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新雑誌「新しい天使」創刊のお知らせ、編


このページでは投稿記事も募集しております。
また、感想や出演交渉等も下記アドレスまでご一報ください。

info@sonimage.ne.jp


2004年
朗読パフォーマンス(テクストby恋川春町 wzなかおちさと、山崎怠雅)
12月28日
TUAA
http://www.creato-stage.com/tuaa-top.htm
会場:SUPERDELUXE
http://www.super-deluxe.com/
当日のパフォーマンス映像がDVDにて販売予定です。
お問い合わせはTUAAまでお願いいたします。



↑click it for more infomation!!

LaLa
8月12日(金)
at enn 仙台
仙台公演
NEW!!

なかおちさと <弾き語りexpanded> ソロ
8月27日(土)
渋谷・青い部屋
「BLUE VELVET NIGHT」

NEW!!


LaLa
10月1日(土)
東京池尻某スタジオ
TUAA
NEW!!


セント・ジェームス病院


今宵、この病院に逃げ込んだすべての皆様にまず悲しいお報せをしなくてはなりません。
先ほどこの緊急病院の受け入れ先である、市内のレニングラード病院で大規模な爆発があったそうです。
申し訳ございません。私たちもまだ詳しい状況など分かりかねます。
皆様まず落ち着いて!
まず落ち着いて!
お願いします。子供たちまで不安にさせないように、どうか声を荒げないでいてください。
わたし以外のすべての家族もまたレニングラード病院にいるんです。
特に姉の娘ミーナは生まれたばかり赤ん坊です。
姉も、姉の夫もどちらかというと浅黒い肌。
なのにミーナは繭のように白く柔らかい肌。

はい、確かな情報です。およそ一時間前、市街戦の果てに大規模な爆発が起こり、続いて空からミサイルが発射されたと聞きました。実際にレニングラード病院からすべての連絡が途絶えました。

空からの市街への爆撃はいまもまだ続いているようです。市街戦に駆り立てられた兵士達がまだ地上に残っている可能性もあります。どうか皆さん、どなたもこのセント・ジェームス病院に留まっていてください。ここは貧しい病院ですが、この地下壕だけは誇れます。これまでもこの地下でわたしたちの両親や祖父たちが幾たびの災難、戦禍を逃れてきたじゃありませんか?

はい?
ええ・・・・・・。確かに昨夜、ここで一五の少女が亡くなりました。あの・・・・・・失礼ですが彼女のご家族の方ですか? 意識不明の状態で運び込まれてきたために、わたしたちも彼女の名前など分からないままでした。そうですか、確かに彼女のご家族の方ですね? はい、髪はそう丁度この辺りまでの長さ

(役者は自身の髪の長さに合わせて、少女の髪の長さを説明する)

身長はこのくらい。

(役者は自身と同じことを身振りで示す)

左手は爆発の際に折れ曲がったまま。

(ここで役者は自身の左腕を肩の位置に上げ、肘は地面に対して垂直、肘を直角に曲げてぶらんとさせる)

この病院に運ばれたときから爆発のために両足が損傷していました。

(役者はこのとき両膝を奇妙な形に曲げる)

ピアスをしていました。銀色のピアスです。

(役者は右耳に当てた銀色のピアスを観衆に見せる)

被災したのは多分、新宿エリアだと思います。
この病院から程近い場所で、昨夜爆撃があったのは新宿エリアだけですから。
東京メトロの線路を延々と歩いてここに辿り着いたのでしょう。
怪我した体を引き摺って、負傷者にとっては決して短くない距離を歩いてきたのだと思います。

(役者、上述の体型そのままに重い体を引き摺るように前方へ一歩、二歩と歩を進める)

この病院の門の前で彼女は意識を失ったようです。

ご家族の方ですか? 彼女のご家族の方ですか? ミーナは無事ですか? あの可愛いミーナは無事ですか? わたし新宿エリアを歩いていたんです。そのときとても大きな爆発がありました。その後、わたし、地下に逃げ込みました。左手と両足を怪我していました。地上では水と食糧を求めるひとたちが飲食店を破壊していました。わたしは地下に逃げました。地下鉄が機能しなくなってもう二年も経つというのに線路だけは地下の闇の中に整然と続いていて、希望をもって北へ向いました。レニングラード病院には可愛い姪のミーナがいるんです。家族もまたレニングラード病院にいるんです。
特に姉の娘ミーナは生まれたばかり赤ん坊です。
姉も、姉の夫もどちらかというと浅黒い肌。
なのにミーナは繭のように白く柔らかい肌。

わたしの焼け焦げた肌とは違って、繭のように白くて、わたしの焼け焦げた肌とは違って、繭のように白くて、わたしとは違ってレニングラード病院で息を引き取ったの。家族もみんな死んでしまったと思う。ご家族の方ですか? 彼女のご家族の方ですか? 確かに昨夜、ここで一五の少女が亡くなりました。失礼ですが彼女のご親族の方ですか? 意識不明の状態で運び込まれてきたために、わたしたちも彼女の名前など分からないままでした。そうですか、確かに彼女のご家族の方ですね? 髪はそう丁度この辺りまでの長さ

(役者は自身の髪の長さに合わせて、少女の髪の長さを説明する)

身長はこのくらい。

(役者は自身と同じことを身振りで示す)

左手は爆発の際に折れ曲がったまま。

(左腕を肩の位置に上げ、肘は地面に対して垂直、肘を直角に曲げてぶらんとさせる)

この病院に運ばれたときから爆発のために両足が損傷していました。

(役者はこのとき両膝を奇妙な形に曲げる)

ピアスをしていました。銀色のピアスです。

(役者は右耳に当てた銀色のピアスを観衆に見せる)

ご家族の方ならば見覚えありませんか、このピアス? 一五歳の誕生日に貰ったばかりのピアス。このピアス似合ってる? わたし、このピアス、気に入っているの。ミーナ、あなたひかるものが好きで、このピアス、私に頂戴ってねだったわよね。ミーナも一五歳の誕生日まで生き延びてね。そしてらミーナのために素敵なピアスをあげるからね。わたし、ここセント・ジャームス病院で世界からアウトしたから、この世界からアウトしたから、闇深い地下壕のある病院。ここのひとたちは怪我したわたしを最後まで親切に介抱してくれたのよ。ミーナ、たまにはあなたの方からこの病院を訪ねてきてね。そうだわ、このピアス、ミーナあなたに使って貰いたいわ。だからわたしに会いに来てくれる、ミーナ?

(役者ひしゃげた身体をゆっくりと床におろし、息絶えたように臥せながら)

ひどく眠くなったの。ごめんね。











text by nakao chisato Apr.2005

ST.
http://www.sonimage.ne.jp/sound/drop_tsubasa.mp3



5月28日

私の「遠野物語」
準備編


家庭教師で浪人生に古文を教えています。

まあ、とにかく古文が嫌いらしく、だから古文の勉強をする。
こうした「嫌いだから、勉強しなくてはいけない」という勉強の有り様としてねじ曲がっているところが受験生ブルース。

私「いかがですか古文の勉強は?」
浪「ってか古文ってナニ?」

いきなり逆ギレかよ、プ。

大学受験「まで」の学校教育での古文勉強は確かにぼくも苦手でした。
件の受験生ブルースな浪人生が逆ギレしたくなる気持ちもよく分かります。

ぼくと古文との接し方での転機は「今昔物語」への興味が、読書人生のあるとき、それもここ数年のうちに起きたことを思い返すものです。

そこに書かれている内容、情報、情緒、思考と志向、文学世界、魑魅魍魎、世俗、文化など「中身が欲しい」から読んだんだよなあと振り返る次第です。

なので、授業ではまず教材の話の骨格をドラマチックに謳いあげます。

「大和の国にをとこ女ありけり。年月かぎりなく思ひてすみけるを、いかがしけむ、女を得てけり(大和物語)・・・・・・どうよこれ? マジこんな恋愛ありえなくない? いや、でもさこれに似たケースでさあ・・・・・・(以下、嘘、脚色、噂話)、マジ<いかがしけむ>だよねえ」

古語と超現代語をフルに駆使して盛り立てます。
内容を欲しくなってください。
ぼくも絶妙な間合いで、ひょう! とか、ウソ、信じらんね! ああ、でもラストいいっすねえ泣ける! とか頑張って奇声発してますから・・・・・・。

いや、いつまでも奇声頼りではこちらも無理すぎて持たないの。
日々、授業方針どうしようかと悩む中、目に入ったのが去年、調べ物用で手にした「遠野物語 柳田国男」。

ネットで注文したため、我が家に届いた日には調べ物としては用済み。積んだまま放置。

放置していたのには因縁があります。

我が兄がまだ家族と思えていた頃のことです(もう前に会った日が何年前のことだったのかも忘れてしまいました)。
高校3年生の兄、枕元にハードカバーの柳田国男全集を「要塞かよ!」ってくらいに高く積み上げ読みふけっていました。
やがて兄の目はいつの間にか、普段からどこかよその国(邦)を眺めているような目つきに変わり果ててしまいました。

「こんなのぼくのお兄ちゃんじゃない!」

当時まだ小学生だったぼくは思ったものです。

ただまあそこは兄を憎まず柳田国男を憎めです。

「お兄ちゃんを、ぼくのお兄ちゃんを返せ!」

可愛い弟の祈りは届かず、柳田国男はいつまでも兄を引きずり回し、現在、可哀相な兄は大学で教鞭を取るまでに至りました。

可愛い弟は柳田国男を忌避して生きてきました。

ま、可哀相な兄が帰ってこないことが憎らしいから柳田国男を忌避したのではなく、「兄のお下がり」だから可愛い弟としては忌避、抵抗してきたというのが正しいです。

でもね、実用(調べ物)で手にせざるをえなかった「遠野物語 柳田国男」。
調べ物としての用は済んだのですが、ちょっと読んでみると、おおおおおおお、古語(Not古文)の教材として使える!

現代の私たちにとっては充分に古語に属する文体。
更に読み進んでゆくと記述された内容、その面白さ、興味深さに目眩! 

神隠しという名の「誘拐」、殺人事件、東北以南でもあった「間引き」に近いものなのか、いまはまだ勉強不足ですが赤子殺し、人肉食などなどの因習が価値を即断することなく記述されているからこその、「読み手の自由度、思考力への訴えかけ」のチカラ。

内容を欲しくなってください。
古語文法の習得は内容を得るために確認しておく準備道具が詰まった旅行鞄。
旅行先は、当面、遠野郷にしましょう。
ぼくはそこで兄の姿を捜してみるよ。







(準備編了。本編に続きます)


「遠野物語」の不思議な魅力で件の生徒さんに教えている中で、我知らず「今もこういうこと、あるよね」と呟いてしまいました。

「遠野物語」の序文で<わが九百年前の先輩「今昔物語」のごときはその当時にありてすでに今は昔の話なりしに反しこれ(*遠野物語およびその記述)は目前の出来事なり>と柳田自身が書いていますね。

様々な事件、その固有の事情もまた様々具体的経緯があることを忘れてはいけないと自戒するうえで、ああ、でもその相似の局面の強固さは何だろう。経済の逼迫、困窮は生けるいのち、死に向かわせられるいのちの「値札」の安さに比例するなあ。

↑、このような「判断」が「遠野物語」自体では慎重に避けられ、容易に断じないことに徹底していて、いや、それが逆に様々な回想を湧かし沸かせていまぼくは熱の中です。

>此れを機に 兄さまと交信されるのも良かろうか と。

ふたり兄弟、かつ歳が離れている(我が家の場合は六歳)と、
男性は共通してこうした作業が下手くそなんです。

ただいま兄の名前でGoogle検索しました。

「日本史教科書」執筆・・・・・・フ、弟なのに露知らず・・・・・・。




5月21日

無精する音楽家、或いはインディペンデントの可能、不可能


皆さまこの記事の↑のスケジュールをご覧ください。
増えてますでしょ?

いや、しかしまだまだ増やすかもです。
そう、この「増やす」←コレな!
オレ、この「増やす」が足りなかったんだよ。
でも、これからは「増やす」よ。
自分から問い合わせて「出させていただくにはどうしたらいいんですか?」と連絡すれば、スケジュールって増えるのな!

以下はそんな単純なことにも気づかなかったつい一昨日の書き物です。




公演予定がぱたりと無くなった4月終わり。
私の目は死んだ魚のようであったと思い返します。

この間、小説家への転身も真剣に考えました。
また、戯曲だけは書けるので劇団をひとりで旗揚げして、芸人の方の劇団ひとりを困惑させようかとも思いました。
家庭教師、生徒さんの評判がよく、個別学習塾でも作ろうかと思い立ち、銀行でお金借りられないかふらりと立ち寄ったところ、投資信託新規募集銘柄3口買ってしまいました。

向井千恵さんのワークショップ。
横浜での主催を任されているのですが、公共施設は予約でいっぱい。
また横浜市の施設使用の手続きは無駄なIT化を施しまして、ネット予約のために「はまっこカード」なるものの発行申請をしなくてはなりません。
申請から発行までに1ヶ月掛かります。
発行された「はっまこカード」のIDを入力して予約抽選結果を待つのに更に1ヶ月ほど掛かります。
アホか!
3月、朗読会「溶鉱炉」でのDUO競演の勢いが、中田横浜市政のせいで削がれてしまいました(6月下旬、民間のアトリエスペースでやるかもしれません)。

ここのところ依頼をこなすだけで精一杯なスケジュールでした。
スケジュールすべて消化したときに、次なる依頼はありませんでした。
依頼頼りの不精者。

ああ、インディペンデント、遙か遠く。

舞踏家の芥正彦さんに依頼が来ました。
「受けるかどうか分からないし、まだ先の話なんだけれど、受けるのならなかおくんとやりたい」
光栄なお話ですが「受けるかどうか分からないし」「まだ先の話」というのは依頼にはカウントできません。

また、変なロケーションばかりに慣れてしまったせいで、ライブハウスにはまったく興味が無くなってしまいました。
ライブハウスというのは「予め音楽を聴きに行く」場所なので、どうも音楽をやるのにはしっくり来なくなってしまったんです。
まるでバンド「GHOST」のような心境です。
「実際にGHOSTの面々なら様になるのにねえ」とため息をつきます。

このまま家庭教師の仕事を続けながら今年一年終わるのか?

忘れかけていた言葉が蘇りました!

「オーディション」

おおおおおおおおおおおおおおおおおお、8年前くらいにLAMAMAで受けたっきり! 

合格はしましたが高いノルマで搾取された挙げ句に捨てられました。
LAMAMAは火事で燃えて鯨屋の支店になってしまえばいいと思います。

今回は中断している弾き語りワークを再開したく、ソロにて青○○屋のオーディションを受けようかなと思っているのですが、オーディションにも10枚のノルマがあり、ぼくの友達はさて何人いるのかと指を折ってみると、ああ、なんてことだ! これj










(未了)









↑の記事執筆後にアドバイスのメールを戴きました。
曰く、鳥井賀句さん主催の「BLUE VELVET NIGHT」@青い部屋ならば、オーディションなしの直訴型ですよ!

半信半疑ながらメールで問い合わせました。
10分後に返信。
「あんた名前だけは知ってますからテープ審査なしでいいです。よくみるアニメージュとかいうひとでしょ? 出してもいいです。どの日にするか選んでください」

・・・・・・出られるんだ・・・・・・問い合わせたら出られるんだ・・・・・・悩んでいた月日は何だったんだろう・・・・・・。

次は赤旗まつり辺りに問い合わせてみようかと思います。
(いや、まずハローワークに問い合わせろよときみは言うかもしれないけれど)

LaLa
8月12日(金)
at enn 仙台
仙台公演
NEW!!

なかおちさと <弾き語りexpanded> ソロ
8月27日(土)
渋谷・青い部屋
「BLUE VELVET NIGHT」

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LaLa
10月1日(土)
東京池尻某スタジオ
TUAA
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5月15日

中田宏横浜市長と自治体の死

最近、街角に家庭ゴミが置き去りにされているのをよく見かける。
4月より、ここ横浜市では「G30(ごみぜろ)運動」と銘打って家庭ゴミの分別の基準が非常に厳しくなった。
分別守らないゴミは回収不可のシールを貼られて放置される。

リサイクルの観点から「ゴミをゼロ化(再利用)する」ことを旗印に「G30(ごみぜろ)運動」と名付けたのだろうが、この施策が始まってから街角には回収されないままのごみが山積みになっている。

皮肉な話?

いや元々皮相な話なのだと思う。

回収不可のゴミ袋を見て、きちんと分別しないひとへと怒りの矛先が向くかもしれない。

「きちんと分別しない人がいるから悪い」

さて、そのゴミを「分別できなかった」事情があったとしたらと発想を変えてみる。

分別できなかったゴミ袋の主は何かしら事情のあるご老人かもしれない。
分別できなかったゴミ袋の主は何かしら事情のある障害者かもしれない。

↑の記述に「ご老人」「障害者」に対する偏見を含みうることは承知で、しかし敢えて例として提示する。

「きちんと分別しない人がいるから悪い」という発想は、個々人の生活者としての事情を<健常者>に一元化していることを反省しなくてはいけない。
元々、こうした一元的な思考、発想は形而上の殺人だ。
市民相互に不用意な悪意を生ませてはいないか?

中田市政誕生以降、福祉政策はばっさり削られ(特に老人福祉、障害者福祉)、ひとびとの暮らしはいま貧困に窮している。
ここでの貧困は生活の様々な領域に渡る。
市政のアナウンスなど最早、こうした人々には届いていない。

ここの日記にも以前書いたことがある。
「G30(ごみぜろ)運動」を機転にして、中田市政はゴミの回収を一部、民間業者に委ねることとした。
弊害はまずリサイクル資源の回収頻度の少なさとして現れた。

ゴミ集積場にリサイクルできるゴミを出せる機会が少ないために、各家庭の裏庭、ベランダにこそリサイクル可能なゴミが山積みで溢れている。
回収頻度を多くすれば済むこと。リサイクル社会を本気で推進するならば回収頻度は「G30(ごみぜろ)運動」施行以前よりも多くなくてはいけないだろうに、ある種のリサイクル可能なゴミの回収頻度はむしろ週一回から月一回へと減ってしまった。
原因はただ一つ、自治体が回収するのではなく、民間業者に回収を委託したこと。

リサイクル可能なゴミの収集を民間の回収業者に一任するのではなく、自治体行政が従来よりも積極的に取り組んでこそ、<自治としての「G30(ごみぜろ)運動」>の旗に説得力が生まれるというのに、実態は正反対の方向で動いているように見えて仕方がない。

またゴミ問題は消費社会、消費生活と切り離し得ない。
消費社会は消費者の他に、生産者なくしてありえない。
リサイクル、その「循環」に生産者がどれ程貢献しているのかがどうしても見えない。

「民間委託」

中田流、松下政経塾お得意の「ムダなコストの削減」。

さて、ゴミの収集を自治体行政で行うこと。
それ自体、無駄なことなのだろうか?
資本回収の見込みが絶望的なみなとみらい計画にいまだ莫大な税金を注ぐこととの比較検討を試みる。

「ごみ収集に関する問題と、大型公共事業とは単純に比較できるものではない」

お得意の返答が聞こえそうだ。

単純に比較しようと、複雑に比較しようともどうにも納得できない。

「ムダなコストの削減」

中田宏という男は自治体をまるで会社運営のように捉えてはいないか?
この男の有り様は自治体の長というよりも企業経営者の振る舞いに近くないだろうか?

この点での最大の罪は自治体というものに強固なヒエラルキーを当て嵌めること。
一企業の在りようとまさしく合致する強固なヒエラルキーを当て嵌めてしまったことに収斂すると思う。

「ムダなコストの削減」

さて、ムダの勘案、算定の仕方、その判定を下す者の寡頭政治。
「優秀な経営者」を頂点とするヒエラルキーの誕生。

ここ横浜市では「自治にこのオレ、ぼく、私が参画できない」。
この不可能性は、「自治」本来の在りようとは相容れない不気味かつ強固な「企業モデル」ヒエラルキーの存在のせいではないか?





上述、すべてユーモアのかけらもない文章は仕方なくして書いたものです。
公表、公開に必要なセンスの欠落。後日、改稿を約束致します。

先日、書店にて田原総一郎のコメント「世代としても新しいし、人間としても新しい人の登場だ。日本中が中田宏に頑張れといっている」というコピーとともに、このワイシャツの漂白だけは完璧な中田宏横浜市長の書籍が特設コーナーで平積みされているのを見ました。

「日本中が中田宏に頑張れといっている?」

ワイシャツの漂白だけは完璧な中田宏横浜市長。
この松下政経塾のトップ・スター、もしくはポップスターが、横浜市政のみならず、将来、また国政に訴えるというのか? 
中田市政のもとで障害者が働く場所が続々と閉鎖されてゆきました。「ムダなコストの削減」という謳い文句と重ねて震えるものがあります。至急発信しなければ血の沸騰が治らないです。

オレ、ぼく、私の生存に関わるなにがしかが、日々、この男によって挑発されています。

自治というのは生活なんです。
生活であるが故に、これ以上の譲歩は恐らく命を失います。


5月4日

人生の小田原

いま、0時32分。

うん、結構な深夜だ。

今晩は家庭教師で小田急沿線の生徒さんの勉強を手伝ってきた。

帰宅してネコにご飯をあげて爽健美茶の氷割りを飲みながらホッとひと息。
さて、もうこんな時間だ。

近年、頭脳労働者の帰宅時間は遅くなるばかりだという。
家庭教師もその例外ではないということだろうか?
いや断じて違う!

帰宅時間が遅くなった原因は極めて単純、生徒さんが小田急沿線だからに尽きるのではないかと、京浜急行沿線に住む私は思う。

小田急の路線図を見て驚いた。

「すげえ、小田原まで行ける!」

「すげえ、箱根湯本まで行ける!」

もはや旅である。

「行ける! 小田原まで行ける!」

そう、私はその気になれば、今夜、小田原まで行けたのだ。
恐ろしいまでの興奮の喚起。
今週は折しも黄金週間だ。

しかし私は小田原には行かなかった。
ここで心情に正直に綴ると、「小田原の方が私に向かって来なかった」のである。

なんというか私の中では小田原のグランド・ビジョンというものは常にあやふやなのだ。

試しにGoogleで「小田原」をイメージ検索してみた。
画像を見て欲しい。


1枚目

2枚目

3枚目

どれも今日現在が21世紀であることを忘れさせる画像である。
3枚目に至っては「情況不明であることこそ小田原の本質」ということを雄弁に語っているようにさえ感じる。

検索の仕方が恣意的に感じる人は自身で試してみるがよい。

http://images.google.co.jp/images?q=%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F&hl=ja&lr=&rls=GGLD,GGLD:2005-14,GGLD:ja&sa=N&tab=wi

他に見つかるのはかまぼこの写真くらい。
あとは訳ワカンネ。
いずれにしても決して私が恣意的に選んだ画像でないことがお分かりだと思う。

こんなところは家庭教師の仕事のついでに寄るべき場所ではないように感じる。

小田急の「オダ」って「小田さん」じゃなくて「小田原」の「小田」なんだべ?
小田原に「急行する」用事って、実はそんなになくない?

仕事のついでにちょいと立ち寄れる場所なのに、小田原というのはなんて遠いのだろう!
この遠さは「距離」に換算できるものでは決してない。
「時=空」に於ける遠さなのだ。
「時空」ではまだ物理くさい。
「時=空」と表記して丁度良いような超越性。



2005年、初夏。
いまだ人生に小田原が来ない。
それは決して幸福なことではないと胸に刻まなければいけない。



超越を既視できないその現況は、私の想像力と行動力という両翼が、いまだ羽ばたくに足らないものであることの証左なのだ。






4月のアクセスログ。
「カールマイヤーep」のダウンロード件数がひと月で9000件以上をカウントしました。

いいことばかりではないようです。
ぺ・ヨンジュンなどの韓流スター。
彼らを扱ったサイトのBBSなどに「いやがらせ」として貼られたりしてたようです。

やがての無政府状態を遠く予期する人間にとって、日韓中、三国ともその偏狭なナショナリズムの勃興にはうんざりです。
我が日の本、火の元。
教科書問題。
件の教科書の「記述、無記述」と宗教団体「生長の家」が信奉していたアジア観、物語との摺り合わせを検証したい。
不可思議なことにキリストの幕屋がつくる会に着々と浸透している現状、あれはなんだろう?
「サイレント保守」は結局、旧来の保守反動に飲まれ飼い慣らされてしまった無様。
「サイレント保守」はあまりに不勉強でした。
こうしたひとたちは不勉強だったからこそ、「それまではサイレントだった」とさえ思います。
言葉を得てサイレントではなくなった瞬間に破綻が起こりました。
言葉、思考のツール。
そうした蓄積の拠り所は結局、旧来の保守勢力から汲むしかなかったのだと思います。
一連の流れは当初の予期通りです。
新しくないということに注目します。

海の向こうの今次の教科書問題、靖国問題だけに還元されないように思えるナショナリズム事情。
コレ、マジ、ワカンネ。

(「抗日」こそが近代国家としての統一の徹底した基礎だった側面を深く考える。そうした反省の必要性は然り。
その一方で、しかし今回の「吹き出し方」固有のどこかぎこちない不自然さも見ます)

三者三様のあがきに巻き込まれること、それ自体は仕方なし。
日本国民だし、アジア人ですからね。

ただ、「カールマイヤーep」はあがくひとたちの思惑とは別様に響く。
ダウンロードされた9000件のファイルは、9000通りに響く。
「一元化を楽曲の構造として拒否する」
そのように創りました

そのように機能し、しかし、ひとところの思惑には帰納しません。
年若かった作者たち、メンバーの思惑にさえ帰納しなかったのが、この現況の元凶かも知れないとも思います。

いずれにせよ鳴っているそいつは誰をも味方しません。
軽やかなナンセンス程度の風。

いま鳴るべき曲はPUFFYの「アジアの純真」じぇね? と思う今日この頃、奥田民生と井上陽水は著作権を開放すべきです。
カールマイヤーのように。



4月18日

その声、高田渡を追いかけた日


高田渡さんの訃報に接した。
悲しいなんてものではなく、またその「業績」とやらに還元してなにかしらの言葉などを紡ぐこともできない。

想い出すのは高田渡さんご本人と電話口で直にお話させていただいた、そのときの「声」。
電話という媒体を通しているのに、いま横に立っているひとなのかと疑うくらいに「近い」声だった。

東京三軒茶屋にあるライブハウス「ヘブンズドア」の社長と灰野さんのライブ企画を立てたときに、フォーク少年だった社長の希望で「高田さん呼ぼう!」となった。
ところが「連絡先?おれ、知らねえなあ・・・・・・。中尾くんの方でいつものように探してよ」、オーイ!

いつもは所謂、灰野さん「界隈」なので探しやすい。
ところが相手は高田渡さんである。
絶望的な気持ちになりながらも各所へ電話。
いま再発でCD出しているレーベルで問い合わせても「いや、確かにうちから再発はしてますが現在の連絡先は存じません」。

現役で契約している場合は「仕事」が入るわけですから取り次いでくれるのですが、「再発」の関係では分かんないのかね・・・・・・。

「いや、僕は分からないけれどあのひとなら知っているかも!」

そう仰ってくださったのはキャプテン・○リップ・レコード社長の松谷さん(←問題がございましたら記事削除するかもしれません)!
高田渡とキャプテン○リップ・レコードで接点が結ばれるというのは事象自体がなんともサイケデリックなお話・・・・・・という程でもなく、松谷さんほどアクティブ活動していると顔の広さは当然のことなのだと思う。

松谷さんから紹介を受けた方に高田さんに連絡を取りたいこと、そもそもの企画が灰野さんのイベントでの対バン要請としるとびっくりしていた。
「灰野敬二と高田渡を同じステージにだなんて、これまであなたが初めてですよ!」
いや、ぼくじゃなくてヘブンズドアの社長なんだけれどね・・・・・・。

「でわ、知り合いがいますので連絡取ってみます」
折り返しの電話。
「知人によると高田さん、いま琵琶湖のそばの病院に入院されているそうです。病院の電話番号は・・・・・・」

↑グダグダと無駄に文章が長い。
ただ、この長さこそが当時の距離だったと思う次第。
ここまで「連絡先まで辿り着く」のに時間を要したのは高田さんだけじゃないかなと思い返す。

琵琶湖のそばの病院に入院中・・・・・・「肝臓、お酒か・・・・・・」。入院患者に病院宛で出演交渉なんてしたことない・・・・・・。

病院に電話。
「そちらの患者さんの高田渡さんとお話がしたいのですが?」
あ、はい少しお待ちくださいね。

「はい、電話変わりました。高田です」

近かった。
声が近かった。

何故、親しみもってこのひとが聴かれ続けているのか、音楽や歌詞や人柄に注目されてばかりだけれど、表出の出口たる「声」の特異さはあまり語られない。

もう一度、電話口での「声」を思い返してみる。
近い。
声が近い。

想い出す高田渡さんの「親しみ」。飄々としたステージ進行、MC、立ち振る舞い。それもそうかもしれない。ぼそぼそと喋っているMCでも何故に伝わってくるのか考え直す。「声」、素敵じゃなかったか?

企画の件は「退院が間に合わない」ので流れたのが残念。
ただ、思い返す。
話し方のそこかしこに「えばらないひとのプライド」が稟としてそこにあったこと。

「えばらないひとのプライド」
「えばらないひとの気品」

またここで高田渡さんは声とその音質を絶妙にコントロールしていたんだ。会話でもひとに弾き語るようにデリケートにある声。

忘れがたい声を記憶に遺して高田渡さんは逝かれてしまった。
でも、あの日、電話口での十数分間、その声の「近さ」故に、高田渡というひとは、亡くなられようともぼくにずっと近くありつづけるのだろうと思う。




なかおちさと




高田渡さんに関しての思い出はこの日に限られたものではなく、実際のステージや実家へのお電話(はい、まだ続きがあります)、楽屋裏で立ち聴いた話など様々な場面があります。
思い返すとぼくはこのひとの晩年しか見ていなかったのかもなと寂しい思いです。
上述は書き上げたばかり、推敲もまだまだ足りません。
いずれ加筆修正するのが高田渡さんへの敬意の表し方だと思います。







↓の記事をUPしたあと、アメリカ国防省から56件、アメリカ合衆国政府から14件のアクセスがありました。
以前からアメリカ政府に関わることを書くとアメリカ軍施設、アメリカ国防省からアクセスがありました。
そして再選後のブッシュ政権誕生からは合衆国政府そのものからアクセスがきます。
記事を詳しく読み込んでいるわけではないでしょう。
ロボット検索のようにネット上の記事を一斉に探しまくる何らかのシステムを持っているのだと思います。
内容まで入り込まずに統計利用程度ではないかと思いたいです。
一方でこうした事態に向かうと思うことがあります。
「権力闘争」「階級闘争」という言葉を死語と片づけることには決して同意できない。
その理由はかように権力サイドは始終闘争の手をゆるめていないのを日々確認するからです。
「権力闘争」「階級闘争」とは、決して被抑圧の抵抗運動にだけ解消されるものではありません。
むしろ常時においては権力側から仕掛ける闘争こそが「権力闘争」「階級闘争」の実相、実態だと感じ入る次第です。
記事内容そのものの附則事項として報告させて頂きます。




4月15日

「他者の痛みへのまなざし」、あるいはブラウザを閉じる。




2億総保守思想的様相を帯びているアメリカ合衆国で、国を憂うコト、そのスタンスの本来の姿をこのひとに見出す。
故スーザン・ソンタグ。

911後、彼女が遺した発言の重要さは世界全体を見渡しても、日に日に増し、この国でも翻訳ラッシュが続いている。

「他者の苦痛へのまなざし スーザン・ソンタグ みすず書房」

ソンタグが贈る最新にして最後の「写真論」集。
「写真論」とはいってもその焦点は「戦争写真」に注がれる。

写真というのはどうにも即時に事実性に訴える性質を持っている。中でも戦争写真となると、まず被写されたその映像のむごさ、痛切さが、事実関係に疑義を挟むことを躊躇させる傾向がある。

ソンタグは丁寧に「戦争写真史」を辿り直し、戦争写真が直截に、もしくはズバリ「演出なく」撮影されるようになったのは前世紀後半のベトナム戦争以後であることを実証的に論証する。

ベトナム戦争に於いて、戦争写真家たちは初めてテレビカメラとともに被写体を追うという経験を経た。ここで競争相手との関係から演出できない戦争写真の歴史がようやく始まったと知る。

それ以前の戦争写真にはなんらかの演出が施されたものがいかに多いかをソンタグは具体的に検証してみせる。

目から鱗のこの論証。しかし思い当たるフシがある。
第二次世界大戦中、もしくは日中戦争での戦争写真。
その効用は戦争の悲惨へのまなざしを喚起させるものではなく、戦意を昂揚させるものとして使われてきた。
この際、「演出」の頻度はどれ程であったろう?

最近の論争を思い起こす。
南京虐殺の証拠として中国政府が提出して証拠写真のすべてが証拠には値しないと、産経新聞の一面記事が呼びかけた。
またすぐに扶桑社から関連書籍が発刊された。

してやったりと悦に入っているサンケイ扶桑社、また中国政府双方に決定的な反省が欠けている馬鹿げた論争だとどこか醒めた気がして仕方がなかった。

ここでは中国政府もサンケイ扶桑社もともに「戦争写真の無謬性」神話から免れていない。
中国政府の粗忽な写真利用はそのままの意味で、扶桑社サイドの方は「証拠写真はすべて捏造だった」ことの証明ができれば、南京虐殺そのものを否定する「論拠」となりうるという勇みが見える。

かの時代、写真とはどのような役割を果たし、どのような意図の元に撮影され、発表され、保存されたのか?
特に被写体が「戦争」であるとき、国家意志から写真家は自由だったかどうか?
そうした戦争写真史への振り返りが両者共に欠けているからこそ、論争そのものがどこか不毛に感じて仕方がない。

ソンタグの戦争写真論、戦争写真史論は直截、南京については語っていない。ただ、行を読み進めるうちに脳みそが活性する。ああ、なるほどと私が見てきた戦争写真と、その論争の渦中へ私を投げてくれる。
良書との出会いというのはこういう得難い体験。正に「読書体験」があり貴重だ。

ソンタグはこの著作の終盤で、過去の自身の「写真論」に対して訂正を施す。

「戦争写真を見る頻度、その画像の洪水的な量によって、ひとびとのまなざしは徐々に曇る。衝撃に慣れてしまう」

上述のような過去の見解は誤りだったと率直に述べる。

「果たしてひとはソレに慣れることができるだろうか?」

この問い直しは911後の彼女の写真体験そのものから生まれたものだ。
崩壊したグラウンドゼロ。
叫び声まで印画したような写真群。
アフガン、そしてイラク。

恐らくひとは戦争写真に含まれる悲惨そのものにある根源的恐怖に慣れることはできない。
ただ戦争写真を紹介するメディアそのものがテレビジョンという媒体に遷ったがために、まなざしを持つ者が容易にチャンネルを変えることが出来るようになったのではないか? 
こうしたひとと戦争写真との関わりの歴史とその変遷(それは「戦争写真史の発見」だ)の中に「戦争写真の写し映す悲惨が次の戦争を止めるチカラとなりえなかった」理由があるのではないかというのがソンタグと本書の通奏低音だ。

ソンタグの関心を経て、戦争写真との出会いがインターネットというインフラを得てより頻繁になった現況にも同様かつ深刻な問題を抱えていると、私は読み直す。

例えばogrish.comでは戦争写真と同じサーバーに、戦争写真が伝える悲惨とはまったく別の文脈から派生したグロテスク(な画像)が置かれている。
両者の共通項はグロテスク、もしくは惨事の瞬間。
一方、その惨事、暴力に関与したものが実際に誰なのかについては共通項がない
(* 暴力の具体性を人間一般に普遍するという考え、形而上の戯れに私は与しない。こと、戦争が問題となっているときに当該国家を問題視することない「はぐらかし」は戦争暴力の主体たる国家を消極的に支援、免罪する)。

戦争写真の衝撃、その被写体にいったい何が起こったのか? について考えたくない夜。
私たちは戦争写真から目を背けるために、そのページを閉じる。
私たちはクリックひとつで「ブラウザを終了する」ことができる。
テレビジョンのチャンネルを変えるように、容易にブラウザを閉じることができる。

今次の戦争中、昨日、今日、明日、戦争写真が配信される。
そこに印画した悲惨へのまなざしにもまた、固有の変化が今私の中で、もしくはメディア・テクノロジーの進展の最中で起こっていた。
「他者の苦痛へのまなざし」そのものにダイナミックに変化する歴史があり、いま正に戦争の只中で反省する機会を与えてくれた本書にはいくら感謝しても足らない。








4月6日

刻々、

9日(土)江古田フライング・ティーポットで詩人の恋川春町さんとのDUO公演があります。
競演は2回目で、DUOは初めて。
毎度、急な告知で申し訳ないです。

大変遅くなりましたが朗読会「溶鉱炉」にお越しいただいたすべての皆様に感謝致します。

当日はカールマイヤーで初ステージを踏んだ13年前と同じくらいの「一年生」みたいな緊張。
向井さんの新曲(←ハイ、ここ注目)2曲(←さらにここ注目)を当日のリハーサルで教えて頂き、本番までに覚えなくてはならない!

焦りや何やらで脳みそが凍ってしまってねえ・・・・・・譜面ぼんやり眺めても向井さんの歌い回しや胡弓の息づかいは「記譜」という置き換えに向かないものであって、どうしていいのかさっぱり分からない。

こうした「一年生」みたいな緊張感、もしくは「一年生戻り」そのものが音楽家生活13年にしてまた訪れること自体、なんとなく感慨深く、「ああ、この歳にして振り出しに戻るってあるんだなあ」。

公演そのものはいま振り返って楽しいものでした。
以下、ちとデムパなことを書きます。

パフォーマンス中、PlanBの照明は白熱灯のスポット、オンリーでした。
ただ、パフォーマンスの最良の時間、フロアが薄紫に霞がかったように見えました。
薄紫の霞の中に向井さんの肢体が神々しいシルエットで浮かび上がる。
それは至福の空間でした。

上述の視覚の変容は多分、脳みそでなんか変な物質がドパー! もしくはトロッ・・・・・・と流れ出たんだと思います。
一音、一音、「立てる」「消す」「浮かべる」「転がす」「止める」に意識を注ぐ。
30分弱そんな営為に集中力を注ぎ放しだと、脳みそがどうかしちゃうのも当たり前かなとも思います。
しかし音楽家にとってはあまりに美しい贈り物でありました。

翌日、27日も公演。
「PERSPECTIVE EMOTION WORKSHOP」。
向井さんのパフォーマンス道場といった趣き。
ここでは久しぶりにあたらしい楽器を披露しました。

「エレクトリック大正琴」

いや、この楽器は凄い可能性を持った奴なんだよ!
以下、mixi内のコミュニティ「この楽器のここが変っ!!http://mixi.jp/view_community.pl?id=100735 」に書いた記事の転載です。

本当に存在自体が不思議な楽器です。
大正琴をシンセサイズした楽器。

付属のスピーカは上品なウッドパネルでうっとり。

付属の専用スピーカを振り回したり、聴き手に対して角度を変えたりすると独特のフェイズ効果(手動でのロータリースピーカですね)が出ます。
向井さんのワークショップでも、面白いのでぶんぶん振り回しました。

でわ、↓記事本文。




はじめまして。
こうしたコミュ待ってました。

昨年末にヤフーオークションにて入手した変な楽器を紹介させてください。

商品名「コンダクター 琴」







私流で「エレクトリック大正琴」と呼んでいます。
大正琴を電気駆動でき、モノラルジャックにイヤホンを挿すと夜中の練習も周囲の家にご迷惑掛けることなく安心です。
さらに専用スピーカを繋ぐとちょっとしたパーティやライブでの使用も可能という優れものです。

音色は大正琴の他に「尺八」も選べます。
その他、スウィッチ回りを見て頂きたくと分かる通り「標準」という音色も選べます。
何を以て「標準」なのか? その辺は不明です。

また各音色、さらに12のニュアンスで奏でることができます。
大正琴 12音色、尺八 12音色、標準 12音色。
合計、プリセットで36音色ですので幅広い表現が可能です。

製造元は科学技研株式会社。
google検索した結果、40900件HITしましたが、ズバリ「科学技研株式会社」に当たる記事に巡り会えるかどうか、暇なときに探してみます。

http://www.google.co.jp/search?q=%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E7%A0%94%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE&hl=ja&lr=&rls=GGLD,GGLD:2005-01,GGLD:ja&start=0&sa=N

昨年、ヤフーオークションの「弦楽器 その他」というカテゴリに出品されていたものです。
弦楽器というよりもいまのシンセ、キーボードに近いものです。
入札者は私だけでしたので、こうしたビンテージかつレアな楽器でありながらも1000円で落札できました。
シリアルナンバーは「0000141」。
製造年は製造元すら不明ですのでさっぱり分かりません。
昭和40〜50年代かなと推測します。

先日、実際にライブで使用しました。

楽器そのものが大好評でした・・・・・・。

まだまだ変な楽器を買い漁り、この道を極めたく思います。
よろしくお願いします。








最近、mixiからの転載ばかりでごめんなさい。
このサイトよりもmixiの方が執筆量が多いという有様。
↑、こちらのサイトはバカな記事でも後年の再読に耐える文章に厳選したいという思い故です。
日々は家庭教師という仕事と音楽が二本の軸となって回り続けています。
せわしく、しかし充実しています。






3月27日

メロドラマ
「ドレスデン」
初演


2005年3月26日
中野PlanB

テクスト なかおちさと/nakao chisato
主演 洸本ユリナ
演奏 なかおちさと 向井千恵
詩テクスト <絶対><その胸のうち><造花>ほか なかおちさと/nakao chisato



メロドラマ
「ドレスデン」

第一幕

入り口ドアを乱暴に開けフロア中央まで息切らす勢いで駆け込む。
中央にてしゃがみ込み、頭、耳を両手で抱え、上下左右に激しく振る。

「わたしがやったんじゃない! わたしがやったの? わたしがやったんじゃない! いや、わたしがやったの? わたしがやったんじゃない(以下、繰り返しフェード・アウト)」

フェード・アウトとともに放心した表情、やがて自分の身が灯りに照らされていることに気づきに陰を求める。
フロア、向かって右奥へとゆっくり移行しつつ、陰へ身を潜める(このとき入り口からフロア、右隅奥までのラインを直線として意識する)。

ニュース音声 1(録音 操作 なかお?)

「誰の声? 誰かいるの? 誰? 誰?」

ニュース音声 1#(録音 女性アナウンサーの元音源に予め洸本ユリナの声での復唱、多重録音)

「誰の声? 誰がいるの? 誰? 誰? 何を言っているの? 何があったの? 私じゃないわ!」

ニュース音声 「刺された女性とその子供、○○ ××さんと××さんの長女6歳 ☆ちゃんは、病院の運ばれた後、死亡。警察では所在が不明になっている夫の行方を捜査中」

「××? ☆?」

PlanBのフロア、壁面をなぞる仕草。

「××? ☆? 何でここに名前が書いてあるの? ××? ☆? ねえ、何でここに名前が書いてあるの? ああ、☆、あなたはいつも道ばたの小石を拾って(壁づたいに置いてあるビー玉をいくつか拾う)、壁にこうして自分の名前と家族の名前を漢字で書く練習をしていたから、ほら、☆、☆、☆(ビー玉で壁面をなぞり、削る仕草。途中、いくつかビー玉がフロアに落ちてゆく)。お母さんの名前もある××、××、お父さんの名前もある、ラ、ラ、ラ・・・・・・ラ、ラ、ラ・・・・・・あなた、逃げて! また捕まるために、逃げて! あなた、逃げて! また捕まるために、逃げて! ☆、××、ラ、ラ、ラ、☆、××、ラ、ラ、ラ・・・・・・」

このセリフの間に右壁側面を縦断。そこに設置したカセットデッキを抱きあげて、次に☆をあやすように客席最前列ギリギリを辿り始める。

「☆、☆、☆、覚えている? 忘れちゃった? ほら、あなたが小さかった頃、わたしこうしてあなたを抱いていたの? ☆、☆、☆? 覚えている? もう、忘れちゃった?」

カセットデッキ操作で最大音量のラジヲノイズを出す。
その音に自身で驚いてカセットデッキに尋ねる。

「ねえ、痛かった? 痛いの? 痛いの? ごめんね! ごめんね! おかあさんが悪かったの、痛いわよね、ごめんね? ラ、ラ、ラ! 早く来て、ラ、ラ、ラ! 早くここに来て! ☆が泣いてる! 痛いみたいなの! すごく痛いみたいなの! ラ、ラ、ラ、早くここに来て、早くここに来て、」

ラジヲノイズ消す。

「早く、早く、早くここに来て、また捕まるために逃げて! ラ、ラ、ラ! ラ、ラ、ラ、また捕まるために逃げて! そしたら☆、ねえ、もう泣かないでいいわよね? ☆、ねえ、もう泣かないでいいわよね?」

もういちどラジヲノイズ、そして止める。

「☆、痛い? 大丈夫、難民救助のボートが岸辺でわたしたちを待っているわ。さあ、行きましょう。スーダン、サウス・アフリカ、ナイジェリア、ベツレヘム、ボスニア、ヘルチェゴビナ、カザ、パレスチナ、エルサレム、サラエヴォ、トウキョウ」

PlanBの左壁面に目をやる。

「ラ、ラ、ラ、あなたの名前が書いてあるわ! ラ、ラ、ラ! ラ、ラ、ラ! 早く逃げて! この壁にあなたの名前が書いてあるの! ラ、ラ、ラ! この壁に殺人者の名前ばかりがいっぱいっぱい書いてあるの、ラ、ラ、ラ! あなたの名前もあるわ! ほら、ここ!」

壁から振り返る仕草を大袈裟に展開。客席を凝視。

「殺人者の名前が書いてあるの。ラ、ラ、ラ! あなたの名前もある。ほら、ここに! ☆、☆、☆、難民救助のためのボートが岸辺でわたしたちを待っているわ。さあ、行きましょう。スーダン、サウス・アフリカ、ナイジェリア、ベツレヘム、ボスニア、ヘルチェゴビナ、ガザ、パレスチナ、エルサレム、サラエヴォ、ファルージャ、ワシントン、トウキョウ。すべてのスーダン、ガザ、ファルージャ、ワシントン、トウキョウから、早く逃げて! また捕まるために」



すべてのワシントン、トウキョウから、早く逃げて! また捕まるために












(第一幕終了)



第二幕

紙媒体にて予めフロアになかおちさと詩代表作を4、5編用意。
そのうちの一編を<任意に≠作品選別から、行の行き帰り、つまり、飛ばすなど>朗読。

途中よりなかおちさと演奏本格開始、向井千恵合流、紙(テクスト)を持ち朗唱しつつ客席の一番上の段まで登る。

(第一部終了)









初演のこの日、第二幕において実際に選ばれた詩編は<絶 対>。
2001年作。

From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2001 11/06 16:30

<絶 対>

道があり/行き進んだ/まだ/そこは/アスファルトにて/舗装されていた/足取りはまだ/軽かった
路傍の/木々が/徐々に/濃厚な生を/芳しい薫で/辺り一面に/発散し始めた/アスファルトに積もる/砂/埃が/深くなった
木漏れ日/斑に続く/その点を/線に変える/足取りはまだ/確かだった

共働きの両親は幼いぼくの面倒を向かいの家の住人に頼み家にしっかりと鍵を掛けて仕事へ向かった

道は/まだ/在った/アスファルトの上に/大粒の/石が/転がっていた/足取りが/覚束なくなった

向かいの家の住人はぼくにチヨコレイトを買い与え満足していたぼくには欲しいものなどチヨコレイトの他にはなにもなかった

道は/まだ/在った/砂利道が続いていた/所々に/水たまり/水/溜まり

ベゲタミン錠-A/vegetamin-A/117精神神経用剤/組成/錠A/赤色/1錠中塩酸クロルプロマジン25 mg/塩酸プロメタジン12.5 mg/フェノバルビタ−ル40 mg/適応/次の疾患における鎮静催眠/精神分裂病/老年精神病/燥病/うつ病又はうつ状態/神経症/用法/1日3〜4錠分服

道があり/行き進んだ/足取りが/泥濘に/すくわれた/このまま/すくわれた/救われた/魂に/近づくこと/限りなく/近づくこと/其処という其処に/近づいている/その証拠に/道は道であっても/すでに道ではない

vegetamin-A精神科医はぼくにチヨコレイトを与えて満足している赤色のチヨコレイト今日はチヨコレイトを食べたんだvegetamin-A赤色

道があり/しかし/道は道であっても/すでに/道ではない/立ち込める/濃霧に/視界が/効かない/それは/とても/深い眠りを/歩いた/夜のこと/道はベッドの上にあり/しかし/ベッドの上にはない/道は/回想という/回路/路/みち/道があり/迷ってはいない
道があり/魂に/近づくこと/限りなく/近づくこと/其処という其処に/近づいている/その証拠に/道は道であっても/すでに道ではない

それでも迷ってはいない

絶対

道があり/魂が/まだ/無垢である/絶対/という/地点/其処/立ち込める/濃霧に/視界が/効かない

それでも迷ってはいない





絶対

深い眠りから醒めた朝に水を飲もうとベッドから這い上がり蛇口へ向かうその道には生きることにおいて変容不可能な意義がある

それを<絶対>と呼ぶ












3月24日

刻々、

26日(土)、朗読会「溶鉱炉」での向井千恵さんとのDUOが迫ってきました。
この間、「溶鉱炉」でのDUOとは別に、向井さんの企画「PERSPECTIVE EMOTION WORKSHOP」をぼくの地元の横浜で開催することについてお話など進めてきました。

「PERSPECTIVE EMOTION WORKSHOP」は毎年末の「透視的情動」に結びつくワークショップ(なの?)。
5月、地元、横浜での開催のためもあり、しばらく毎月一回くらいのペースで参加続くかもしれません(分かりません・・・・・・当面、今回、次回参加は決定です)。

http://www.geocities.jp/there_09jp/MUKAI-Schedule.html


27日(日)公演は24日未明に参加決定、それと「PERSPECTIVE EMOTION WORKSHOP」そのものの趣旨から、日頃の練って臨むスタイルとは多少異なった「アクシデントに合わせる、遭わせる」ものになりそうです。

26日(土)中野PlanB朗読会「溶鉱炉」は二部編成です。

http://www.h4.dion.ne.jp/~narcisse/youkouro.htm

こちらは毎度の「溶鉱炉ノイローゼ」、練って臨むモノ。

第一部 洸本ユリナ featなかおちさと「メロドラマ、ドレスデン」。

第二部 向井千恵+なかおちさとDUO

一部は短い戯曲「メロドラマ、ドレスデン」。
中学3年時の文化祭という目を細めて恥ずかしげに思い返すクラス出品以来、18年ぶりの台本執筆・・・・・・。
仕上がったのは今週のため、洸本ユリナさん大慌て・・・・・・。

二部は向井さんとのDUO。
即興演奏ばかりではなく「うた」も込みます。
むしろ「うた」こそが中心軸にある演奏(ま、即興込み)になるかと思います。

ともにご期待ください。



本日は割礼子さんのバンドのリハーサル。
バンドといえば先日、久しぶりにLaLaのツノダノブキと音出ししました。
ライブは機材面など申し開きようもない失敗でした。
ただ、そうしたことを越えて、彼との音合わせはやはり面白く、息も合わせやすいです
(キクチアキラはこの連休、ご夫婦で奈良へ旅行)。
LaLa復活させたいです(TUAA出演がいいな・・・・・・)。
鳥を見たは山崎巌さんのアトリエでの「ソロ作品録音(←忘れてないぜ、今年の本分はコレ!)」後にアクションあると思います。
メロドラマは新宿ゴールデン街劇場が似合うかなと思っていますので、多忙なメンバーさまの日程を調整しつつ早めに再開します。

(↑、やはりバンドが好きなのかなと思う次第です)



3月18日

松下政経塾と悪魔払い


以下の記事はmixiで発表後、何の反響もなかったものです。
しかあああああああし!
松下政経塾を政治的カルトとして戯画化した最初期の文章として後の時代に発見され、googleで「松下政経塾」と検索すると真っ先にこの記事がHITする時代がやがてきます!
あ、そこのあなた病院への通報はまだ早いです!

自慢ですが、先日、「アントナン・アルトー」をgoogle検索したら、5400件程度の記事の中、このサイトのページ「評伝の精神態様」がいちばん上にランクインしておりまして、かなーり驚きました。
あの文章はぼくの恩師の太田正夫先生(国語教育学)を囲む読書会で発表したもの。
読み終えた後の「え、よく分かんない」という場の厳しい静寂を懐かしく思い出します。

あ、検索、いま、再度試したらかなりランクが下がっています・・・・・・。





ここ数日、神奈川県政と横浜市政の堕落、腐れっぷりについてばかり考えていた。

この問題を考えるようになったきっかけが何だったのか?
いまここに適当な一事、一時を挙げることができないで戸惑う。

千葉県知事選挙の際に神奈川の県政について考えたからかも知れないなとも思う。

森田健作千葉県知事候補という男の腐ったのを、石原東京都知事、松沢神奈川県知事、上田埼玉県知事というこれまたどうかと思う連中が揃って選挙応援をした際の醜悪な映像が脳みそにこびりついたせいかとなとも考える。

大阪で起きた小学校乱入児童殺傷事件の犯人が残酷なシーンっを含んだゲームをプレイ中に犯行を思い立ったという報道がされた。
神奈川県の松沢知事は残酷なシーンがあるゲームを有害図書規制と同様に条例で年齢規制するという「流行」中の地方行政施行の先頭に立っている。
松沢神奈川県知事や神田愛知県知事の条例施行、規制の動きはいまや全国的な勢いで各地に飛び火しているのを日々のニュースで知る。

しかしゲーム作家はこの現実以外のどこから着想を得るのだろう?
この現実世界にはない、作家の純粋な思想、思考から「残酷なゲーム」を書き起こすのだろうか?

近所を歩いていたら、共産党の県会議員候補を三回経験して、毎回律儀に落選している友人のおかんが、県政ではなくて横浜市政を糾弾しているのに出くわした。

「ん? 市議を目指して再出発なのかな・・・・・・」

駅前で一瞬考え込んだせいかもしれない(おかん相変わらずアジ下手じゃん・・・・・・)。

横浜市からのお知らせでガスメーターの検針を民間の業者に委託するという案内がポストに投函されていた。

早速、仕事を委託された業者が満面の笑みを浮かべている写真を見て急に腹が立った。

は? その業者はいつ、どうやって選んだんだよ!

そもそもそんな公約掲げていたか?

今後、その選定や利権を狙っての競争で問題起こったりしない? ダイジョウブ?

コスト削減という紋所を掲げて「いい考えでしょ?」てな中田横浜市長特有の鼻持ちならない感じがプンプンした。
かつて「Yシャツが恐ろしくきれいな奴は信用できない」と喝破したのはかの井伏鱒二ではないよ(うん、違うよ)。

問題を考えるようになったきっかけが何だったのか?
いまここに適当な一事、一時を挙げることができないで戸惑う。それは上述のように一事や一時のことばかりではない始末に負えない事柄、いやな事柄に日々嗚咽しているためだと気づく。

諸悪は「根源」とやらには還元されない、各々、多様、多層な歴史を持っている。

ああ、しかし単純な悪魔払いで悪魔憑きを治せるとぼくの思考は単直線を描いていた。

<もう、松下政経塾は政治から手を引け>

地元住民として甚だ遺憾ながら中田横浜市長、松沢神奈川県知事ともに松下政経塾出身。
上述の顔ぶれの中、上田埼玉県知事、神田愛知県知事も同様に松下政経塾出身(他、杉並区長など)。

顔ぶれを辿ると松下政経塾ばかりなもので、いまはともかく松下政経塾を悪魔払いすれば悪霊は退散すると単純な思考に陥っていた。

http://www.city.yokohama.jp/me/shimin/seishonen/teigen.html

「あなたは、何ができますか? 青少年育成に向けての12の提言(案)」

このページはどこかのカルト宗教団体のサイトではなく、横浜市の公式サイト。
何だコレ?
薄気味悪い。

相手(≠悪魔)の使う手は露骨なプロパガンダなど、物事を単純化せしめる類ばかりだ。
あいつこそ犯人(≠悪魔)だ、さあ懲らしめよう! そんな感じのオンパレード。
ああ、しかし相手につられてぼくの抵抗感覚も単純化してしまう。

悪魔払いの<儀式>が済んだので、もう悪魔は退散した。

いやいや映画「エクソシスト」はシリーズ化した。
何度も何度も続編、新編と再生産された。
一度、悪魔払いの儀式を経て安心しても、この日常世界では惨事は再生産され続けている。
またはまったく新たな惨事が生産される。

かくして映画「エクソシスト」はシリーズ化し、再生産を続ける。

諸悪という言葉の「諸」という字義を見逃し、悪の在処を悪魔ひとりに負わせる。
諸悪の問題解決を、悪魔ひとり退散させて万事済むという松下政経塾のアプローチは分かりやすく、しかしあまりにも杜撰すぎる児戯だろう。

また<もう、松下政経塾は政治から手を引け>というぼくのここ数年の固着した思いも、諸悪の「諸」たる面をひとつの悪に求めてしまっているよなと、今朝、ゴミ出ししてたらふと気づいた。

現役の競馬馬にイヤダイヤダという名前の馬がいる。
いつも中途半端な結果しか残さないこの馬を、しかしいつも嫌々ながら応援している。
ああ、イヤダイヤダ。

UTADA、パーティ会場でいい大人がゲーム機で遊んだりしているのを実際に見たらマジ、イヤダろ?

そんなこんなで気分一転、土曜、中山11Rフラワーカップは当初予定していたランドマンファーマは見送り、シーザリオを軸に買おうと思う。






オウムのクーデター(地下鉄サリン)事件の後、徹底的なオウム潰し(ま、これは仕方ないのか)が行われる中、
オウム躍進のきっかけを作った学研の「ムー」は反省もなく発行を続けていて
(いや、廃刊を希望したわけではないのですが・・・・・・)、
いやだなあと悪魔払いの風潮が問題の解決に不徹底なのを深刻に考えていた季節があります。

ジャック・デリダの講演テクスト「マルクスの亡霊」が日本で話題になった時期に重なるかなあ。

いま、生長の家の信徒がネット上で繰り返している特に韓国、韓国籍在日外国人への排外主義キャンペーンも、
「へえ、それで万事解決とはお目出度いね」と思う次第です。

ま、言いたかったことは馬券購入の際の軸馬の選定という作業にもこの「悪魔払い」の思考方法と相似した何かが潜んでいて、
ファクターの取捨の「捨」にある大事なモノを







めんどくせ




3月14日

みみをすます

先週火曜日に家庭教師の初仕事。
受け持ちの生徒さんと面談プラス授業をしました。

前々回の日記にも書きましたが、注意欠陥/多動性症候群ADHDと診察される子です。

授業開始に当たって文献などパラパラと読んでいました。

ああ、そうそ。
ここmixiにも殆どログインもせず、ましてや日記なども書かかない状態。テンパってました(ぼくの話題以外で「テンパっている」なんて語は最近聞きませんな)。管理コミュをふたつ持つ身なので反省しごく。

実際に出会った彼は素晴らしいチカラを持った少年でした。
いつも笑顔。ぼくがぎこちなく会話に詰まるとその沈黙を埋めようと色々な話をしてくれます。おまけに、どちらが先生か分からない程の博識です。

「野口英世って知ってます? あのひとは江戸時代の生まれでした。昔の名前は清作って云います」

マジカヨ!

いま調べてみると廃藩置県の1871年生まれですね、野口英世。
<江戸時代の生まれ>と呼ぶには「諸説」を採用するしかないギリギリ。

ま、問題はそんなことではなく、彼がそうしたトリビアを沢山持っていたこと。
それもこうしたトリビアたちの仕入れ先がTV番組「トリビアの泉(フジ・ライブドアテレビ系列)」ではなく、本や読書体験によるということ。
一方でTV番組で見た事柄を大筋から微妙な事柄まで鮮明に覚えていたりします。

彼はメディアから得た情報を瞬時に丸暗記できるようなんです。記憶するスピード、その処理能力はもうびっくり人間を見たかのようにびっくりしました。ああ、びっくり。

初回の授業ということで教材はぼくが選んで持ってゆきました。

「みみをすます 谷川俊太郎 響文社」

ひらがなのみの谷川俊太郎詩集。
それと色鉛筆に画用紙。



みみをすます
きのうの
あまだれに
みみをすます



「じゃあ、これを先生に読んで聞かせて。そしてどんな感じかこの画用紙に絵を描いてみて」

彼はまず雨雲を描きました。
続いて地面、地平を描きました。
雨雲からの雫、ティアドロップの形した雨を描きました。
続いて家を描きました。
家の屋根で水滴が踊ります。
擬音を書き込みます。

「ぽつぽつ」

うん、そんな感じ、そんな感じ。
で、耳を澄ますひとは?

彼は負けん気いっぱいで「いま描きますよ」と言いながらひとを描きます。
描かれたひとはしっかりと耳に手をあてています。

みみをすます

これで満点の絵の完成です。
では、次のページね。

みみをすます、ハイヒールのこつこつ

次の絵では催促しなくても耳を澄ますひとを描きます。大きなシャンデリアに照らされたデパートの中、ハイヒールを履いた女性の足音に耳を澄ます店員さん。

うん、満点。

詩のような短いセンテンスによる文章の内容把握は問題ないようです。
さて、教材替えて「モチモチの木」。

散文による長文。
彼の朗唱を聞きます。
区切りを持たず複数のセンテンスをまとめて一挙に読み尽くすんです。彼は根っからのエンターテナーなので文中の分かりやすいアクセントや会話文などは大袈裟なくらいに情感を込めて読んでくれます。ただ文中で立ち止まることがない。

そこにある情報は一挙に処理されている。その処理能力の早さに、日本語に普遍しがちな曖昧さが醸し出す魔術や、滋味なる文章と、「情報」を伝えるだけの簡素な文章をともに等価値で認識してしまう。

ここでは理解に躓きがありました。

彼の情報処理能力の早さは目を見張るものがあるのですが、その速度のあまりの早さのために「分かった気になってしまう」。故に自信満々で事実関係をとり間違えます。この点は、まるでぼくのようです。

早合点、せっかち。

情報処理能力の早さは一方で発話による会話の切り替えの早さにも現れます。そこに彼お得意のトリビアが混ぜられるために最初は会話の切り替えの文脈がどこにあるのか戸惑うひと、多いだろうなあと感じます。

みみをすます

よく聞くと話の流れや文脈は「途切れてはいない」。「太い」文脈で繋がれているのではなく、些事に感じられる話題を頼りに「細い」文脈で繋がれていました。ああ、そこで事前の話題と相似するのかと気づきます。

うむ。

「みみをすます 谷川俊太郎 響文社」

この詩集を教材に選んだのは注意欠陥/多動性症候群(「注意欠陥」と「多動性」の間に「/(区切り線)を挿入します)」の子に対するぼく自身の浅薄な偏見がありました。

<他人の話題や話に飽きやすい>

ただ実際の彼は上記のような症例の箇条書きでは理解できません。飽きやすいというのは脳みその回転が速すぎて、聞き手の子供の中では既に関心が別の問題へ位相していることに話し手が気づけない、ついてゆけないというのが実相です。面する相手に合わせて、注意を維持するチカラの「欠け」、それが彼固有の「注意欠陥」でした。

一方でTV番組や読書体験から得た情報の鮮明かつ微細な事実記憶に関する優位を鑑みると、彼は谷川俊太郎を押しつけるまでもなく、常にみみをすます常態の持ち主でした。

世界はやかましく次から次へと音を立てます。
耳を澄ますひとは注意力を過去の一音に固執してはいられず、次から次へと音たてる対象を聞き分けます。

もしここに注意力の<欠陥>というものを敢えて探すとすれば、注意を止まった時間のある一点の事柄に維持する、固執させるチカラかなと思います。

たちどまって/みみをすます



授業終了後にお母さんからチョコレート・ケーキの差し入れ。
ケーキを食べる際、皿の上でフォークが摩擦する音。

「ケーキを食べるときに耳を澄ますと、フォークのこつこつですね、先生」



そうだよ!
フォークのこつこつだよ!
しかし、うまいなこのケーキ!
こつこつ。



今日の授業の所期は満点。あと、

みみをすます

その仕草は彼がぼくに要求するものでもありました。


お母様からの評判も上々で、ひとまず安心。
ADHDの症例の区分は「大きく分けて30数種類」、大きく分けて! ね・・・・・・。ましてや具体的な個々人となると分類を凌駕せしめる血と活力があるのだなあ。

あと野口英世のエピソードでの「江戸時代のひと」。
いや生年なりを西暦ではなく「江戸時代のひと」と括り直すのって、懐かしい感性で楽しいですね。

今月は高校球児の英語と現代国語、古文の補習&大学受験の仕事もいただけそうです。
自身が老年になった頃にでも大学なり大学院なりに入り直すために、ぼくも勉強をし直したいのです。

さあ着々と社会復帰進行中。

ふう、

3月4日

ライフレッスン、


自慢じゃないが今年一日も働いていない。
主な収入は中央競馬。
自慢になるが去年末より毎週2レース以上「万馬券」を当てている。

しかしそんな暮らしじゃだめなんだ。アホか、死ねよオレ!

やっと年初来の念願、家庭教師の仕事にありついた。
年初からずっと条件合う人探して今日まで・・・・・・要領悪すぎ!

さて、生徒さんは私立一貫校の小学3年生。

本来なら系列の中学、高校、大学へとエスカレータ式で上がれるのだから、小学生のうちから勉強する必要はあまり感じない。

ところがこのこは注意欠陥多動性障害(ADHD)のために学校で度々、「事件」を起こしているという。内申書の関係で進学可能かどうか難しい立場にあるという。そこで依頼が来た。

さて、しかし「事件」を「起こす」とかじゃないだろ・・・・・・と思う。

未然に事件を防ぐ何かの欠落、またその行動を「事件」とする学校。

ぼくには自閉症と注意欠陥多動性障害、ADHD(学童期)を背負ったいとこがいる。
ひとつ年下なのでもう32歳。

彼の育った時代は障害への理解が浅く、本人はもとより家族ともども所謂「世間様」や行政からの口汚い言葉や処遇により深く傷ついてきた。

症状はいまだ続いたままだ。

親族、家族一緒になって「救おう」として失敗したままいまに至っている。

失敗という言葉は間違いかも知れない。
誰にとって、どのような「失敗」か分からない。
ただ、現時点ではうまいこと行っていない。
それでも現況の逼迫感や悲壮感が呼び込む暗示に過ぎないと思うことにする。
逼迫「感」、悲壮「感」、さて誰の「感」? 事柄はその「感」に規定される一色だけか?

実際、彼を囲む食卓その場は笑顔にあふれている。

今度の生徒さんとうまくやりたいな。

親御さんの苦悩に「我が家、我が子だけが何故」という逼迫感を予め感じる。
また「感」の登場。

状況を変える、姿勢を正すキーワードは、多分「ライフレッスン」という言葉だと思う。

生徒さん、親御さん、学校、そしてぼく、親族、家族、社会。

すべてに成長の余地がある。

余地というのは向かい方次第で希望の領域になるはず。

すべてのひとの「ライフレッスン」。

「家庭教師」という言葉に潜在する多彩な語義をありったけ引きだそう。

家庭という教師、家、庭、教(え)、師、「家庭/教師」、「家庭と教師」、「家庭:教師」、「家庭≠教師」。

運命面している暗示の引きはがし。
運命への挑戦。
ひとりではやらない。
ぼくひとりでこの仕事をやる気はない。
ぼくの無責任は誰かの責任を芽生えさせる。
そんなぼくの責任を果たそう。





(未了)

2月23日

その先のフロア、その弐

ソロ・アルバムの録音を始めたく、作品の構成など考える日々です。
プロデューサーは鳥を見た、
OVERHANG PARTYの山崎巌さん。
どの音楽活動においても信頼する一番のブレーン、アドバイザーさま。

実際の録音は山崎さんのアトリエで行うのですが、デモ制作や本「盤」での鍵盤楽器やコラージュ(ミュージック・コンクレートはぼくの骨)は我が家で行うため、ヤフオクなどで後先考えず投資(お得なものしか買わない程度の節度はあります)。

一方で、先日、バンド「ラジオの様に」の割礼子改め虹野礼子改め再び割礼子さんよりメール。
「ラジオの様に」は活動停止とのこと。
あららららら、と思い、webにアクセスすると「ギタリスト募集中」。

速攻で応募!
即日合格!

割礼子さんと出会ったのは1995年、高円寺のライブハウス「SHOWBOAT」でした。
ぼくはその日、見送りの日というバンド(中尾千里←ひらがな表記はLaLaからです、石塚隆則、長尾歩)で出演。

(参考、当夜の「見送りの日」の録音↓)
http://www.sonimage.ne.jp/sound/age23.mp3

対バンに彼女のバンド「ゲルハルトフックス氏のある休日の午後」。

堂々たるステージ姿と歌世界にすぐにファンになったものです。

その後、イベントにお呼びしたりなどしているうちに「ゲルハルトフックス氏のある休日の午後」は解散。
代わって「ラジオの様に」スタート。

試行錯誤が続いていたのか、はたまた・・・・・・ライブ現場にあまり駆けつけなかった身で推察するのも失礼ですが、この度「ラジオの様に」活動停止とのことです。

ただ、割礼子さん自身の活動は停止したままではなく既に次のスタートが始まっているようです。
この機会に合流することにしました。
大好きな歌い手さんのためにギターで貢献できるというのは嬉しいものですし、またおこがましいようですが飛躍の鍵にもなりたく思います。

バンド名などはまだありません。
先年、アリゾナ(Arizona)というバンド名を思いついたのですが、どう? >レイコさま
あと、パステルナーク、ヨーロッパの岬、イジチュール(IGITUR)、ステファヌ、マラルメ、コニカ、ライカ、ナツメ、にゃんこ、花王、にゃんとも、清潔トイレなどぼくの中ではいつでも候補はいっぱい。

ギタリストとして専念というのはギャルバン時代の残り香があったカールマイヤー加入当初以来。
10年以上のブランク。
またリーダーが他の方というのも同様です。

ああ、ただただギターが弾きたいんだ!
3月以降はレコーディング以外、まだぼくオンリーの予定がなく・・・・・・(皆さん気軽に誘ってください&自主企画しますんでヨロ・・・・・・)。

それにしてもお互い出会いから今年で10年とはびっくりです。
いずれにしてもご期待ください。




2月8日
(2月9日、改稿)


その先のフロア、


5日、新宿DOMでのメロドラマ公演を終えました。
すごいひとの入り。
昔、ザ・サーフコースターズのイベントに出演したときを思いだしました。
とにかくびっしり。
客席を縫ってステージに辿り着くまで何度「すいません」と狭い中、道を空けてもらったろう?

対バンの方々が「隣のフロア」「隣の隣のフロア」。
メンバー皆、どこか「場違い?」とか、終始、卑屈な気分でおりました。
それでも公演後、様々な反響をいただきびっくり!
反響の「大きさ」というよりは「深さ」に還元されるものに注目したいです。
ぽかんとするひともいて、笑うひともいて、素知らぬ視線があり、見入る視線があり、視線の潤み、落涙するひと、震えるひとがいた。
「隣のフロア」「隣の隣のフロア」
そこにいた100人くらい(?)のひとびと。
初めてメロドラマのような音楽に出会った方、初めてメロドラマの音楽に出会った方、場馴れしたフロアでは望めない邂逅がそこに待っていました。
引きずり出していただいた主催の魔ゼルな規犬さんに改めてこの場を借りて感謝いたします。

公告をさきに・・・・・・。

メロドラマ自体は今後、ふたつ、みっつの方向へ多層的に展開させたく思います。

ひとつ、オリジナル・メンバーの立島夕子がいないメロドラマも今後、多くなると思います。
コア・メンバー(*とはいえ、個々の活動との兼ね合いを見ながら参加いただいています)は只今、sachiko、恵美伸子、長谷川洋、なかおちさとです。
ここにプラス、大切な方。
メロドラマ結成時に託した希望や道筋はこちらが「正統」として引き継ぎます。
女声を得た未曾有の音楽の創設という命題。
本家メロドラマ。

ふたつ、立島夕子とのメロドラマもまた継続します(最初だけはストイックに2人編成に戻ってみようと思います)。
まず生活の立て直しのためにしばらくのお休み。
音楽のフロアで立島夕子がトリックスター以上の存在であるには、もっと丁寧に時間をかけないとと思います。
立島とはもうすぐ10年くらいのつきあいになります。
かつての立島夕子の覇気、邪気、創作への真摯さの熱を思い返します。
いつも「意外」でした。
リピート、まず生活の立て直しのためにしばらくのお休み。
いずれコア・メンバーとの合流を期してともに再成長したいです。

みっつ、バンドではなく「演目」として規定するメロドラマの公演をスタートいたします。
3月26日(土)中野PlanB定例朗読会「溶鉱炉」が第一弾です。
ソロか競演かはその都度、上演内容で決定します。

未曾有の表現を常に刷新したいなら「形」はいつだって乗り越えの対象です。
ただし、コアはあくまでひとつめ。
持続、成長を自然体でなしえる畏敬する人たちともっともっと先へ。
コアの持続はこの度の「邂逅」を大切に育んでゆく最低条件。
多分、いまメロドラマは当事者にとっても、いたるフロアの誰かにとっても必要です。

当日、いいライブという感触は多少ともありましたが、頭の中では「こんなもんじゃないだろ、メロドラマっていうのはよ!」。
頑張るって言うのはいつだって頑張り足らない。
頑張り足らない。

神は死ね。
狙うはまだ「人間の勝利」。









From nakao chisato To at 2005 01/28 05:47

終 戦

いまそこで何しているんだ? 遺骨を探しています 遺骨? ええ、遺骨です 失礼だがそれは何の、いや誰の遺骨なのかい? 何の遺骨でもいいんです。誰の遺骨でもいいんです。遺骨を探しています よく意味が分からないのだが、遺骨なら何でもいいということかい? よく意味が分からないのですが、何でもいい遺骨などこの世界に一片ともございませんわ 何の遺骨でもいい、誰の遺骨でもいいと仰っていたではないか? ええ、すべての遺骨は発見されるのを待っていますから 




乾燥した風が横断する 間断なく 朝といい 昼といい 夜といい 同じ強さ 同じ湿度で 乾燥した風が横断する 女は腰を曲げ 地を睨み 枯れ草の根程を丹念に洗い 一昼夜 炎天 私の頭蓋に女の爪先が当たったときには すでに夜明ける 薄明り 地平に太陽 このひとときこそ 陣は緊張する 敵地からの砲撃の予感に 陣は緊張する 私の頭蓋を拾い 女の指先が 数日ぶりに 私の頭髪を梳く 女の舌先が 数日ぶりに 私の頭髪を洗う




探し当てた遺骨はどうするのかい? 枯れ草の根程、数十センチ深く埋めなおします 何故?




いま 私は 枯れ草の根程 数十センチ深く ここは 明り届かない 未明 恐れる砲撃もここまでは届かない 畏れるのは しかし 未明 私が埋葬された場所 此処は友陣地だろうか 敵陣地だろうか 正義 不正義 測りかねる 誠実たる未明に還る 枯れ草の根程 数十センチ深く 終戦 



 









特別な感謝を、
rottenlily
http://rottenlily.under.jp/



2月4日

メロドラマ生活

2005年こそメロドラマ元年というくらい公演が続きます。
こうなるとむしろロックとかポップとか、ま、とにかくフツーなバンドで歌うたいたいんだけれど、でも求められる挑戦課題は放棄できないですね。
総論やまとめはもう少し待ってください。

さて、先週末、メロドラマ公演の準備をしてる際に「ぼくらの音楽 フジテレビ系列」で2004年の総集編をやっていました。
番組表を見てすかさず録画の準備をしたのは「さとうきび畑 森山良子」の沖縄での野外演奏が再放送されるから。

本放送は石塚隆則が参加した美術イベント「カフェ in 水戸」に参加するために、水戸市へ出掛けたとき、旅先のホテルで見ました。

この曲に関しては噂は知っていたのですが、実際にじっくり聴くのはその日が初めて。
つけっぱなしにしていたテレビから流れ出した。
あれ、いい曲じゃないかい?

森山良子、草原の上に特設された簡素なステージに立ち、首から100万円くらいするMARTINのギターをぶらさげて、「ざわわ、ざわわ、ざわわ」と歌っている。
いや、よく聴きなおす、読み直すと大した内容の歌詞ではない。
ざわわ、ざわわがインパクトあるけれどざわわの直後のラインは結構陳腐じゃね?
 なのに、あやや、あやや、あやや、胸に染みてしまった。
森山良子というのも「涙そうそう」なんてのでは有り難味がさっぱり分からなかったのですが、この曲の歌唱では息子の森山直太郎より現役シンガーとしてのチカラがうえ!
この曲の歌唱はいいじゃねえか。

この放送の前日にバンドみみのことのライブ(at ペンギンハウス 西村さんラスト)でVo.川口雅巳のすごい歌を聴いたばかりでもあり、「ああ、オレも歌を作らなくちゃ! 歌を歌わなきゃ!」って本気で思いました。

それが後の裏窓 in 新宿ゴールデン街弾き語り公演のきっかけだったことをもそもそと告白します。



http://www.kenko-club.biz/kibisu/

きび酢というものに出会いました。
さとうきびが原料のお酢です。
ぼくが購入したのは加計呂麻(かけろま)島という奄美大島のすぐ隣の島で作られている自然発酵のお酢。
自然発酵については上述のURLから記事中のリンクを辿ってください。

いや、びっくり。
成城石井のデモ販売のおばさんに奨められて、冷やかし半分に飲んでみたら、あらら数十秒のうちに腰の疲れが取れた!
フラシーボ効果かなと疑っても何度飲んでも一瞬にして血の巡りが甦って冷え症改善→腰痛改善。

どんな仕組みでそうなるのか成分表を見ても理由はさっぱり分からないのですが、下手な薬よりも効く。すぐに効く。
味は原料が100パーセントさとうきびなので酢といってもほんのり甘いんです。

このきび酢。あと、最近はまっている純りんご酢。
毎日、水のようにがぶがぶ飲んでいたら風邪ひかなくなりました。いやこれまた仕組みは分からないんだけれどね。
んんんんん、どこまでもフラシーボ効果なのかね・・・・・・多分、違う。
なんかホントに根拠があるんだと思わざるをえないなあ・・・・・・。

で、森山良子の「さとうきび畑」に話しは戻るのですが、このうたをよく感じるのも一種のフラシーボ効





あ、いや、この件に関してはもういいや・・・・・・。

2005年2月5日(土)

会場
@新宿"DOM" 03-3368-0669
http://www1.odn.ne.jp/shinjuku-dom/index.html/map.html
前/当:1500円+ドリンク

出演

「魔ゼルな規犬+神沢敦子」
http://sitenn.finito-web.com/24.html
「マッハドリル」
http://www.garada.org/%7Edorill/pc/index.html
「バクテリア」
http://www.bacteria00.com/

メロドラマ
(立島夕子/なかおちさと/長谷川洋/sachiko/みのる)

「オーラルヴァンパイア」
http://www.auralvampire.com/
「ゾンビロリータ」
http://www.nekoten.net/zombie/zombie-top.html

よろしくお願いします。

1月21日

スモール・コンボ革命

メロドラマ公演が近づいてきました。
19日にスタジオ入りしました。
なかおちさと、立島夕子に準レギュラーsachiko(Vo.Vl)、恵美伸子(Dr.)。
思ったことはこの構成、メンバーがやっぱり「スモールコンボとしてのメロドラマ」としては最強だなという想いです。

「メロドラマ・ノイローゼ」という造語を書き散らしてきました。
昨年末からずっと「どのように?」「どうする?」、その理想形を脳みその中でグルグル鳴らしました。
でも、19日のリハーサルでノイローゼはかなり緩和!
実際に呼吸を伺いながら、思惑の齟齬を対話するように温めて昇華させるメンバーの気高い「心遣い」。
「ああ、心配ない」
心配があるとしたらそれはぼく自身の力量だなと思います。

1月23日(日)開場18:00
メロドラマ
(なかおちさと、立島夕子、sachiko、恵美伸子)
ASTRO(長谷川洋 ex.c.c.c.cほか)
SynYo(大村雄一郎 N-N-N)
ANLA COURTIS(from REYNOLS)
出演者によるセッション
蒲田studio80オッタンタ
JR蒲田駅徒歩4分
東京都大田区蒲田5-7-6 三池ビル2F
03-3738-0080


表題、「スモールコンボ革命」。
ジャンプミュージックのメンバー編成をより少数にしたら、あら不思議!
ロックンロールという音楽が生まれました。

一方、ヴォイス・パフォーマンスは寧ろ反対の道を辿ってきたんじゃないかなあ?
始祖、パティ・ウォーターズの録音の伴奏はJAZZのスモールコンボ編成。
この併奏(JAZZですからそれ以上の意味ですね)がつわものが揃っていて大好きです。
ところがパティ・ウォーターズ以降のヴォイスパフォーマンスは「あくまでもヴォイスの求道のため」にサウンドの組織を削ぐようになりました。

ああ、ここいらでサウンドの組織をもう一度組み入れたいというのが、いまのメロドラマの志です。
多分、そこでヴォイスがサウンドの組織とともに引き剥がしてしまった「うた」。
ヴォイスと「うた」とヴォイスの行き返しの瞬間が甦るのではないかなと期待しています。

いずれにしても皆様、よろしくお願いいたします。


なかおちさと
(le merodorame!!)






1月16日

アルゼンチンタンゴを踊る日

近づくメロドラマ公演のため、ノイローゼ中。
メンバーのために参考音源を配布しなくてはいけないのだけれど、思う浮かぶのはパティ・ウォーターズ(1960年代、NYに現れた女声ヴォイスパフォーマンスの先駆者)の録音ばかり。
前代未聞の音楽を提示したいというのに1960年代の音源ばかりループしているというのはよくない。
また、参考音源とはいえ「オリジナル音源」の製作を考えていて躓く。
メロドラマの主眼は女声の拡張であるのだけれど、肝心のぼくの声は男声なのだから端から無理がある。
我が家にはライカさんという居候がいて、彼女の性別は一応女性なのだけれど残念なことに猫。
あとライカさんの声はハスキーすぎ。
メロドラマは澄んだ声を基調にやがて様々に変幻してゆくというのが理想。

1月23日(日)、蒲田studio80での公演には遠くアルゼンチンからアンラ・コーチスという大先輩がいらっしゃる。
レイノルズというバンドのリーダー。
その音楽はカテゴライズ不能でなんと表現していいのか分からない。
この日の公演では最後にセッションがあるというからさらに楽しみ。
んんんで、セッションって、ぼく、参加していいのかしら? いいのよね?

公開中の映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」の舞台にアルゼンチンが登場し、23日にはアルゼンチンのカルトスターとの競演があり、いま密かにアルゼンチンがマイブーム(ま、マイブームってのは大抵「密か」なんだけれどね)。

「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日 ベンジャミン・フルフォード 光文社」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/433493305X/249-2326089-5962753

只今、読書中。
アルゼンチン・タンゴを日本人にも分かりやすく解説し、手足の短い日本人でもタンゴで踊り明かす陽気な文化が根付くことを祈って書いた本ではない。
うん、↑じゃないから、違うから。

一向に進まない日本の景気回復に関して、その要たる不良債権問題に焦点を当てる。
この不良債権問題の解決がいまの日本の政治では解決不可能に思えるのは、元々、不良債権問題とは半分くらいヤクザ絡みであるからだよ!
ヘタレ日本人は誰も怖くて手がつけられないんだよ! というカナダ人ジャーナリストの告発本。
いや、これマジだぜ。
バブル経済期のヤクザさんの経済活動(経済ヤクザ)に盛んに融資した大手銀行。
その債権がバブル崩壊でまったく回収できないままもう十数年。
この問題はいまだ大手銀行の足元だけでなく、日本経済停滞の素因のひとつとなっている。
このまま無策でいれば、日本はやがて国家ごと破産してしまったアルゼンチンのようになるだろうというのがこの本の書名の由来。

あ、でもこの著作は現在シリーズ的に3冊出版されていて、その第一冊目。
一冊目にありがちな「総論」ばかりですのでご容赦ください(あと、この著者さんには論述上−理論の問題だけでないタイプ−の「不整合」が目立ちすぎる嫌いがあります)。

それでも色々と考えさせられる問題ばかりで、こうした本を読みながら日本の行く末について様々に「対案」など考えたりしているわけです。
しかし、只今わたくしメロドラマ・ノイローゼで頭痛に寝込んでばかり。
基本的に「布団の上」で「枕に頭乗っけて」という読書姿勢。
対する相手はヤクザさんです。

ニセ札事件の多発で日本銀行からの払い出しはすべて新札で行われるようになりました。
以前、そのうち旧札使えなくなるよと書いたことがありますが、正にわたくしの予言通りになりましたね。
そのうち新5000円札も使えなくなります。
あの樋口一葉の顔は絵心がなくても描けそうですからね(もう少し皺を増やした肖像にすればよかったのにね)。

このニセ札問題の背景もまた不況かなと思います。

不況対策の案として「じゃ、お札をもっとすればいいじゃん!」という、「え、でもそれじゃインフレを招くよ」という突っ込み待ちがお約束のジョークがあります。
家庭でのPC環境の充実で、「じゃ、お札をもっとすればいいじゃん!」が日本銀行レベルではなく、各ご家庭の判断でできるようになりました。
「捕まらなければ」「ばれなければ」という条件付であれば、そのご家庭の不況を乗り越えることはできますものね。

長引く不況が貨幣制度そのものへの不信を招いたことを発端に、舞台は革命劇へと転がる。
積年の腐敗の膿だし、浄化。
極限まで細分化されたヒエラルキーは、もはやヒエラルキーではなく、緩やかなネットワーク。
もはやシステムとはいえないようなあたらしい「あり方」。
アルゼンチン・タンゴはやはり祝祭のものだったと再確認したのは、遠く海洋を隔てた東洋の島国でした。
ご覧ください、桜咲くこの国でひとびとは数百年ぶりの笑顔を取り戻しています。





1月7日

南米音楽大陸

ネット媒体のmixiには「コミュニティ」というものがあります。
これはなんというか「同好会」みたいなものかなあ?
実例を書くと、ぼくが設立したものがふたつ。
「吉岡秀隆保存会」
これは呼んで字のごとく幼い頃から名監督、名俳優に囲まれて育った世代唯一の俳優・吉岡秀隆の業績を讃えつつ、21世紀中はもちろん、22世紀まで彼の仕事を伝えようという同志たちによるコミュニティ。
「南米音楽大陸」
南米のアクチュアルな音楽同好会です。
トラッドやフォルクローレはもちろん、あまり語られることのないポップス、ロック、ジャズなどの豊穣を情報交換する同好会。
実はこれ、このサイトで紹介したくとも、南米のものはそのアーティストに関しての記述がスペイン語かポルトガル語オンリーの場合、ちとさ、ま、その解説文を読めないがためにレビューの「情報面」がいまひとつ自分でも心もとない。
記事の信憑性とかに関わるのでどうもうまくいかない。
ところがmixiだと省スペースを考慮して記事をダイエットする傾向が助かってレビューに値する文章よりも下のライン。
「感想」中心の記述で済む。
南米音楽の中でも特にアクチュアルなポップス、ロックものの紹介にもってこいです。

一例ね↓。




南米は早い時期から北米の大手レコード会社が進出していった経緯もあり(勿論、政情によって各国様々です)、ロック、ポップスの誕生期からリアルタイムでUS,UKの音楽が紹介されていたようです。
また国内向けには、こうしたUS,UKのロック、ポップスに影響されたロカビリー、GS、ロック、ポップスのバンドやアーティストが多数登場していました。

CD時代になって、当時の普及メディア、レコードやテープからCDでの再紹介、再登場が相次いでいます(国によってはまだカセットテープ健在のようですね)。

こうした再紹介CDは、さすが「再紹介に値する」もの、安心して当たりを引けるのが利点でしょうか・・・・・・。
現代の耳にも新鮮なバンド、アーティストがいっぱいです!

写真は「OS CACULAS(バンド名が文字化けいたしました。以下のリンクで正式名をご確認ください)」という混声ヴォーカルによるソフトロック。ブラジルで1968年、1969年とアルバムを遺したようです。

http://www.cliquemusic.com.br/en/artists/Artists.asp?Status=ARTISTA&Nu_Artista=1370

再紹介の供給元は超大手のRCA Victor(BMG)です。

同時期のUS,UKに較べると青い叙情が仄かに暗いんです(典型的なラテンビートも混じるのに暗い、もしくは寂しげ、儚げです。ラテンビートが絡むソフトロックというのもひねくれてますが・・・・・・)。
だからこその愛聴盤になりました(入手はいまは亡き新宿Virginです)。

このトピは南米ロック、ポップスに関して幅広く、ご自由に秘宝紹介、または情報交換に使ってください。
再紹介のものに留まらず、現在進行形のアーティストについても大歓迎です。


で、ここからがやっと本題です。
mixi、1月5日分の日記からの転載になります。
「南米音楽大陸」
上映中にその言葉が浮かんだ、いやはや素晴らしい映画でした。

1月5日

ロバート・レッドフォードが日本のテレビメディアからのインタビューを受けて、チェ・ゲバラについて熱く語っていた。
旧年末のこと。
ゲバラの実直な性格、忍耐強さについてね。
インタビューアの質問はブッシュ大統領再選に関して及んだ。
「(米国民は)必ず間違いに気づく」
ロバート・レッドフォードそのひともまた実直なひとだった。

彼の来日の目的は、自身が製作総指揮にあたった「モーターサイクル・ダイアリーズ」の宣伝のためだった。
書棚にある「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行記 エルネスト・チェ・ゲバラ (現代企画室刊)」、いいとこのお坊ちゃんだった青年ゲバラの旅行記の映画化であることを知った。一度書店で手にとって欲しい。表紙の写真の青年ゲバラの若さ、初々しさを確認して欲しい。いささか力強くありすぎる後年のゲバラ「像」とは少し、いやかなり違った印象を持たれると思う。
感覚的な表現で申し訳ないけれど、この青年ゲバラ像はどこか「柔らかい」んだ。

年を越えて、今日ぼくは朝早くから映画館へ出掛けた。
正月三が日もとっくに過ぎたというのに、まだお休みの方が多いからだろうか、鑑賞したひとからの評判がよいためだろうか、館内は結構な「入り」だった。

上映前の会場のBGMはビオレータ・パラ。
ゲバラの祖国(彼は「祖国」という言葉を嫌うかもしれない)、アルゼンチンのフォルクローレ、輝石のような美しさ。

映画は素晴らしかった。
映画はかなり素晴らしかった。

いいとこの坊ちゃん、青年ゲバラ。
親友との呑気な旅立ち。
しかし喘息持ちのゲバラにとって旅が進むにつれて、病状そのものが重くなるように、旅そのものの意義が呑気なものから、徐々に重い内容を青年に課す。

青年ゲバラは、しかしゲバラ。
病状を克服するように、旅の重さを持てる力で転倒させようと試みる。
その後の革命家ゲバラを予感させる成長(この映画でも、原作でもキューバ革命については大きく触れられていない)。

南米を旅するそこかしこで鳴る音楽もまた楽しい。
ぼくはmixiで「南米音楽大陸」というコミュニティに参加しているけれど、この映画は正にこのコミュの名前のとおり。

晩年のルイ・アルチュセールは南米での社会主義の可能性について幾度も言及している。
南米の社会主義運動は実践的にはゲバラ流「武装闘争」ではなく、民主選挙での躍進を中心としたものへと、これまた成長している。

革命の実践としての「ゲバラ流」は既に放棄されて久しいというのに、ゲバラという人はなんで未だこうも多くのひとを真剣にさせるんだろう?
映画「モーターサイクル・ダイアリーズ ウォルター・サレス監督 2004年」。
この映画にもそのヒントがそこかしこに溢れていて、静かな興奮がぼくの中で疼いたままだ。
そして、この興奮や疼きを無理して「鎮めよう」とは決して思わない。

http://www.herald.co.jp/official/m_cycle_diaries/index.shtml




12月29日

朗読パフォーマンス(テクストby恋川春町)
12月28日
TUAA
http://www.creato-stage.com/tuaa-top.htm
会場:SUPERDELUXE
http://www.super-deluxe.com/

新しいアートを知る楽しみ、見る楽しみ、
そしてそれを体験する喜び、それは極上の贅沢です。
東京のアートが創りだす力。
2004年、TUAAはアートが平和を創る、を提唱します。
前例が無くて発表できないアート、
表現の空間が見つからないアーティスト、
経済的に成立しにくい表現手段、
まだ新しくて誰も知らない作品、
TUAAは紹介しています。

28日、六本木のSUPER DELUXEでの恋川春町さん、山崎怠雅さんとのコラボレーションを無事終えました。
2004年、すべての公演が終了いたしました。
応援いただいた皆様、本当にありがとうございます。

六本木での公演は初めてです。
この辺りは第二次世界大戦敗戦直後、占領軍相手に幾多の「カフェ」や「クラブ」が生まれた土地であったことを思い出しました。
「東京アンダーワールド ロバート・ホワイティング 角川書店」
↑、この界隈で日本で初めてピザのお店「ニコラスピザ」をOPENさせたニコラ・ザペッティというイタリア系アメリカ人の半生とその周辺を描いたノン・フィクション。
六本木という土地にあるいかがわしさ、いやらしさ。
汚い金で化粧した固有の臭さ。
その始まりの何たるかが緻密かつ大胆に書かれていて面白い読み物ですよ。
時代が変わろうと当夜も会場は多国籍。
亜米利加、英吉利、露西亜、武蔵野国、相模国、千葉県ほか。
会場の規模は大分違いますが、横須賀の小さなクラブ「パンプキン(かぼちゃ屋)」で米兵相手(一部)に演奏したときと似たフィードバックがありました。

23日、中野PlanBでの定例朗読会「溶鉱炉」。
こちらも出演者として、一参加者として、非常に楽しく過ごせました。
朗読というのはいまだ「シーン」と呼べるほどの文化水準にはまったくないという感慨も確固としてありますが、「溶鉱炉」はその<底>からの「抜け出し」という気概を具現化しようと必死です。
切実さのありようが一本、骨があって本当に気持ちがいいです。

さて、年末年始は喘息療養。
すぐにメロドラマ公演の準備、練習です。

2005年1月23日(日)
蒲田studio80(スタジオオッタンタ)
http://studio80.org/
メロドラマ(なかおちさと、立島夕子、sachiko、恵美伸子)、
ASTRO(元CCCCの長谷川洋さんのユニット)、SynYo(大村雄一郎ソロ)、アンラ・コーチス(レイノルズのリーダー 南米アルゼンチン ANLA COURTIS:REYNOLSのギタリスト。ノイジシャン、またコンセプチュアル・アーティストであり、養護学校の美術教師でもある)

↑、お客さんという立場で参加したい程に楽しみな企画(大村雄一郎さん主催)です。



12月22日

90年分のクリスマス

明日、23日は中野のPlanBでの「溶鉱炉」出演。
只今格闘中。
久しぶりに中規模会場でのソロです。
朗読パフォーマンスではありますが。
皆さま、ご覧くださいな。
この公演が終わっても年内に恋川春町さんとの競演。
すぐに来年のメロドラマ、2公演の準備。
翌日、24日はそろそろ病院などが正月休みに入るために通院ツアー。
メリークリスマス。

我が家には幾多もの楽器があります。
ギターは親しみのないひとから見たら「なんで同じようなものがこんなにあるの?」。
試しに数えてみようかと思いましたが、「乞食生活の身でよくもそんなに!」という声が耳元でしますのでやめます。
刑事役の森田健作が嫌味な味を出した感じの男声です。

最近、夢中なのがアルトサックス。
いやいやまったくの初心者。
楽器自体は一年前に手に入れたと思うのですが、音が出ない・・・・・・いや、出せないのか??????? など悩みながら先週まで無用の長物。あるいは一見こじゃれたインテリアとして放置してきました。

ところがさ、マウスピースを「初心者向け」のものに替えてみたのよ、先週。
セルマーのC☆というもの。中古。
はあ「初心者向け」というのは驚くほど初心者に優しいな。
ともかくも「音が出た」。
びっくりだ。

音が出ただけで驚いたのには、それなりの訳があります。
この楽器は古楽器商という名を騙る廃品回収業者がヤフーオークションにて出品したもの。
まずもってボロボロ。

いやいやボロボロは全然構わないんですよ。楽器として機能してくれれば、傷がないものなんてむしろ「ピカピカの辞書」のように使ってないことの証であって、恥ずかしいことこの上ないです。

ただボロボロにも程というものがあって、この「程」「域」スレスレなんだよコイツは!
なにせブランド、及びメーカーが分からない!

謂れとして「アメリカの楽器店がクリスマス商品として店オリジナルのものを販売した、非常にレアなモデル」らしいです。

発売はね、改めて本体をみたら1914年12月て書いてあるよ・・・・・・。
いま、1914年にこの楽器をクリスマス商品として発売したお店それ自体が廃業せずにいたらすっごい奇跡!

一応修理に出したのですが「本気で直そうとするとちょっと想像つかない値段になる」そうです。なので軽いメンテナンスを施しただけ。

ま、そんな訳で先週までこいつは随分場所をとるインテリアだったんですけれど、「初心者向け」のマウスピースを使用した途端に近所中に響き渡る爆音を発したの。警察呼ばれるんじゃないかとぼくったらびくびくしちゃった(しねーよ!)。

改めてサックスについて調べなおしてみると、喘息を克服するためにこの楽器を始めたというエピソードが多く、へええと思いました。
呼吸法のマスターに関して喘息治療とサックスの習得、どちらにも援用できるからだろうなと想像します。

「初心者向け」マウスピースで音は出せたが、さて「いい音」を出せるかといったらまだまだ呼吸法の習得が必要です。
この呼吸法、ぼくは歌などでは意識せずともできているのですが、楽器という媒介を通すとどうもぎこちなくなってしまうんです。
また、歌で習得した呼吸法の「呼吸量」では、サックスを吹くには足らないんです。人生は精進、精進ばかりで参るね。

ただ、なんか1914年のクリスマス商品(つまり初心者向けの造りの悪いもの)たるオールドサックスがヨコハマの僻地で90年分のクリスマスを越えて鳴り渡るのは非常に気持ちがいい。爽快このうえないです。

サンタが我が家にやってきた。
1914年のアメリカから、2004年のヨコハマへ、90年分のクリスマス。

喘息生活のレッスン、再開。





付記

同様に半インテリアと成り下がっていたクラリネット。
サックスを吹き始めたら、自然にクラリネットが上達していました。こちらは皆さんに聴かせるに充分な「いい音」になってきたかなと思う次第です。
ただ、マイク集音が難しい楽器のためプレゼンスが困難なんですよね。
NYのジャズクラブ、いまでも木曜日、ウッディ・アレンはクラリネットを吹いているのかね。
一度、聴きにいきたいんだ。

1914年、アメリカ、ウッディ・アレン監督作品、「ラジオ・デイズ」



12月6日
(12月13日 訂正改稿)

こわれてしまった一日

弾き語りソロ公演「黒い日曜日」@裏窓 in 新宿ゴールデン街。
無事終了しました。
次回公演は中野のPlanB「溶鉱炉」での朗読パフォーマンスです。
裏窓弾き語りは今後も継続します。
勿論、鬼も笑う来年の話。

当夜、お越しいただいたすべての皆さま、裏窓の福岡様、競演の寺島暁子さんに感謝いたします。
ぼく自身の弾き語りは「弾ききれなかった」という思いもあり今後も精進かよ・・・・・・精進の約束ばっかしだな・・・・・・ですが、でもね本当に素敵な夜でした。

寺島暁子さんのソロよかったよおおおおおおおおおおお!
なんていうかね、改めて「歌うたい、そのためのギターの音」と思いました。
寺島さんは同じ大学ですが、学部も違い、キャンパスも違い、大学ではすれ違ったことさえなくライブ会場で会うばかりでした。
ギターの刻み。
本当にムスタング? と思う太い音の次に繊細な余韻処理。
そして「うたがある」。
奥深く、奥深くに、耳をそばだてて、聴かなくてはいけないうたがある。
ま、分析はいいんだよ。
あと、一時間くらいねだりたかったです。

同じ学校というのは、山田洋次の映画「学校」コンセプト線上での「学校」のことです。
会場には柴田奈緒さんと、川口雅巳さんが駆けつけてくれました。
益々、学校ぽかったです。
生涯学習。

裏窓の扉には「12月は浅川マキしかかけません」という張り紙がありますが、当夜はねえ・・・・・・。
「セント・ジャームス病院」を少しだけ披露いたしました。
今回のテーマたるハープ(ハーモニカ)吹き語り曲「ドレスデン」というオリジナル曲と触れる歌としてチョイスしました。

M1ドレスデン

ガラスのような
無垢ないたわり
私たちの
食卓へどうぞ

花を飾る前に
温かいスープを
捧げられた肉と
血を噛み締めよう

ここは爆心地
ここが爆心地
ここは爆心地
またひとり
またひとり

ハモニカDm(ナチュラルキー)使用


この曲はワルツ。
3拍子の宿命でこの国の歌謡からワルツがポツポツ消えてゆきます。
ワルツたるワルツを歌おう。
結構な作詞作曲です。

この曲、吹き語りというかハモニカと独唱。
この独唱がいけなかった。
以後の歌とギターのバランスが「構成(この公演には練って臨みます)」をよれよれにしました。
独唱に合う発声のし過ぎでギターがお留守、てかギター不要?

話し変わりますが、最近、お陰さまで公演が多く、左手のギターだこがすごいです。
学校にも行かずにジューダスプリーストを掛けっぱなしにしてわき目も振らずギターを弾いていた中学時代を思い出させるほどの初々しくも硬いギターだこです。

あ、やっぱ話、元に戻します。

浅川マキの「セントジェームズ病院」に加えて、あと2曲カバー曲に挑みました。
自身にとっても新鮮だったのが友部正人さんの「こわれてしまった一日」です。

アルバム「ライオンのいる場所 友部正人 MIDI」所収の「こわれてしまった一日」をカバーしました。

カバーといってもオリジナルを尊重しながらも、ときにその場で思いを紡いだぼくのラインを挿入する、いわば替え歌。

友部正人という完成された詩人の歌、ラインをぼくごときが自分でいじくるなんて神聖不可侵の原則を破ってしまうような発想でした。
いや、他の方の曲ならば、例えば最近よくギター侍とかいうじゃなーい? 
いうじゃなーい? でもオレいまギター侍のことよく分かんないで喩えに出してますから残念! とか、そう、そのような「いじくっていいもの」の対極にあるのが友部正人さんでした。

しっかりと書いた詩がしっかりと詩であるうた。
「歌詞」越えを果たした代表格の代表格。
あと思い出せるのは同時期にすごいビートニク詩をもってうたとした三上寛さん。その少し後に日本近代詩的叙情の継承者として現れた友川かずきさん。
「歌詞越えの歌詩」の歴史はこの三人程度に絞った方がいいと思います。
登場、持続(。また歌詞は歌詞で独自に素晴らしいものがあり、歌詞文化の価値は歌詞と歌詩の違いで、どちらか一方の優性を決定するものではありません)。

弾き語りの依頼があっても弾き語り歌手の楽曲をカバーすることもいまだ禁じ手にしています。
ぼくのようなものがその歴史を無闇に引用して弾き語りのアリバイに使うなんてもってのほかという思いもあります。

ただ「こわれてしまった一日」は、ぼくでも歌えるなと思いました。
出だしのライン「あなたのことをこう呼びましょう 遠くからでも見える人」。いやいや凄いよ。曲、冒頭から「あなたのことをこう呼びましょう」というライン。
いやいや駄目だよ、その方にはその方のお名前があるのでしょうから、勝手に名づけなおすなんて・・・・・・と思うとその呼び名は「遠くからでも見える人」。
なんて慈愛なんだろう。
友部正人はそのひとのいつでも視界に入らずにはいられないチカラと魅力の魔法に惹かれ「遠くからでも見える人」と呼びましょうと心よりの感謝をします。
「遠くからでも見える人」
敬称。

日頃、もしくはステージそのとき、いまこのときの慈愛をこめて「あなたのことをこう呼びましょう」、ぼくだったらその後になんと繋げるだろう?

勇気を持ってこの曲を半カバーしました。

できについては振り返られない程の慈愛の高まりと「夢中」があり、ただ曲中、オリジナルに返って次のライン「ここは窓のない部屋なのに あなたはどこからやって来たの」を会場たる裏窓の全貌を眺めながら歌ってハッとした、その一瞬を忘れることができないです。

裏窓の主たるフロアにはほんの申し訳程度の灯り取りの小さな窓がたったひとつあるだけ(。それでもその裏窓からは灯りが見える)。

「ここは窓のない部屋なのに あなたはどこからやって来たの」

会場たる裏窓まで足を運んで、耳を視線を傾けていただいている、小さな灯り取り窓ひとつにうっすら照らされてそこにいる目の前のすべてのひとへの感謝と、ひとの繋がりの不思議で胸がいっぱいになりました。

胸がいっぱいになった。

符号。
思わぬ符合がもたらすしあわせ。ギターはへたくそだったけれど、当夜の公演、うたは比較的に豊かに歌えたと思う次第。
特にこの半カバーの試みにあってもうたはよかったかもなって思います。
そのことへのプレゼント、ご褒美だったのだと贈り主たるひと、皆さますべてに感謝します。





なかおちさと


「こわれてしまった一日」
(アルバム「ライオンのいる場所 友部正人 (MIDI)」所収)

あなたのことを こう呼びましょう 遠くからでも見える人 夜の夜中にやってきて そうして笑ってぼくを見ている

G D C G G D C G 

ぼくは夜明けを待つ患者です 胸には名札をつけています ここは窓のない部屋なのに あなたはどこからやって来たの

G C
 G C D G  C G

ひっそりとした夜の町はエンジンを切ったオートバイそれとも誰かがふたをあけて弾くのを待っているピアノ
御徒町のプラットフォームに一番電車が来る前に水飲み場という月夜のピアノでハラハラ夜明けを奏でてよ

どこかの国が打ち上げたグランドピアノの人工衛星地球の裏側のジャングルでふたを開けて笑うオルガン
馬小屋でキリストが生まれた夜に三人の男がやって来た馬小屋にあったというピアノで新しい夜明けを奏でるために

時間の止まった世界の中をあなたはカラコロ歩きまわる夜明けを一時間だけ行きすぎて夜のままで止まった世界を
世界中の時計を一時間戻しあなたはベッドにもぐりこむおやすみこわれてしまった一日と遠くからでも見える人


弾き語りソロ
12月5日(日)
裏窓「黒い日曜日」
なかおちさと
寺島暁子
(from Doodles)
新宿ゴールデン街「裏窓」
(あ、なぜか下線部にリンク設定がしてあるよ、クリック!



6月20日

さよならバードランド
<序>




画像は千倉のペンション「バードランド」在住のテラくん。
千倉には1月の末だったか遊びに行った。
千倉は古くからの温泉宿で情緒あふれる思い出深い街だ。
ただね、このとき泊まったのは「温泉宿」ではなくて、綺麗なペンション。
名前を「バードランド」という。

バードとはこの場合、鳥ではなくて、チャーリー・パーカーの愛称の方。
バードランドはNYのJAZZ CLUB。
オーナーが大のジャズ好きでこの名前になったそうな。

「さよならバードランド ビル・クロウ著 村上春樹訳 新潮社」

↑の本はご存知?
実はこのペンションにはこの本の訳者さんの村上春樹が実際に宿泊したことがあるんだぜ!



小さな画像で申し訳ないがよく目を凝らして欲しい。
このペンションの1階フロアに鎮座しているのはマッキントッシュ社のアンプ2台だよ。
コンピュータではなくて超高級オーディオ・メーカの方だ。
自慢じゃないが実用されているところ生まれてはじめて見た。

ここのテラくんに限らず、千倉は行く先々に猫が居た。
ガラス工房でのショット。



嫌がる猫とは対称的な31歳独身男の崩れた顔を見て欲しい。
うむ、何ともいえない。

ここから一気に話は辛気臭くなるが我慢して欲しい。

このショットを数ヶ月ぶりに見た。
そして思う。
多分、笑顔というものにはいつもプロデューサーが居る。

このショットの場合は、このにゃんこ。
そしてこの姿をファインダー越しに収めていたこのときのカノジョさまだろう。
なかおちさとはいつもはこんなだらしない顔はしていないので注意して欲しい。
毎度のこと、いい笑顔プロデューサーが笑みの仕方を教えてくれるのだよ。
繰り返すけれど、なかおちさとはいつもはこんなだらしない顔はしていないので注意して欲しい。

笑顔のプロデューサーへの感謝は日ごろ忘れがちなものだ。
また、オレ、アタシはプロデュースしたことなんかない!
そんな方は、あのさ、相手との会話が気まずくて、でも何だかとりあえず場を寛がせるために内心あたふたしたりしない?
あのとき、オレ、アタシは多分、笑みをプロデュースしようと必死なんだ。
うん、そのときあなたは笑みのプロデューサーだ。
自分を肯定しなさい。
また、オレ、アタシはプロデュースされたことがない!
そんな方はとりあえずマクドナルドのカウンターで「スマイル!」と注文しなさい。
今日はポテトやめてスマイルにしなさい。
いいプロデューサーに出会えるといいね。
オレ、マジ、祈ってるよ!



みふね。
コレが彼の我が家でのラストショット。
笑顔のプロデューサーへの感謝は日ごろ忘れがちなものだ。

なかおちさとはいつもはこんなだらしない顔はしていないので、そこのところはよく注意して欲しい。
元気でな!






「さよならバードランド」

いつか、カナラズ、つづく
世界アル限リ、
つづくさ


From nakao chisato( HP ) To rottenlily@moon at 2004 06/08 07:28 編集 返信

針先を数秒見つめてみる緊張の造成
無理をして
緊張する
無理をして
傷みを造成する
想像力はいつになれば血を流すだろうか
針先を数秒見つめてみる決意の造成
無理をして
私は針を指先の表面に突き刺しました拍子抜けするほどの余りに軽い傷みが僅か数秒だけ続きました
決意をして
私は針を指先深く突き刺し続けました拍子抜けするほどに余りに軽い傷みが僅か数十秒だけ続きました

針先を数秒見つめてみる凋落の造成
決意をして
流血する
決意をして
傷みを造成する
行動力はいつになれば血を流すだろうか
私の生命力はいつになれば止血を決意させるだろうか
私の指先
だらしなく血は流れ止血の必要もなく敢えなく凝固するだろう血に仕組まれた
私の想像力ではいま
生き物たちの流血とミサイル
目前の針先に宿した私の想像力ではいま
生き物たちの未来が陥落しました拍子抜けするほどの余りに軽い傷みが僅か数秒だけ続きました
堅牢たる麻痺
だらしなく血は流れ止血の必要もなく敢えなく凝固するだろう血に仕組まれた
堅牢たる麻痺
私たちの摩滅



↓click the image!!

「黒い日曜日」@裏窓 in 新宿ゴールデン街




From nakao chisato at 2004 06/22 22:39

透 析

一点
「生命の等価」
から対蹠
点「生命は等価
?」を
伝う思考

を辿る
線上のさらなる
一点「ペインは19日、3月の列車同時爆破テロから100日を迎えた。多くの死傷者を出したマドリードのアトーチャ駅では、大型画面にメッセージを映し出す「言葉の空間」が設けられ、市民や観光客が犠牲者への思いやテロへの怒りをキーボードを使って打ち込んでい」との思いがけない邂逅
食卓での黙想の仕事
私には
いささかの準備もなく
一点から対蹠点を伝う思考
線を辿る
線上

思考
線そのもの
の消失

事件のその日より眠れない夜が続きます背後で唸る不覚の音に恐怖し映像の喚起のリピートの記憶の肥大の萎縮の末に透析を開始する必要があります先ほどまで滞っていた私の血流がいま温かく私を発熱します恐怖の偏在の恐怖の拡散の恐怖の透徹の恐怖

「生命の等価」
「生命は等価
?」
反証可能性の立証不可能性の生/
命の等価

ペインは19日、3月の列車同時爆破テロから100日を迎えた。多くの死傷者を出したマドリードのアトーチャ駅では、大型画面にメッセージを映し出す「言葉の空間」が設けられ、市民や観光客が犠牲者への思いやテロへの怒りをキーボードを使って打ち込んでい

患者の意識の回復を祈る声が今なお市街の至るところで聞かれます









1)過去記事 ぴかぴかの方舟に雨、
2)過去記事 三日後の太陽に期するもの、
3)過去記事 残り少ない刹那を胸に、
4)過去記事 ロンドン・コーリング! ロンドン・コーリング!
5)過去記事 セピアにしてはいけないものを、
6)過去記事 我ら、砂漠の生き物、

7)過去記事 晩鐘、種を蒔くひと、
8)過去記事 ザ・モンキーズ・フィルム・コンサート!