はもう「オースターだけの世界」と呼んでいいと思います。
一番好きななのはBBSでもお薦めしている「最後の物たちの国で ポール・オースター 白水社」。
ただ初めての方には「鍵の掛かった部屋 ポール・オースター 白水社」を。
オースター哲学の最良のものは「偶然の音楽 ポール・オースター 新潮社」。
そのひとそのひとにレシピを合わせるように、ぼくは色々たくさんのひとにオースターを薦めてきた。
多分、これから一層ね。 

7月13日(金)
太田正夫氏は国語教育学の権威。主著に「十人十色を生かす国語教育 太田正夫 三省堂」がある。
その先生の自宅で毎月一回の読書会を楽しませてもらっている。
今月のテーマは1980年代アメリカ文学の最高傑作「幽霊たち ポール・オースター 新潮文庫」。
学生時代に出会った。最初に読んだのは何歳だろう?
まあ、いずれにせよ今月のレジュメ発表者としてレジュメ以上の論文を書くためにこれから再読(これからかい! 発表は日曜日!)。
太田正夫先生の業績で腰を抜かしたのはミハイル・バフチン。あの映画「スモーク(これもポール・オースター原作だね)」にも挿話として話にあがる旧ソビエト連邦の大思想家、文芸評論(←以上だろ)家を日本に紹介した第一世代だということ!
大田正夫先生は国語教育に「読み」の多層性を柔軟に取り入れることを実践した。
その根底にはバフチンの「ポリフォニー文学」の解明という下敷きがある。
太田先生が実践した授業はこうだ。
まず、「ひかりごけ 武田泰淳」「変身 F・カフカ」を高校生にそれぞれ前期と後期に分けてじっくり読んでもらう→生徒全員から「第一次感想文」を提出してもらう→生徒全員の「第一次感想文」を、生徒全員分コピー、それを生徒全員に手渡し、読んでもらう→へえ、話したことがないあのひとは、こんなに深い読みをするんだ! などと生徒間のこころの交遊がはかられた上で、<あのひとの感想文のここが気に入りました、気になりました>という「第二次感想文」を生徒全員に提出してもらい→さらにまた全員分コピーして生徒全員に手渡す。
こういった作業を繰り返すうちに「暗い子」は「思慮深い子」へと生徒間の印象が変わる。これが太田正夫教育!
こういった教育を実践するために日本のポリフォニー文学唯一の人、武田泰淳が選ばれ、答えのない教材、F・カフカが選ばれるという仕掛け。
大江健三郎が「文学とは何か」で、小説執筆に小説批評、とくにミハイル・バフチンの批評を取り入れることを提唱するのは、太田先生の国語教育現場での実践の後!
そんな先生もいまは現役引退。お体の調子が悪いそう。
それでも毎月一回の読書会はのどかにやっております。最近はちょっと慎まし過ぎますが。

7月12日(木)
病院に行けないよう。木曜はそもそも休み。昨日のうちに行くんだった。
のに、家で伏してました。夏は苦手だなあ。あ、肝っ玉母さん帰りました。
ぼくの気がつかない所を綺麗にして帰ってくれてラッキー。
なんて感じで新しい日記をスタート!
読書感想を書くときとか、企画に進展があったときなどに更新します。日記じゃないじゃん。ちなみにただいまの読書はマンガ・・・・・・。
太田先生の読書会のために明日から「幽霊たち ポール・オースター 新潮文庫」を再読予定。
さ、新たなスタート、よろしくお願いします。
あ、そうそう昨日「プチ・そにまーじゅ・ぐるーぷまん」更新。小林君の絵はますます磨きが掛かってきたね。
あ、ちなみに音楽うるさいよね。ヴォリューム下げましょう。対策はそれしかない!!